いよいよ野山が新緑に輝き、琵琶湖が青くなり、人々の顔に微笑みが浮かぶ季節になってきた。
華やかな色彩が彩るこの世界。
陽はうららかに光彩を増し、夜の月は白々と明かりを灯す。
心の中には思い出の走馬灯がくっきりと浮かんでは、静かに輪郭を崩していく。
どうしてもたどり着けない場所がある。
求めても、求めても叶わない夢もある。
イメージを働かせ、意気地なしを振り払っても、次々と沸き起こる懐疑に打ち負かされる。
勇気を心の奥底から振り絞り、孤独を叫んでみても、いつしか深い繋がりを拒みつつ、人々の中を適当に要領よく渡ろうとする。
ここが限界。
そして同時に転換点。
好きなことや、やりたいことだけを求めて生きても、心変わりしなければ何にも始まらない。
否定的な言葉を避け自分を肯定すると、ほらまたその思いが見えないところからにじみ出てきては泥沼の元の木阿弥。
錯覚。
すべては脳の錯覚でできている。
良いことも悪いことも、根拠のない自信も自信のなさも、いつしか慣らされた思い込みに過ぎない。
謙虚さも傲慢な態度もそれに拠る。
とらわれたまま、迂闊さを続けると、よく働けばいいけれど、そうでなければそのままずっと途方に暮れたままだろう。
脳はそれまでの経験や体験を全部覚えているという。
そしてそれを基にして判断し、セルフイメージや世界観を決定する。
しかし、それは錯覚。
ならば脳に問いかけよう。
思いを形にしてみよう。
何を思うか。
どうせなら、質の良いイメージを思い浮かべる。
まずはイメージしなければ実現しない。
これまでに作られた脳を塗りかえよう。
脳に言い含めよう。
プラス言葉を発して。
言葉はそのための強力なツールだ。
脳に行動や動作で示そう。
どんな闘いに負けても勝った態度でいること。
強気で行こう。
負け惜しみではなく、負けるが勝ちのあの理屈。
この思いと言葉と動作、どうやらこの3つを操作するのが脳を自分でマインドコントロールする秘策のようだ。