中島みゆきのアルバムについて当サイトではごく初期の頃から採り上げてきていますが、当初はアルバムの選定方針が異なっていたため、サードアルバム「あ・り・が・と・う」(1977)からとなっています。この感想も8年ほど前のものなので「え、これだけ?」と思ったりしましたが^^;、「中島みゆき」(1988)までひととおり書き上げたので(個人的な中島への考え方により、瀬尾一三に恨みはないが「グッバイガール」以降の瀬尾プロデュースによるアルバムは扱いません^^;)、改めて繰り上がり「私の声が聞こえますか」と「みんな去ってしまった」(ともに1976)も扱っていく予定です。まずはファーストアルバム「私の声が聞こえますか」からです。

 

中島は学生時代から「コンテスト荒らし」の異名を持ち100曲以上のオリジナル曲があったが、直接デビューに繋がったのは1975年のヤマハ主催第9回ポピュラーソング・コンテストにおける「傷ついた翼」の入賞であったようである(なお、この曲はセカンドシングル「時代」のB面としてリリースされた)。同年中に2枚のシングルレコード、「アザミ嬢のララバイ」「時代」がリリースされた。「時代」は第10回ポピュラーソング・コンテストつま恋本選会及び第6回世界歌謡祭にてグランプリを獲得しているが、「アザミ嬢のララバイ」リリースの方が時期的に先んじている。

 

中島の2枚の初期アルバム「私の声が聞こえますか」「みんな去ってしまった」は、シングル2枚リリースの翌年、前記のとおり100曲以上あったオリジナル曲のなかから事務所とレコード会社が選定して作り上げたものだといわれる。プロデュースについてはポプコン主催のヤマハ音楽振興会がしたこととなっているが、エグゼクティブ・プロデューサーとされている川上源一は中島が師父のように仰ぐ人物だそうだ。アレンジについても中島本人の意のままにならず、本来よりも高めのキーで歌われている曲が多いという珍現象になったとのことである。アレンジとして名を連ねているのは西崎進及びエジソンと発明王だが、エジソンと発明王というのは演奏しているバックバンドの名前で、キーボード担当のエジソン渡辺がリーダーということのようだ。このような成立経緯と年代ゆえもあってか古めかしさの目立つアルバムだが^^;、この年代のアルバムを聴く機会が以前より増えたためもあってか、改めて聴いてみるとかつてほどは抵抗を感じなくなった。

 

冒頭から寂れた味わいの「あぶな坂」が聴かれるが、意味深な歌詞のためもあって独特な雰囲気を感じさせる。しかし、続く「あたしのやさしい人」は一転してあっけらかんとした曲調。しかし歌詞的にはフェミニズムっぽいところも散見される。3曲目の「信じられない頃に」も割と明るいタッチなのだが、内容的には救われないものが感じられてそのギャップに驚かされる。

 

快活な歌いぶりの「ボギーボビーの赤いバラ」を経て、「海よ」がしみじみと聴かせる佳曲。しかしこの曲は後年柏原芳恵がカバーしていて年代なりのアレンジで聴かせてくれるのでいささか分が悪い^^; LPでいうA面最後の曲はデビュー曲「アザミ嬢のララバイ」。シングルレコードとは別アレンジになっていてやや地味な印象。ちなみにシングルレコード版のアレンジは船山基紀が初めて手がけた曲なのだそうだ。

 

LPでいうB面最初の曲「踊り明かそう」でもあまり雰囲気は変わらずやや単調な気がしてくるが、次の「ひとり遊び」は同じフレーズを畳みかけるように繰り返しておどろおどろしいものを醸し出してくる。3曲目「悲しいことはいつもある」はちょっとジャジーなアレンジで、このアルバム中ではセンスのよさを感じさせるものだ。続く「歌をあなたに」もこのアルバム中では盛り上がりをみせる曲でその勢いのまま「渚便り」に繋いでいくが、「渚便り」も柏原のカバーで聴いている曲だけにアレンジの古めかしさがつい気になってしまう^^; 

 

ラストはセカンドシングル「時代」だが、こちらもシングルレコード版とは違うアレンジで尻すぼみに終わってしまっている印象である。もっとも、これには理由があるようで、前記の川上が「大音量をバックにするよりも、ギター1本で歌ったほうが、あなたの詞が人々に伝わると思います」と励ましたという意を汲んだためらしい。上記第10回ポピュラーソング・コンテストつま恋本選会でのグランプリ受賞後のアンコールにおいても、中島はギター伴奏のみで「時代」を歌ったという。その形態が当時のポプコンにおいては異例であったため中島はバッシングされたのだそうだ。