一ヶ月ぶりになるだろうか。
箕作山に登った。
すっかり葉を落とした木々の枝先に、
春遠からじを思わせる新芽が、
健気に束の間の冬の日差しに息づいていた。
そう言えば、明日は冬至。
一年でもっとも昼の時間が短い日。
どうりで植物も光合成に必死なわけだ。
そんな気配を肌身に感じる。
ひのきまで、太陽に手を伸ばしているみたいだ。
春を待つのは人間だけではない。
当たり前のことを思い、感動する。
知る人ぞ知る箕作山のボス。
近所の爺さんが、パイプをおいしそうにくゆらせているように見えないだろうか?
ここを通るたびに私は、つぶら爺さんに敬意を込めて囁く。
「おはようございます。お久しぶりです」
爺さんに挨拶した後は、最後に短い急登が連続する。
ようやく辿り着いた箕作山頂上。
閉じ込められた世間の螺旋を離脱し、
唯一安らげる場所。
念のため、家族と過ごす時間以外では、と付け加えておこう。
雲の切れ間から差し込む陽光が、
我が町を優しく照らす。
やっぱり、みんな愛されているんだ、
なんてロマンチストを気取りたくなる景色。
雪の山が不思議の国の山に見える。
こう言う場所は、本当に集中して読書をしたり、内省できるのだ。
でも、山から下りるとほとんど忘れているが。。。
早く帰ろうとせがむ。
やれやれ、彼女用のおやつも忘れてしまったことだし、
仕方ない。
瓦屋寺に下りると、秋が転がっていた。
誰かの忘れ物みたい。
さらに初夏の名残のあじさいが、まだ咲いている?!
政権にしがみつく、どこかの年老いた政治家のよう。
あるいは、私達に義務づけられた、新しい命へのバトンタッチを
怠れば、育つものも生まれて来やしないということを教えてくれている。
ほら、隣のきれいに潔く花と葉を落とした紫陽花は、
来年の春に、蕾が規則正しく神秘的な宇宙を形成し、
花開くことを約束されている。
命を個別のものと見ないで、宇宙全体と悟れば、
生死の流転も肯定できるのに。。。