あれは45歳の時。
近所の歩行者道路を散歩中、国道を渡ろうとしてふと思った。
たとえ90歳まで生きたとしても、もう人生の半分以上を生きたことになることに、漠然と不安を覚え、その事実に立ち止まって愕然とした。
自分に憐憫の情を抱いても仕方のないことだが、周りを田んぼに囲まれた田舎の細い道を風に吹かれながら歩いていて、気がつくとなぜか、古くて懐かしい「若者たち」の歌を口ずさんでいた。
「君の行く道は 果てしなく遠い
だのになぜ 歯をくいしばり
君は行くのか そんなにしてまで」
それまで気づかなかった、人生の根源の問いかけをこの歌がしていることを始めて知り、まだ覚えていた歌詞を心の中で噛み締めていた。
「君のあの人は 今はもういない
だのになぜ なにを探して
君は行くのか あてもないのに」
昔愛した人を思った。
それは恋人だった人だけではなく、お世話になった人や親戚、十代で自ら命を絶った同級生、また病死した友人たちの顔が浮かんでは、見上げた青い空に溶け込んでいった。
今なら「親孝行したい時には親はなし」の亡母が思い浮かぶ。
まるで迷路のように入り組んだこの人生。
一体何を目当てに、何を探して、誰のために生きているのか。
わからないことだらけのことに疲れて、人はいつしか死んだような目になり、ただなんとなく与えられた仕事をやりくりし、家族とも折り合いをつけてうまくやり過ごし、何の変哲もない平穏な日常を繰り返す。
若い頃に抱いた人生の問いかけなど青臭いことだと自分に言い聞かせて、心は水の流れない淀んだあのため息の溜池となり、さらに周りを常識という壁で塗り固めてしまう。
だけど……。
「君の行く道は 希望へと続く
空にまた 陽がのぼるとき
若者はまた 歩きはじめる」
希望なんて言葉はかつて嫌いだった。
それこそとってつけたような飾り言葉で 、誰かから上目目線で人心を煽り立たされ、戸惑いや迷いをごまかし、付け焼き刃のようなその場凌ぎのフレーズがその後に続いていた。
しかし、人生の残り半分、いな、どの時点でさえ、やはり人はほんの少しでも、どんなささやかな事でも、それがどんなにあやふやで定まらなくても、朧気な夢や希望を持ち、またそれを探し支えにしようと生きていくしか他にないことをやがて知る。
早世したあいつやあの娘の分まで、とは言わずとも、自分のために真剣に生きていきたい。
宇宙の運行が教えてくれている。
どんなに風が吹き荒れようが、寒い夜に凍えても、朝になると太陽は必ず昇る。
晴れても曇っても、海が荒れ果てようが、大地が裂けても太陽は東から西へと絶え間無く自身の軌道を変えることなく進んでいる。
そして真実は、ここに存在するこの自分の視点が中心となって自転していて、世界を見ている。
多分、答えは自身の中、すなわち小さな己心の宇宙が外にあるように思える大宇宙と調和した時に見出されるものなのだ。
だからいかにその声を聴き、同調出来るかが鍵を握る。
ヒントは自然にあり、人にある。
心が無心になれば、掌で大木の、指先や目で植物や花の声なき声を聴き取ることができる。
心触れ合えば、見知らぬ人とも真の会話ができる。
だから、この命が尽き果て枯れるまで、なにかを求め続ける心の若さを失わない限り、「君の行く道」は続いていく。