ピンク・レディーのケイとして知られる増田けい子(現在の表記は増田惠子)は、1981年3月末のピンク・レディー解散後同年のうちにシングル「すずめ」をリリースしてソロデビューした。「すずめ」は増田のソロ活動における代表曲とされるほどのヒット曲となったが、たまたま自分が「ザ・ベストテン」などの歌謡ランキング番組を見始めた頃だったため、そのインパクトは大きかったものだ。むろんピンク・レディーのヒット曲は小学生の頃いくつも聴いているはずだし、曲のターゲット層としては妥当な人間だったはずなのだが、そういう関係からか自分にとってピンク・レディーはリアルタイム感に乏しく増田けい子の方に親しみを感じていたものだ。

 

そんな懐かしさもあって「すずめ」収録の増田のファーストアルバム「ひとりが好き」(1982)をヤフオクにて落としてみたのだが、正直なところ取り扱いに迷うアルバムでこの場にて採り上げようと思うまでには時間がかかった^^; その印象の最大の理由は増田の歌唱に物足りなさの残る点だが、このアルバムの構成にも疑問を感じたものだ。「すずめ」は中島みゆき作品として著名なものだが、中島の作品はこの曲のみである。ほかの曲でも伊勢正三・堀江淳・吉田拓郎といったシンガーソングライター系の名前が目立つのだが、なぜか同じアーティストの曲で2曲続けたがるので、2曲目で単調に感じてしまう傾向がある^^;  なお、最後の3曲の作詞を担当しているサガン綾という人物は、当時明言していたのかは不明だが増田本人のペンネームだそうである。そういった意味で作風としては従来よりある意味背伸びしたアーティスト志向のアルバムづくりを模索しているように感じたのだが、結果としてあまりうまくいかなかったという気がする^^; 「すずめ」となった曲を中島に依頼したきっかけは増田が桜田淳子「しあわせ芝居」を聴いて「いずれはあんな大人の歌をうたいたい」と思ったからだというのにも端的に感じるように、増田としてはそれまでと一線を画した活動をしていきたいという意識が大だったのだろうが、シングル「すずめ」及びアルバム「ひとりが好き」で始まったワーナー・パイオニア時代の増田の歌手活動がシングル3枚・アルバム2枚のみで1982年末までという短命に終わってしまったのは、そのあたりの齟齬に起因するのかもしれない。

 

アルバム冒頭は上記代表曲「すずめ」となっている。イントロのエレキギターの印象が大きいのに比してアレンジは意外にも青木望であるが、思い詰めたような陰りを帯びた美しさはやはり自分好みである。続く「つかの間の雨」は伊勢作品だが、前曲の雰囲気を引き継いで切なさを高めてくれる。アレンジは馬飼野康二に変わっているが違和感はない。3曲目「ターミナル」も伊勢作品でいくらか慰めを感じさせる曲調に変わっているが、やや単調に感じてしまう場面もある。アレンジは青木に変わっているがややおとなしいためというのもあるのかもしれない。4曲目「ラスト・シーン」は堀江作品で船山基紀アレンジという、いかにも決然としたポップスという味わいだ。LPでいうA面最後の曲も堀江作品の「一人の部屋」で、タイトルからしてアルバムのテーマにも関連するものと考えられるが、やや平淡に過ぎる気がして物足りない。

 

LPでいうB面最初の2曲「もっと下さい」「ソファーのくぼみ」は詞が白石ありすで曲が吉田、アレンジは馬飼野で続くが、この年代の曲としては古風な印象。なお、「ソファーのくぼみ」はテレサ野田のシングル曲(1977)のカバーである。B面3曲目「星になったパパ」4曲目「ハロー・トゥ・ミー」は詞がサガン綾名義による増田本人・曲が松本としあき(現在の表記は松本俊明)・アレンジが青木で続く。「星になったパパ」は愛した人の死を扱う重いテーマの曲で、増田のアーティスト的な曲づくりを模索する意欲が感じられるものだ。片や「ハロー・トゥ・ミー」はボサノバっぽい曲調。「星になったパパ」のアレンジの美しさに惹かれつつも「ハロー・トゥ・ミー」により親近感をおぼえる。ラストは作曲のみ堀江に変わった「前夜祭(イヴ)」。増田の回想によると、堀江のこのメロディを聴いて詞を書きたいという強い意欲が湧き、ある朝突如としてこの詞が浮かんできたのだとか。その力の入り具合は確かに感じる力作である。