先週に引き続き、今週も通信大学のスクーリングを受けに、夕べから東京八王子に来ている。

苦手科目である簿記原理に悪戦苦闘した一日が終わった。
明日も同科目の講義があり、それに備えて明朝早くから勉強しようとベッドに入り、うつらうつら眠り掛けていたところ、不安な気持で目が覚めた。
それは、講義終了後に実施される試験への恐怖感ばかりだけではないようだ。

さて、忘れもしない21歳の時に、馴染みの中華料理屋のマスターに、ご年齢を訊いたことがある。
彼が答えるよりも先に、横から沖縄出身のママが、来年で50歳よ、と教えてくれた。
その時私は、その年齢が若い自分とは遠くかけ離れた別世界のことのように感じられた。
しかし、現在私はその歳を既に越えてしまった。
あれから29年という年月が、あっという間に過ぎ去った。
そしてこれからは、同じだけの時間が、
さらに加速化されるに違いない。

何が正しくて何が間違っているのか、それを確かめなければ行動出来ない。

信じたいが為に、疑って、疑って、答えを求めるなんて、そんな時間の掛かる悠長なことなど、ほざいていられない。

もう時間が残り少ないのだ。
あと3分間のカラータイマーが点滅した我らのウルトラマンの如く、怪獣に当たらなくても、パワーが不充分でも、これしかないスペシウム光線を繰り出さなければ空には帰れない。

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同じ机を並べてともに学ぶ若き学友を見てると、正直言って羨ましくもなる。
何処かの国の独裁者や、どんな金持ちや地位も名誉も持った者にも取り戻せない青春という宝を持っているからだ。

当然のことながら、今よりもっと未熟で、我儘で、傲慢だった時期をもう一度取り戻したいとは思わないが、これからの時間は惜しいのだ。

だから、青春時代の一つ一つの出来事が、答えを探して悩み、自己を成長させ、未来へ向かうのに対して、私の一歩は、たとえ間違っていても、己にとっての答えであらねばならない。

そんなことを言っていたら、同じく学友の80過ぎの偉大なる求道者に笑われるだろうか。

だが、昨日まで、一生大切に保存しようとして、汚さぬよう遠慮勝ちに捲っていた蔵書のページに印字が隠れるほどラインを引き、あちこちに書き込みを入れまくり、そうして早くボロボロの本になるように、確かに読んだという足跡を残さなければ。

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