退院してからの話を、
退院するときは杖なしで歩いて帰ると言っていた自分も、杖で歩くことも難しい状態のまま病院を追い出される感じ?で退院して、次の通院病院も見つからないままとりあえず実家暮らし。
実家のリビングに手摺りつけてもらったり、トイレや、お風呂場にも湯船に入れるように手摺りつけてもらいました。まぁ今は洋服かけるところとして便利に使われてるみたいですが笑
通院病院を探さないとってときは、転院して地元の病院で入院してるときの病室が横のおじ様のお世話しに来てよく顔を合わせていたお綺麗で楽しいおばさん、その人の口利きで最寄駅から地下鉄乗り換えなしで数駅行ったとこにある病院でリハビリさせてもらえるようになりました!雨の日は車で30分くらいで送り迎えしてもらってましたが、晴れの日は車椅子乗って電車に乗り、駅から病院までは車椅子押して歩いて行ってました。
基本晴れの日は車椅子を押して歩きリハビリしながら目的地まで行くことをずっとしていました。下り坂は座って一気に降りる。基本真っ直ぐな下り坂はそれでスリルを楽しんでいたり、絶対マネしたらダメですよ!笑
あと、家の車はほぼ私が使わせてもらってて、最初のうちは車で母に通院病院まで送ってもらいリハビリ終わったら車 で帰る。それが申し訳なくて申し訳なくて、、、
早く車椅子を無くすんや!って思いでリハビリに励みました。
ここからは後で聞いた話と、ぼんやりと覚えてる話ですが(2ヶ月ほど意識無かったので)
最初は神戸の救急病院でのこと。
なんとか一命を取り留めた私は、とりあえず大部屋に移りそこで家族、親族、地元の友人や大学の友人、大学教授、大学時代居酒屋バイトのスタッフ、たくさんの人がお見舞いに来てくれていて、大部屋でうるさいと苦情があったとかで1人部屋に移ったらしい。嬉しい事ですね!
救急病院での聞いたことで、印象に残ってることを1つ。大学時代休日はほぼバイトの人たちと行動するのが多かったようなくらい、楽しいバイト先で、そこの店長がお見舞いに来てくれたときに、意識なく寝たままの私が反応したらしい!家族もみんな大喜びしたと後から聞いて、やっぱり居酒屋バイトはめちゃ楽しかったんやなぁと。
その後、転院することになり、次の病院は地元最寄駅から一駅の森ノ宮病院。
ここでリハビリが始まりました。
そのときの印象に残ってることは、病院が地元の病院やったから地元の友達が週末なったら来てくれて、その度に思い出話をしてくれて、それに対して初めの頃は話せなかった私、ノートで会話してたみたいやけどそれではテンポもくそもない。
なによりも、お見舞いに来てくれた友達に御礼の言葉もかけれずに帰らしてしまうことがなによりも嫌で悔しくて、しかもその日の晩に記憶の訓練として、朝昼夜何したかをノートに記入してて、その日お見舞いに来てくれた友達を夜には誰来たか忘れてしまってた。
そのころは一番ストレス溜まってた。
昔の記憶がある自分にとって、御礼も言えず忘れてしまう、そんな自分はありえないと、何度も命断つことを考えた、、、、それも友達のおかげで変わった。
早く友達といっしょに飲みに行って、いろいろ話したい。
その思いがリハビリに取り組む私の活力となっていた。
PT,OT,STをずっとしてるなか、とある日STのリハビリ中に声が出た!先生はずっと廣川君は絶対話せるようになる。と言ってくれていた。話せるようになり母が待ってる自分の病室に帰り、"扉をガラガラ開けて、ただいまー"母泣きだす笑 それからはお見舞いに来てくれた友達とも話を交わすことができて、やっぱり話す事で記憶にも残るようになっていて、大学の教授、友達が数人で来て事故前の話などをしてくれたり、高校ラグビー部の友達がみんなで来てくれたり、大学時代の居酒屋バイトの店長も大阪までお見舞い来てくれて、帰りに駐車場まで車椅子で送り、車で待たれていた奥さまに挨拶してて、いっしょにいた犬に触ろうとして手を伸ばしたら噛みつかれそうになって、その瞬間腕を引っ込めた私に店長がめちゃ早く動かせるやん!と笑いながら言われたり。
入院中の春は母が大阪城まで車椅子押して連れて行ってくれお花見を楽しんだ。
別で、退院してから地元友達も大阪城に花見に連れて行ってくれた。
そのときも車で車椅子と私を運んで、友達は車を停めに家に帰り自転車で大阪城に来てくれる友達。
いつもリハビリとして車椅子押して歩く練習してた私。
花見のときも大阪城から車椅子押して歩いて帰ると言う私といっしょに帰ると言って車椅子に座って付き合ってくれた友達。
家に帰ってから銭湯にもいっしょに行きました。
