夏休み前の高揚感で、ついつい財布の紐も緩むむむ。


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前からずっと気になっていた三冊。
「伊豆の踊り子」
「ビブリア古書堂の事件手帖」
「たけくらべ」

大方のテストは終わったし…い、いいよね(ノ)'ω`(ヾ)



はあ。
それにしても角川の和装カバーはステキすぎる。

全体的に去年よりも見やすかった印象です。雨だったからかな(・ω・)?


あと割引物がかなり増えていたような気がします!






洋書セールはなんだかこの雑多な感じが好き。


掘り出し物に出会えそうでワクワクさせてくれる。






書を持って、街へ出る







以前買った素材集を発見してしまいました…!(写真右下↓)


まさかここで再会するとは……


しかもわたしが某書店のセールで買ったときよりお安いし、君。。。






書を持って、街へ出る









朝日新聞社ブースに杏ちゃんふふふ




書を持って、街へ出る




本の祭典に行ってきましたよ~ Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒(。A。)!!!



まずは13時~

京極夏彦さんによる読書推進セミナー「世界の半分は書物の中にある」聴講。


なんでも3000人ほど集まったそうで、中継の見れる別会場が急遽増設されたほどの盛況ぶり。

はやい人は11時前からならんでおられたらしいです。。。恐るべし、京極ファン。


開始時刻ジャストについたわたしは当然別室中継組でしたずーん

この目でお姿を拝見したかった……!!



お話はほんとうに素晴らしくて、

物語を組み立てるプロは違うなぁと、展開のさせかたがすごいなぁと、聞き惚れてしまいました。

散漫なようで、するりとひとつのテーマに集約されていく感じ。


ふさわしい言葉がぽんぽん湧き出るのもすごいし。。。

頭の中身をのぞいてみたい人がまた1人増えました。


からかうような「バーカッ」と、諌めるような「バカ!」と、甘えたような「バカァ…」

声色をちょいちょいかえて会場を沸かせるチャーミングな一面もまた素敵。


「つまらない本なんてこの世にない!」というお話に、

これまで何かにつけぶつくさ文句をたれていた自分を反省。。。


つまらないと思ったら、ツボがわかるまで何度も読むのが京極流らしいです!




書を持って、街へ出る

(閉会間際はわりと空いてました)




以下、講演の内容を思い出してぽつらぽつら書き出し。

自分用メモなのでぐちゃぐちゃです。(反転)








そもそも読書とはすべてが「誤読」で、これが絶対なんていう正解はない。

世にあふれている書評だって、ある文章からこんなことを感じましたよ!と、

その発想の豊かさを世に問うているにすぎないものなのだから。



文章を、それぞれの体験とすり合わせてはじめて

「本」は完成する。

書き手がいて、編集者がいて、製本する人がいて、売る人がいて、

最後に読まれることによって、ようやくゴールにたどりつき

そこでうみだされる「本」の物語は、

読者の記憶・体験を反映して浮かび上がる多種多様な世界で均一ではない。

(だからある本を、ある人はおもしろいと言うし、ある人はつまらないという)



つまり、我々読者は、現実とは別の、自分だけの、別の世界を書物の中に持ちうる。



七色の虹。

曖昧な色を指し示す言葉がなければ、それは見えていないのと同じこと。


微笑む、嘲笑する、呵呵大笑する…

「笑う」という動きを表す言葉が豊富だからこそ、それが出来る。

「微笑む」という言葉がなければ微笑むことができない。


1番感謝しているのは。言葉そのものがこの世界に存在していること。

両親に感謝するというのが模範的解答かもしれないが、

そもそも言葉がなければ両親に「ありがとう」も伝えられない。




大昔に、どこかで誰かがたとえば牛をみつけて、

それを忘れたくないなと思った。見たままのその姿をうつしとって、そうして言葉がうみだされていった。




犬も猫も、人間と同じようにこの世界を享受しているのだ

と思っている人もいるかもしれないがそれは違う。

彼らはパターンによって日々を過ごしているので「きのう」がなければ「明日」もない。

人間と同じだけ時間を過ごしていても、その質量がちがう。



「生と死」はよく対称的に語られる。

しかし誕生から死の間を生と呼ぶならば、死の対極にあるものは誕生のはずである。

なぜ我々は長い長い生と、死という一点を同等にならべるのか。


死んだら終わる、死んだ人にはもう会えない

という考えはさみしすぎるから


なにか希望をもたせたい。

      ↓ 

死後の世界があると想像しよう、死に生と同じだけの長さをもたせよう、と考えた。


言葉で成り立つ死後の世界という概念誕生


生(現実の世界)と死(死後の世界)

人間が体験する世界の半分は言葉(=書物)の中にある




小説の添削はそもそもできない。

文章の技法的にどうのこうのではなく、

その稚拙さは書き手の頭の中がまとまっていないからであって、

そこは他人には指導しようがないものだから。


なんとなく言いたいことはあるけど、よくない文章というのは

そういうまとまりきらない思いがあるから。




点という一次元

平面という二次元

立体という三次元


時間=四次元だとしたら、我々の世界は…?


それを把握することが難しいのでわれわれは分割して考える。

時間というものを線をひっぱったり、数字をあてはめることで理解してようとする。



言葉とはデジタルなもの。

男・女という言葉がなければ、あっちのほう・こっちのほうと曖昧にしかいえない。

時間と同様に、

さまざまな事物を把握し理解するために、世界は言葉で分割された