友達や恋人、見知らぬ誰かの何気ない一言が、ずっと耳にこびり付く。
特に学校の恩師の残してくれた教訓や励ましは、それが良くも悪くも、生涯、心の奥底に沈み込み、人生の浮き沈みに合わせて突然、浮かび上がり、何らかの指針を与えてくれる。
先日、ラジオ(ラジオ版『学問ノススメ』)で聴いたのだが、作家の林真理子さんは、中学生の頃、いじめられて人気もなかったという。
ところが、高校に上がり、ラクビー部の顧問をされていた先生との出会いによって自信を得、その後の人生に決定的な影響を受けた。
何が彼女を変えたのだろうか。
先生は、彼女をとにかくかわいがり、いつも彼女に言った。
「林、お前は本当に面白いな。このクラスで有名人が出るとしたら、林だな」
その言葉に、彼女は、非常に感動し、嬉しかったそうだ。
今まで秘めていた元気が湧くのを実感した。
生徒の最大の教育環境は教師の内面だ。
その懐に抱かれた生徒は、大空に飛び立つことも出来れば、海の底に沈められもする。
しかし、学校と父兄に挟まれ、情熱を奪われてしまった教師の心には、どちらも自由に飛べる空などない。
私の如き、教育について語る資格のない焼き肉屋の親父が偉そうに言って申し訳ない。
実際に、今は学校に何の関わりもないくせに無責任でもあろう。
でも、私には、34年ほど前に自分の一大転機となった恩師との心の響き合いがあった。
その時の生徒の立場から言わせて貰っているとご理解頂きたい。
あれは高校1年生の夏だ。
ひねくれた私は、悪行を繰り返し、何度も謹慎処分になっていた。
その最後の謹慎処分中に、ひとり京都に映画を見に行ったのがばれ、さらに重く、校長室の隣の応接室に監禁され、朝から夕方まで教師が入れ替わり立ち替わり、私に指導、説教をしてくれた。
といっても、皆温かく、ざっくばらんとした雰囲気の中、私の心を落ち着かせようとした。
その中でも特に生徒指導の先生が、私に真剣に接してくれた。
言葉だけではなかった。
話の端々に、私のことを心から心配し、励ます並々ならぬ愛情を感じられた。
その威厳の中にも優しさに溢れた眼差しを、生涯、忘れることなど出来ない。
あるとき、話が女手ひとつで私を育てた母親に及んだとき、私は急に、それまでひとりため込んでいた孤独や寂しさ、苦しみや悲しみが一気に吹き出し、その場で小さな子供に戻ったように、おいおいと声を上げて泣いてしまった。
学校側の命令でも、父母からの要求でもなく、教師自らが生徒に働きかけた触発は、必ず生徒に伝わる。
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