あと、印象に残ってる友達を2人ご紹介。
これも退院してからの話かな。
どちらも地元の元中友達。
1人目はバンド仲間の男友達。
まだ私が車椅子だったころ、ある日の夜飲み会に誘われた。
ちょうど年末?年始?春?覚えてないけど、どこの店もいっぱいでした。
2軒、3軒回っていっぱいで入れなかったときに、車椅子の私は、"俺、しんどいから帰るわぁー。"と言って、1人で車椅子で帰ろうとした。すると"俺送って行くわ"と言ってくれた友達が車椅子を押して実家まで連れて行ってくれた。
その道中、なん度もごめんなぁと謝る私にその友達が、"みんなボーちゃん(地元での呼び名)といっしょに飲みに行きたいから誘ってるのに、俺らに遠慮すんなよ!"って。
私はそのとき、地元の友達にほんま失礼なことをしてるんやな。と気づいた。
それから地元の友達には気をつかうことなく、とはいかなっかたけど、、、
まぁ誘われて行けるときは喜んで行くようになりました。
2人目もバンド活動してる女友達。
この話は車椅子もなくなり、杖で生活を送っていたときの話。
同じく夜みんなで飲み会に行くことになり、杖歩行の私は歩くのちょっと遅いくらいと思ってたからなんも気にすることなく飲み会に参加しました。
駅前からお店に向かうときのことで、その子が私の横にきて最近どう?リハビリの感じと言いながら、すっと右腕をもしあれやったら持ちや的な感じで私の横に上げてくれた。
そのときとっさに私から出た言葉が、
"あっ、ごめんなぁ、、、、"
その友達は怒って、
"なんで謝んの⁈ なんも悪いことしてないやん!ありがとうでいいやん!"って。
私は別になんでもない普通にかけた言葉で、相手にそんな思いをさせていたんだな。とすごく反省した。
それからは、とにかくなんかしてもらったときはありがとう!助かるわありがとう!ほんまありがとう!、、、、一時期とりあえず言うとけばいいと思ってへんか⁈笑 と言われるくらい、感謝の安売りみたいになってたときはあったけど笑
そこから、私はこんな友達がいたから、生き延びれたんやな!
もっと頑張らなあかんな!と思うようになり、地元友達にマジ感謝で、自分はほんま恵まれてるなと思っていました。
最初は神戸の救急病院でのこと。
なんとか一命を取り留めた私は、とりあえず大部屋に移りそこで家族、親族、地元の友人や大学の友人、大学教授、大学時代居酒屋バイトのスタッフ、たくさんの人がお見舞いに来てくれていて、大部屋でうるさいと苦情があったとかで1人部屋に移ったらしい。嬉しい事ですね!
救急病院での聞いたことで、印象に残ってることを1つ。大学時代休日はほぼバイトの人たちと行動するのが多かったようなくらい、楽しいバイト先で、そこの店長がお見舞いに来てくれたときに、意識なく寝たままの私が反応したらしい!家族もみんな大喜びしたと後から聞いて、やっぱり居酒屋バイトはめちゃ楽しかったんやなぁと。
その後、転院することになり、次の病院は地元最寄駅から一駅の森ノ宮病院。
ここでリハビリが始まりました。
そのときの印象に残ってることは、病院が地元の病院やったから地元の友達が週末なったら来てくれて、その度に思い出話をしてくれて、それに対して初めの頃は話せなかった私、ノートで会話してたみたいやけどそれではテンポもくそもない。
なによりも、お見舞いに来てくれた友達に御礼の言葉もかけれずに帰らしてしまうことがなによりも嫌で悔しくて、しかもその日の晩に記憶の訓練として、朝昼夜何したかをノートに記入してて、その日お見舞いに来てくれた友達を夜には誰来たか忘れてしまってた。
そのころは一番ストレス溜まってた。
昔の記憶がある自分にとって、御礼も言えず忘れてしまう、そんな自分はありえないと、何度も命断つことを考えた、、、、それも友達のおかげで変わった。
早く友達といっしょに飲みに行って、いろいろ話したい。
その思いがリハビリに取り組む私の活力となっていた。
PT,OT,STをずっとしてるなか、とある日STのリハビリ中に声が出た!先生はずっと廣川君は絶対話せるようになる。と言ってくれていた。話せるようになり母が待ってる自分の病室に帰り、"扉をガラガラ開けて、ただいまー"母泣きだす笑 それからはお見舞いに来てくれた友達とも話を交わすことができて、やっぱり話す事で記憶にも残るようになっていて、大学の教授、友達が数人で来て事故前の話などをしてくれたり、高校ラグビー部の友達がみんなで来てくれたり、大学時代の居酒屋バイトの店長も大阪までお見舞い来てくれて、帰りに駐車場まで車椅子で送り、車で待たれていた奥さまに挨拶してて、いっしょにいた犬に触ろうとして手を伸ばしたら噛みつかれそうになって、その瞬間腕を引っ込めた私に店長がめちゃ早く動かせるやん!と笑いながら言われたり。
