日本縦断!人の和と輝く人生に乾杯! ~極彩色に囲まれて~ -3ページ目

正しい三面鏡の使い方④


さて。
本テーマの「正しい三面鏡の使い方」。

歴史を紐解いてみると、三面鏡は拷問機や自己分離統合装置とその利用形態を変えてきたことがおわかりいただけたと思う。

しかし、果たしてそれらが本当に「正しい」三面鏡の使い方なのか。
そう言い切るにはデータ不足であり、信憑性に欠けることは否めない。。。


そこで私は、自らの身を呈してある実験を試みることにした。
もちろん危険は承知である。
しかしながら、不肖、有栖川ゲンゴロウ。
ひとりの三面鏡研究家として、その謎の一端を明らかにし、世界を導くために新たな一歩を踏み出す覚悟を決めたのである。



そもそも私には仮説があった。


三面鏡は異世界の入口である、と。


おっと、笑わないで聞いて欲しい。
何を今さらと嘲笑を浮かべるのももう少し待って欲しい。
確かに誰もが一度は空想するお伽話のような仮説であることは百も承知であるがこれは真実なのである。

この先も、ぜひとも読み進めて欲しい。



まず私は異世界への入り方を研究した。
もちろん水泳のように思い切ってダイブするなどという暴挙に走ってはいけない。
現実はそう甘くない。
良くて突き指、下手すれば全身血まみれというのが関の山である。


そこで私は何が鍵になるかを考えた。

三面鏡、その名にこそ秘密はあるはず。




三面鏡、三面、三つの面…。









…アシュラマン!?




「そうか!三つの表情だ!
それぞれの鏡面に違う表情を一度に映す、それがキーストーンだ!!」



ビンゴだった。
ゆでたまご先生は少年漫画を通して現世に重大なテーゼを発信していたのである。



しかしそこからが大変だった。
理屈がわかってもそううまくできることではない。
なにしろ一度に正面、左右それぞれに違う表情を映さなくてはならない。当然、顔の筋肉は引きつり、時には硬直し、人間ばなれしたその姿は、家族と言えども人に晒せるものでなかったことは言うまでもない。

しかし私はやり遂げた。



結論から言おう。
これが最も高確率で異世界へ旅立てる方法だ。



正面には下卑た笑顔、左面には卑屈な泣き顏、右面には萌える怒り顔を映すのだ。

グヘヘ、ヒィィ、プンプン、である。


これを同時かつ瞬時に行うという神業を成し遂げ、耳鳴りが聞こえれば…、そこはすでに異世界である。。




こうして、私は異世界潜入に成功した。


本論文の趣旨とは少しずれるので、鏡中で起こった活劇譚の詳しくは、拙著『鏡の国の有栖川』(シースー出版)をご覧頂きたいのだが、ここに向こうでの私の日記をいくつか引きたいと思う。







ーーついに来た。やはり三面鏡の中には別の世界があった。しかし、この世界の西暦はなぜか…私が潜入した日の10年前、1993年、夏…。


ーーこの世界は過去であることを除き、全てが現実世界とそっくりにつくられている。なぜだ…。それにしても…、若い森高はさらにたまんねぇぜ…。


ーーついに発見した、現世との明らかなちがい。この世界の住人の顔は総じて左右対称…、シンメトリアンだ…。そしてもうひとつ。「できそこない」この世界では三面鏡以外の鏡はそう蔑まれているようだ。







さあ、三面鏡には拷問機、自己分離統合装置に加え、少なくともパラレルワールドへの発射台という利用法があることが証明された。


そして、私は新たな仮説に辿り着いた。


三面鏡は向こう側から現実世界を観察しているのではないか。。

そして、私が向こうへ旅立てた以上、現実世界にシンメトリアンが存在する可能性もゼロではないのではないか。。


未だ謎の多い三面鏡。
果たしてこの先に待ち受ける結末とは。
今こそ、共に旅立とう。
その謎を解き明かす知的冒険へ。





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『僕』はここまで一気に読み進め、ふと、ページの隅に手書きされた文字に目を留めた。

「ここで引き返すべきだった…G.ARISUGAWA」

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正しい三面鏡の使い方③

拷問機を当初の目的とした三面鏡がどのように利用形態を変えてきたか…


昨今騒がれた事件を思い出してほしい。

17年の逃亡劇の末都内で身柄を確保された宗教団体の信者の事件があった。

逃亡の際、信者が所持していたキャリーバック。

信仰していた宗教の教祖の著書や写真、説法の録音されたカセットテープが

入っていたことに注目が集まった。

しかし、本当に注目すべきは他にあったのだ。

持ち運び式「Mad Three-Sided Mirror」(三面鏡)を所持していたことである。



「Mad Three-Sided Mirror」は、1970年代後半カルト集団の出現により再度注目を集めるようになる。

前回説明したが、三面鏡は自我を崩壊させ狂気となる拷問機として利用されてきた。

そしてカルト集団は、その更なる利用方法を見出したのである。

使い方次第で洗脳状態をより深く、長期化できることに気がついたのだ。

自分と鏡の中の自分の境界線を決壊させ精神を不安定化させる。

不安定化した精神は、いつも簡単に狂気の信仰を受け入れ、それが

本来の自分であったかの如くふるまうようになる。

(先に述べた宗教団体ではパーフェクト・ミラー・イニシエーションと呼ばれていた。)

