お袋を参った墓園を後にして、気になっていた八鹿のおばちゃんが移り住んだとある施設へ。

色々事情があり、大きな建物の中の小さな一室におばちゃんはひっそりと生活していた。

3年前、お袋が危篤の際に、遥々駆けつけてくれ、ICUで酸素マスクを着けたお袋の手や足を両手で撫りながら、「あんたが退院するまでいてるでな」と、最期まで付き添ってくれたおばちゃん。
「おいしい肉食べていきや」と返したお袋の言葉が忘れられないと、後でおばちゃんから聞いた。

小さい頃から、毎年お盆帰りのたびに、私たち家族はおばちゃんの住む豪邸に立ち寄った。
本宅と後で継ぎ足した別宅の渡り廊下から見えた庭には、おばちゃんの旦那さんの趣味で色とりどりの大きな鯉が人工の波を受けながら悠々と泳いでいた。
お金持ちの家。子供の時からそんな印象を持っていた。
お袋とおばちゃんは幼い頃より姉妹のように付き合って来た。
何でもおばちゃんのお母さんが亡くなる前に、2人を寝床の両脇に川の字になって寝かせてこう言ったという。

「お前たちはずっと一生、姉妹のように助け合っていかなあかんえ」

それから80年ほどもの間、同じ血は通わなくても、まさに本物の姉妹のようにして、山あり谷ありの人生を互いに支え合ってきた。

しかし、先にお袋が逝ってしまった。
その半月ほど前の丁度今頃にも、体が衰弱しきっていたお袋を連れておばちゃん宅を訪れた。

着くなり、ALSで手が自由に動かず、足元も危なかったお袋は、私たちが支える暇も与えず、嬉々として早々と車を降り、「千代ちゃん、千代ちゃん」と叫びながら裏口を目指して、目を疑うほど信じられない早足で歩いて行った。
まるで少女時代に戻ったみたいな呼び声を繰り返しながら。

あれから3年。

施設の大きなホール入口横の事務所で名前を告げると、前もって姉貴が連絡していたので、すんなりとおばちゃんに来訪を伝えてくれた。職員と一緒に玄関ホール近くまで出迎えに来てくれたおばちゃん。
随分痩せていた。
静けさの漂う施設の薄暗い廊下をとぼとぼ歩き、自分の部屋まで案内してくれる小さくなった背中を見つめながら、そんなことを思うものではないと自分に言い聞かせつつ、どうしようもなく憐憫の情が湧き上がってきた。

おばちゃんの部屋は、入ってすぐ左側に取って付けたような簡易のキッチン、右側がトイレになっていた。
靴を脱いで上がった六畳ほどの畳敷きの部屋。正面にほぼ全面の大きな窓があり、外は雨が降ったり止んだりの空模様でも中は明るかった。
窓の下の卓袱台には小ちゃなテレビが置いてあった。昔から自宅の超ビッグサイズのテレビを観ていたおばちゃんには小さ過ぎるだろうと思った。
姉貴夫婦、姪っ子家族、そしてカミさんと私の総勢8人がおばちゃんを囲むように座った。

お袋が緊急入院する前、最後の訪問になったシーンをおばちゃんが思い出し、感慨深げに話した。
「あの時、一番に車から降りてくるふさちゃんを見て、涙が止まらんかったんよ」

しかし、皆が一様に驚いたのは、そんな話をするおばちゃんの容姿だった。
同じ歳のせいもあるだろう。
お袋が少しだけ先に老化してしまっていたのかもしれない。
3年前の葬式の時には決して思わなかったが、今目の前にするおばちゃんが、その姿や顔、素振り、髪型まで、そっくりお袋に似ているのだった。

八鹿市で屈指の土建屋を営む旦那を陰に陽に支え、主人なき後は息子たちに任せきりにはせず、女社長よろしく会社を取り仕切っていた勝気で強い女性のイメージは薄れ、すっかりおばあちゃんになったおばちゃん。

私が子供の頃からシャキシャキで、何をするにも機敏で、歴史の造詣も深かった頭の回転は早く、喋ればまるで三倍速の音声を聴いているみたいだった。

今は幸せ?
そう聞こうとした言葉を飲み込み、「毎日、退屈せえへん?」と訊いてみた。
「上げ膳下げ膳の良い身分よ。それにちょっと城崎まで出かけたいと言ったら、職員さんが車で連れて言ってくれるし、何より田舎といってもこれでも町中で、役場や病院、郵便局など歩いてすぐのところにあるし、すごく便利なんや」

こちらの勝手な思い込みで人の気持ちを判断してはいけないが、亡くなったお袋の面影を見ているようで、込み上げてくるものがあった。
じっと見ているのが正直辛かった。

どんなに裕福に栄華を極めたって、人はだんだん質素に静寂を求めて生きるようになるということなのか。

老いること。
老いゆくこと。
それは何かを捨てて命を満たすこと。
誰もがその過程にいる。

それを悟らずにいつまでも欲望ばかり追い求めていては、結局何も得られずに後悔することになる。身をもっておばちゃんはそんなことを教えてくれている気がした。

終のすみかはどこになるのかは分からない。
それは何も家でなくてはならないものでもない。自分がいるところ、心安らぐ場所ならどこでも、それがそうなるのだろう。

生命そのものが何にも振り回されぬように、金剛不壊の境涯を作り上げさえできれば、終のすみかはこの世の常寂光土へと転じるはずだ。

文字通り、光の土の上に、少しの寂しさというスパイスを利かせながら。

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また来ます。
いつまでもお元気でと祈りながら、山奥の施設を後にして帰路に着いた。