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遅ればせながらの鑑賞記です。

「ハクソー・リッジ」公式サイトは、⇒こちら

 

そちらからの引用ですが、

監督であるメル・ギブソンさんの言葉を先ずはお聞きください。

 

デズモンド・ドスは特別な存在だ。

そして、彼が英雄である理由をあげるとすれば、彼が謙虚であることだ。

実際、映画化の許可を求めても、ドスは何年もの間繰り返し断ってきた。

彼は、真の英雄は大地に眠る人たちだと主張していた。

しかし、映画の世界は架空の英雄であふれている。

そろそろ真の英雄を称賛してもいいのではないだろうかと僕は考え作りあげた。

この作品に関わった全ての人たちの協力に感謝し、

みなさんにこの話ができることをとても光栄に思っている。

 

 

 

空前絶後の沖縄戦。

これを観るにあたって、お詣りをしてからでないと、

何故か、いけないような気がして、

「七生報国」と書かれた鉢巻を締めるような、

変なスイッチが入ってしまうと怖いので、

6月の上京時に、靖国神社に参拝したと云う訳です。

数十万の英霊が、

常世とあの世を行き来をするというならば、

このくらいの大きさが必要なのかと、

云うくらいに大きな鳥居であった事よ。

日本人に混じり、中国、韓国らしい方々もお見えになってました。

どういうご縁があるのかは、我知らず。

だが、御霊を祀るとか、平和祈願というのであれば、

人種などは関係ないようにも思いました。

 

 

映画は、良心的兵役拒否者でありながらも、

戦場で衛生兵として従軍したデズモンド・ドスさんの物語です。

キリスト教の一派で、武器を持って戦うことを禁じる思想の家庭に育ち、

帰還兵であり、アル中になった父と、優しい母そして、弟がいます。

戦時下の日本とは全く違う、いたって平和な米国の様子があるが、

一歩、兵役や、軍の施設に入れば、

そこは、どこの国でも同じ、血で血を洗う狂気が蔓延する場所となっていた。

仲間に武器を取れ、嫌なら除隊しろ!!と言われて、

どれだけ痛めつけられても、

戦争からは逃げない、「別の戦い」に向かう男の姿がありました。

「別の戦い」。

のちに妻となる女性が看護師であった事が影響を及ぼしたか、

銃を持って戦うだけが戦争ではないと、

敵味方で命を削るような戦場で、

「命を繋ぐ為の行動」をとる。

そういう方がいたという事を、知ることが出来ただけでも、

この映画を観た意義があったように思える。

実際、デズモンド・ドスさんが、

沖縄戦で、日本兵の負傷兵も助けた(のちに死亡ようですが)というも、

本編で描かれています。

 

 

戦闘のシーンは、気の弱い方には勧められません。

夜明けとともに銃撃戦が始まり、人の咆哮が響き渡る。

爆弾・爆風で、手や足が吹き飛び、

辺りは、血の海に染まり、次から次へと人が死んでいく。

血走った目で、敵兵を殺し とどめをさす。

死に物狂い。

そして夜の訪れと共に、静寂が訪れ、

哀れ死者は、ネズミの餌と化す。

地獄絵図ともいえる。

私の心には、「早く戦争シーンが終わってほしい」

それだけが支配していたが、

アクション俳優でもあった監督の手腕か、

なかなかに引き込まれてしまう。

 

デズモンド・ドスさんも負傷して、沖縄を後にするが、

そこからが、沖縄の苦難の歴史の始まりでもあるということは、

日本人ならば、忘れてはならないはずです。

 

頭の中では、

ずっとこんな言葉が渦を巻いていた。

これは沖縄を、日本を蹂躙した、

戦時下では「鬼畜米兵」と呼んだ集団が主人公なのだ。

・・・と。

 

 

何とも言い難い複雑な心境と、

既視感(デ・ジャブゥ)のような気持ちが、湧いていました。

なぜなのかは、こちらを参照⇒「私と戦争

 

哀しみだけが積み重なった。

繰り返すまじ、あの悲劇。

最後の最後まで対話での解決を図れないものか・・・。

そういう風にしか、論じられませんですな。

 

 

 

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戦争の犠牲があったからとは決して言わないが、

会社という拘束はあるものの、

食事も睡眠も勝手気ままに、そこそこ自由である以上、

これを幸せと言わずしてなんとする。

 

 

でもまぁ、

胸の内で、

そ~~っと、呟いては、おきますがね・・・。

 

ヾ(。`Д´。)ノ    会社のバカヤロー   (゚Д゚#)ゴルァ!!