とはいえ、三面鏡の人格破壊の狂気はカルト集団すら恐れるものであり

最終段階までの使用はされなかった。



だが17年間逃亡を図った彼は最終段階に踏み込んだ。

13番目のあいつと狂気になることなく同化し別人格を形成したのだ。

彼はまるで別人で、誰にも気づかれず生活することができた。

「Mad Three-Sided Mirror」の力だったのである。



これは捜査関係者を震撼させた。

ピッコロ大魔王事件(PKD事件)に匹敵するからである。

PKD事件は風化してきているが恐ろしい事件であった。

(地球に降り立ったナメック星人が神になるため体から排除した悪が魔族となった事件)

今回信者の彼は「Mad Three-Sided Mirror」を利用し同化を行うことに成功した。

同化ができるのであれば、分離も可能性もあるのではないかと考えたのである。

地球上全人類が悪の部分を分離する…とても恐ろしいことである。



ではなぜ同化した彼を捜査関係者(大衆)は見破ることができたのか…。

捜査関係者はある見解を持っていた。

防犯カメラを利用することである。

信者である彼は「Mad Three-Sided Mirror」により主観の増殖した自己のみを見続けることにより、自己中毒を起こし別人格を形成している。

これをカメラの映像という客観的視点を見せることにより呪縛を解き本来の自分に気付かせることができるのではないか。

と彼らは考えたのである。



捜査本部はマスコミにいち早く防犯カメラの映像を流した。

これは一般大衆からの通報を望んだというより、本人に映像を見せたかったのである。

今回の試みはまだ一検証にすぎないが、大きな転機となったと思われる。



このように三面鏡は利用形態を進化させ続けている。

今後の進化の行方についてはまた次回にしようと思う。







正しい三面鏡の使い方②


さて、それではまず三面鏡が何のために存在することになり、またどのように利用されてきたか、について述べたい。


三面鏡を語る上で、まず説明しなければならないことは「どこの国で何のために生まれたか。」であり、どこの国でという点では大英帝国を発祥の起源としている。


16~17世紀にかけた産業革命を通じ、1945年の第二次世界大戦終戦まで、大英帝国は植民地を併せると世界で最も広い領土を手にした。


その領土拡大における最大の立役者が三面鏡なのである。


産業革命による工場制機械工業、いわゆる流れ作業を手にした大英帝国は、一分間に3,000人分の食料生産を可能とする全自動フィッシャーアンドチップス製造器といった民需品から、十分間に3連射を可能とする最新鋭3連投石器機といった軍需品まで、あらゆる製品を量産して世界の覇権争い一番手に躍り出た。

そして、1900年代に入ると更に物資を量産して植民地の領土拡大を行なったのである。


三面鏡はこの領土拡大の際、現地民の抵抗勢力を制圧するために大車輪の活躍をした。


「子供時代になぜだがわからないが一度はそれをみてある種の恐怖感を覚えたことはあるだろう。」
と前回述べた。


まさに、その恐怖感を生み出すことに目をつけたのが、鏡を発明してその呼び名の語源ともなっている大英帝国きっての天才科学者Mirror The Thirdことミラー三世である。


彼の発明した初期型三面鏡はタテ2m、横1mと人が一人入れる程度の三角ボックス形状で、流れ作業による大量生産を行ない、その全てを植民地へ運び入れた。


そして、植民地政策に反対する現地の反乱分子を「Mad Three-Sided Mirror」と恐れられたその三角ボックスへと次々に閉じ込めていった。

閉じ込められた人間は数分レベルの時間であれば、ある種の恐怖感で済む。

しかし、仮に一ヶ月閉じ込めれたら、人はどのようになるのか。



「ヒ、ヒィィィッ!お助けを、お助けを。アイツが僕で僕がアイツなんだ。3番目のアイツは悪人だけど、8番目の僕は善人だ。ヒ、ヒィィィッ、13番目のアイツが来やがった。オウフ、オウフ、hahahahaha。」



これは、三角ボックスの中に一ヶ月幽閉されたある植民地民の日記である。


鏡を見ると無限に広がる自分の模写。

一日中、それと向き合うことにより、今そこにいる自分と鏡の中の自分の境界線が決壊し全てが違う動きをする他人と錯覚してしまい、やがて自我が崩壊する。

断末魔の笑いからも、そこが完全に人格破綻した狂気の世界であることが読み取れる。


つまりそもそもは、三面鏡は現代の家庭用品の位置づけではなく、中世のアイアンメイデンのような拷問機だったのだ。


そこに放り込まれた人間の数は2億人を下らないと推定され、三面鏡の登場によって植民地の制圧は加速度的に進んでいった。

そして、この功績が称えられてミラー三世は晩年にSirの称号を授かっている。


余談であるが、Mad Three-Sided Mirrorと、Sirミラー三世の直訳はそれぞれ「狂った三面鏡」と「ミラー三世卿」である。


三面鏡、三面狂、三面卿。


和訳の偶然の産物ではあるが、コンプトンの不良ラッパーどもも裸足で逃げ出す軽快な韻踏みである。



おっとそこの首を傾げている読者、そうだ君だ。


正確には三面狂は三面鏡狂、三面卿は三世卿が正しいのではないか、といった興ざめな突っ込みは決してしないで欲しい。

筆者は間違いを認識したうえでなお、ドヤ顔で書き殴っているのである。



少し話しがそれてしまったが、以上が三面鏡が何のために存在し、どのように利用されてきたかの起源についての説明である。


それでは次回以降、拷問機を当初の目的とした三面鏡がどのように利用形態を変えてきたかについて更なる深堀をしていきたい。