入院中の春は母が大阪城まで車椅子押して連れて行ってくれお花見を楽しんだ。
別で、退院してから地元友達も大阪城に花見に連れて行ってくれた。
そのときも車で車椅子と私を運んで、友達は車を停めに家に帰り自転車で大阪城に来てくれる友達。
いつもリハビリとして車椅子押して歩く練習してた私。
花見のときも大阪城から車椅子押して歩いて帰ると言う私といっしょに帰ると言って車椅子に座って付き合ってくれた友達。
家に帰ってから銭湯にもいっしょに行きました。
あと、印象に残ってる友達を2人ご紹介。
これも退院してからの話かな。
どちらも地元の元中友達。
1人目はバンド仲間の男友達。
まだ私が車椅子だったころ、ある日の夜飲み会に誘われた。
ちょうど年末?年始?春?覚えてないけど、どこの店もいっぱいでした。
2軒、3軒回っていっぱいで入れなかったときに、車椅子の私は、"俺、しんどいから帰るわぁー。"と言って、1人で車椅子で帰ろうとした。すると"俺送って行くわ"と言ってくれた友達が車椅子を押して実家まで連れて行ってくれた。
その道中、なん度もごめんなぁと謝る私にその友達が、"みんなボーちゃん(地元での呼び名)といっしょに飲みに行きたいから誘ってるのに、俺らに遠慮すんなよ!"って。
私はそのとき、地元の友達にほんま失礼なことをしてるんやな。と気づいた。
それから地元の友達には気をつかうことなく、とはいかなっかたけど、、、
まぁ誘われて行けるときは喜んで行くようになりました。
2人目もバンド活動してる女友達。
この話は車椅子もなくなり、杖で生活を送っていたときの話。
同じく夜みんなで飲み会に行くことになり、杖歩行の私は歩くのちょっと遅いくらいと思ってたからなんも気にすることなく飲み会に参加しました。
駅前からお店に向かうときのことで、その子が私の横にきて最近どう?リハビリの感じと言いながら、すっと右腕をもしあれやったら持ちや的な感じで私の横に上げてくれた。
そのときとっさに私から出た言葉が、
"あっ、ごめんなぁ、、、、"
その友達は怒って、
"なんで謝んの⁈ なんも悪いことしてないやん!ありがとうでいいやん!"って。
私は別になんでもない普通にかけた言葉で、相手にそんな思いをさせていたんだな。とすごく反省した。
それからは、とにかくなんかしてもらったときはありがとう!助かるわありがとう!ほんまありがとう!、、、、一時期とりあえず言うとけばいいと思ってへんか⁈笑 と言われるくらい、感謝の安売りみたいになってたときはあったけど笑
そこから、私はこんな友達がいたから、生き延びれたんやな!
もっと頑張らなあかんな!と思うようになり、地元友達にマジ感謝で、自分はほんま恵まれてるなと思っていました。
2006年10月◯日、大学通学中のことでした。その頃は中型バイク免許を取得しビックスクーターに乗ってたので、大阪で1人暮らしの家から通学路も慣れた道でスイスイ通学できていた。
その日は前日、実家の近くの友達の家で遅くまで飲んでいたらしい。(その記憶はまったくない)朝方?実家に帰りその日は大学に行かないと、と母に言ったらしく少し横になってバイクで大学へ向かった。
その通学中、いつも通る慣れた道で不慮の事故に遭い私は意識不明の重体で救急病院に運ばれたらしい。その事故の話は、大学まであと信号1つのところで、通学中の1人で乗るときはいつもハーフメットなのにそのときは、事故を予知してたのかフルフェイスメットだったみたい、、、そのおかげで事故後の傷痕はまったくなく、流動食を流すために開けられた気管切開された跡と、口横に少しある傷跡ぐらいでした。ここからは病院での話しで聞いたこと、覚えてることなどを少し、、、
その日は前日、実家の近くの友達の家で遅くまで飲んでいたらしい。(その記憶はまったくない)朝方?実家に帰りその日は大学に行かないと、と母に言ったらしく少し横になってバイクで大学へ向かった。
その通学中、いつも通る慣れた道で不慮の事故に遭い私は意識不明の重体で救急病院に運ばれたらしい。その事故の話は、大学まであと信号1つのところで、通学中の1人で乗るときはいつもハーフメットなのにそのときは、事故を予知してたのかフルフェイスメットだったみたい、、、そのおかげで事故後の傷痕はまったくなく、流動食を流すために開けられた気管切開された跡と、口横に少しある傷跡ぐらいでした。ここからは病院での話しで聞いたこと、覚えてることなどを少し、、、