外にある世界は自らの内にあると言っても、具体的にどうなっているのだろう?


なぜ自覚できないのか?


氷山の一角どころか、限りなくゼロに近いほどの顕在意識。


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対する潜在意識こそ無限大と言える。


脳の働き、心臓の鼓動、生命を維持する諸機関の働きはこの潜在意識による。


そう、潜在意識こそが宇宙と繋がっているというより、我即宇宙の本質を司っている。


ということは、自己の本質である潜在意識に注視し、これをうまくしコントロールすれば自然や人的物的環境をより良い方向へ変革できるということだ。


引き寄せの法則やマーフィーの原理もこれに由来する。


そして潜在意識には人類全体がこれまでに取得した無限の知恵や知識が蓄積されていると言うのは、ユングの集合的無意識論である。


個人的意識は、無意識の下、深層心理において全体と繋がっているという説。


そんな潜在意識を死ぬまで眠らせておくのは勿体無さすぎる。


意識革命即幸福、平和創出の源泉となり得る力をどう現していくか。


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但し、潜在意識は善悪、美醜、利益損失などを判断できない。


巨大な海に染み込ませた一滴の水が、白なら白、黒なら黒に全体を変色してしまう。


だからこそ、取るに足らないと思えるほど非力に見える一滴にも満たない顕在意識が残されているのだろう。


その限られた部分と与えられたわずかな時の中、この今目に見える世界で意識できる存在として、自分を変えていく。


自分で自分を教育する。


より高い価値を求め、正しい価値判断で、己の誤った習慣や欲望を時に抑制してでも真実を潜在意識に執拗に落とし込んでいく。


それは自己判断だけに依拠するのではなく、自己のちっぽけさ、無知を知悉した上で謙虚に学び、仕事や社会的実践に結びつけていくということだ。


人生という校舎なき学校で、師を求め、大自然や真実を畏敬し、我以外皆我が師の精神で謙虚に生き切っていくことだろう。


無論、そんな自分の姿を映し出す鏡の存在も重要だ。


知らず識らずレールを外すのはホメオスタシスを宿す人間故になのだから。


鏡は宗教や道徳、古今東西に残された哲学や思想、それを立証するにはまだまだ物足りないが科学であろう。


予測可能な当たり前のことを発見するのではなく、シュールな事象を直感して私たちに提示する役割があるのが科学なのだから。


だから宗教における悟りはチンプンカンプンなのではなく、まだ証明されていないだけに過ぎない。


あちらの世界もこちらの世界もないのだから、今ここにあるのに気づいていないだけ。


見えていない、見ようともしない。


サムシンググレートとは、宇宙生命であり、すなわち無限の可能性を秘めた自分のことを指す。


それは神仏を恐れぬ輩の傲慢さ故にではなくして、己を含むこの世界全体の崇高さ、尊厳を知って信仰し、一丸となって進みゆくことを意味する。


他者も環境も結局のところ自分自身に帰結するのだから。