小林麻美はまずモデルないし女優として知られており、歌手としては「雨音はショパンの調べ」「哀しみのスパイ」(ともに1984)などのヒット曲があるにしてもそれは余技であったかのような印象を受ける。しかし、実際には歌手がそのキャリアのスタートであり、デビュー曲「初恋のメロディー」(1972)は比較的ヒットしたようだ。ただ、当時のアイドル歌手に求められた雰囲気にそぐわないキャラクターであったために、歌手活動については自然消滅に到っている。その影響か、「雨音はショパンの調べ」がヒットしても事務所の方針により歌手としてテレビの歌番組に出演することはなく、本人は出たかったのにとラジオ番組で述懐していたようだ。
一度中断した歌手活動が8年ぶりに再開された経緯はよく分からないが、モデルないし女優としての活動が成功して知名度が高まったから改めてやってみるかというように深い意味はなかったのかのかもしれない。しかし、原曲が世界的なヒット曲であったこと・時代が変わってニューミュージックが隆盛するようになったため小林のような、かつてはアイドル歌手にそぐわないと判断された暗い印象のキャラクターなども受け入れられる土壌が整ったなどのような条件が揃ったためか、「雨音はショパンの調べ」はヒットに繋がった。
いかにもその勢いに乗ったという雰囲気で、シングル「雨音はショパンの調べ」の4ヶ月後、9年ぶりの4thアルバム「CRYPTOGRAPH〜愛の暗号〜」(1984)がリリースされる。このタイトルは、「雨音はショパンの調べ」中のフレーズ「暗号のピアノ」に由来すると思われる。作詞は「雨音はショパンの調べ」も手がけた小林の旧友・松任谷由実(なお、このアルバムのプロデューサーとしてクレジットされているのは松任谷である)のほか、小林本人も3曲を担当している。「雨音はショパンの調べ」原曲の「I Like Chopin」(1983)を手がけたイタリアのアーティスト・ガゼボの曲がもう1曲収録されているほか、イギリスとフランスのアーティストの曲も1曲ずつ採られており、国際的というか小林の趣味による選定?と感じさせるものがある(ガゼボ以外のカバー曲の日本語詞は小林自身の手になる)。その他の曲では井上陽水が2曲、玉置浩二が1曲担当しているのが目を惹く。もちろん、松任谷が作詞作曲とも手がけている曲も2曲収められているという豪華ぶりである。アレンジはガゼボの2曲を新川博が担当しているほかは大半が武部聡志である。武部はこの少し前の時期に松任谷のコンサートツアーの音楽監督を務めていたため、その関連での参画だったとみられる。新川・武部とも個人的にはあまり好みのタイプではないが^^;、まだこの時期は極端な電子音の使用が抑えられていてほどよいアクセントに感じる程度に留められており、このアルバムではなかなか心地よいサウンドをみせてくれている。
冒頭の「月影のパラノイア」は、もう1曲のガゼボ作品にあたる。のっけからミステリアスな雰囲気が漂っていて魅惑的だ。ほの暗いモノローグのような小林の歌唱もこの雰囲気に似つかわしい。いかにもレコードジャケットから連想される味わいは期待を裏切らない。続く「微熱」は、小林自身の詞になる曲。前曲を承けてメランコリックな表情を感じさせるいい曲だが、作曲が加藤和彦だからかサビが古風な歌謡曲のように思えなくもない^^; しかし後奏のストリングスは美しい。3曲目「TYPHOON」は作詞作曲とも松任谷作品。いかにも松任谷本人が歌っても似合いそうな曲調だが、やや穏やかな表情に変わり、夢幻的な雰囲気を感じさせる。
4曲目「グランプリの夏」・5曲目「TRANSIT」と、井上作曲の作品が続く。詞は、前者が小林和子・後者は松任谷。「グランプリの夏」はなかなかアグレッシブな曲で起伏をつけてきている印象。続く「TRANSIT」は、空港を思わせる効果音が冒頭に置かれているが、「グランプリの夏」とは対照的に静けさの漂う、少し気だるい感じの曲だ。個人的にはストリングスとピアノが奏でる美しい後奏に惹かれる。前半(LPのA面)の終結を感じさせてくれる。
ここまでは比較的大人っぽい雰囲気の曲が多い印象だが、B面の冒頭「Sugar Shuffle」ではやや幼さを感じさせる面が出てきて、最後の「Lolita Go Home」への伏線になっているような気がする。「Sugar Shuffle」はイギリスのアーティスト、リンジー・ディ・ポールの1975年作品のカバー。次の「恋なんて かんたん」もややラテン的なノリの軽いタッチの曲で、コケティッシュな雰囲気を漂わせている。このあたりは女優としての小林の演技の幅の広さなのだろうか。なお、これがもう1曲の松任谷作詞作曲作品。
B面3曲目「アネモネ」は、一転して静かで沈痛な味わいの曲。この曲だけ安井かずみ詞・玉置曲だが、ほどよい起伏に感じられる程度の異質さか。そして、メランコリックなイントロの「雨音はショパンの調べ」へと繋げられていく。原曲のサビにもRainy Daysのフレーズが頻出しており、イントロと間奏などのピアノのメロディも同じなので原曲でも暗示されているのかもしれないが、雨音をピアノの音色の暗喩として明確に捉えているタイトルのネーミングは秀逸だと思わせされる。むろん、タイトルだけでなく曲自体もいいのは論を待たない。
最後の「Lolita Go Home」はフレンチポップスの巨匠、セルジュ・ゲンスブールの手になるジェーン・バーキン1975年作品のカバー。小林はファーストアルバム「落葉のメロディー」(1973)においてもゲンスブールの手になるフランス・ギャル作品「夢見るシャンソン人形」をカバーしており、フレンチポップスへの関心があったのかと興味を惹かれる。小林自身の詞は原曲の詞とはやや内容が異なるとはいえ、ある程度関連を感じさせる要素はあると思う。歌唱も和製バーキンっぽい雰囲気はあるが、より夢幻的な味わいだ。