地球環境汚染・生物多様性といった言葉を最近よく聞くようになったが、
生命の循環など目に見えて分かるものではないし、
どれくらい環境破壊が進んでいるのか、
一般の私達には計りようがない。
9月の末に、我が市の猪子山に登った。
頂上近くを尾根伝いに歩いていると、
この季節になると見掛ける標識に出会った。
そうだった、去年の今頃にもここに来て、
見知らぬ熱心な愛好家と一緒に空を眺めたのだった。
そのときは、残念ながら実際にタカを観察することが出来ずに、
朝早くから来てた彼等が撮影し、パソコンに落とした写真を、
無邪気な笑顔と誇らしげな説明とともに、
見せて貰うことしか出来なかった。
ところが今日は、展望広場に大勢の観察者が集まり、
あちらこちらからどよめきと歓声が上がっている。
広場下の社寺前の昨年と同じ定位置で、
カメラを構える後ろ姿からも熱気が伝わってきた。
「あっち、あっち!
すごい!一杯寄ってきてる!」
「おーい!みんなこっちに来い!みろ、集団で飛んで来るぞ!」
40代から70代の大人の男女が、
子供のように夢中になって青空を追いかけている。
その傍らでは、レポート用紙に何やら書き込みながら、
科学者のように冷静に観察している人もいる。
「11時38分、サシバ18、ハチクマ5……」
ど素人の私には、その名称がタカの類名であるらしきことは分かったが、
どれがどっちか、皆目見当も付かず、
鳶が飛んでいても、きっと見分けられなかったろう。
とにかく、朝早くからじっとタカが来るのを待っていたマニアの方々は、
興奮気味に社寺から広場へ、またその逆にへと、上を下への大騒ぎだ。
清々しい天候に感謝し、のんびりと山を歩いていた私もつい釣られて、
童心に火が付き、慌てて携帯カメラでバシャバシャと撮り始め、
空と山上の間を飛び跳ねていた。
お解り頂けるだろうか……。真ん中のやや下のごま粒。
下の木と木の間。
ストレスが溜まるといけないので、ちょっとインターネットから拝借。
ハチクマ
それにしても、大の大人がどうしてこうもタカに夢中になれるのだろうか。
いつしか旧知のの間柄みたいに言葉を交わし、
仲間意識を持ったスキンヘッドの強面のおじさんに聞いてみた。
「格好良いから。。。」
──思わず笑ってしまった。
乗り物やヒーローのフィギュアを持った子供と同じ答えが返ってくる。
でも、この世界の入り口に立ち、少し覗いてみた私にとって素直に理解出来た。
家に帰って調べてみると、
このタカたちはここから遙か1万キロ先のインドネシアまで、
大空を駆けて旅をするのだという。
猪子山上空はその旅立ちの恰好の場所なのだ。
しかし、旅先までには広い海を渡り、いくつもの山を越えなければならない。
その人生にも通じるドラマにロマンを抱き、
自らの夢を乗せ、見送りの拍手を送るのは、
閉塞感に包まれた現代社を生きる私達にとって至極当然かも知れない。
そしてその場所となる猪子山には、素晴らしい自然が残っている。
調査した学者が絶賛して止まない豊かな生態系が息づいている。
琵琶湖から吹き上げる風が山肌を滑るように空に向かい、
その上昇気流に乗って、夢とロマンが大空に飛び立つ。
言っておくが、タカの渡りマニアはただの愛好家ではない。
記録を取り、統計を出し、タカの生態や繁殖行動などをつぶさに研究し、
自然と向き合い、それを犠牲にしようとする物質文明に警鐘をならしている。
それは、猛禽類のタカが食物連鎖の頂点に君臨ししており、
下からの僅かな環境破壊による生態系変化の脅威にも、
敏感に反応することにより見えてくるからである。
自然に触れようとしない私達にはない尺度を彼等は持っている。
そのひとつは、毎年タカの渡りの数を記録してきた統計表である。
自然の傷つき具合の棒線グラフが標示となる。
ちなみに、全国各地でまとめられた統計の中でも、広島の激減振りは凄まじい。
里山などの森林破壊が原因である。
タカだけではない。
世界規模で絶滅危惧種の保護が叫ばれている。
その原因もすべて人間活動にある。
直接的には食用や趣味で、人間が生きるために、
あるいは愉しむために他の生物の命を奪う 。
また、命を貨幣に換える商取引も繰り返されている。
間接的には、開発、科学的有害物質、人口増加と食糧問題、
異常気象などが原因で耕地面積の縮小化があり、
それによる少量多品種から大量単種へと品質改良が進み、
生物多様性が損失されている。
さらには、農薬散布が植物連鎖により害虫以外の上位の生物にも影響し、
しかも害虫自身に抵抗力が付き、より毒性の強い農薬が必要となり、
悪循環、対蹠的な結果を招く 。
そして福島原発では、人為的な災害によって飛び散った放射性物質が、
地球的生態系に長期間に渡り未知なる被害を与えた。
人間の利便性を自然や人間自身が被るリスクよりも優先させた結果である。
しかし、私達の生存場所は、宇宙に向かって拡がっているのではなく、
地表からわずか100キロの大気圏に閉じていることを知らなければならない。
終わりなく複雑に張り巡らされた生態系のネットワークを、
無理矢理単一のケーブルに束ね、一方を自然や人間に、
片方を原発を代表とする進歩と取り間違えられた科学技術に、
正負も確かめずに接続し、絶縁させてしまった。
また、生態系は横にだけではなく、縦に、
それこそストレートに私達の子孫、未来世代へと伸びている。
彼等から預かっている自然の生存権と、
彼等自身の生存権に対する責任と義務を負うのは元より、
このまま行けば、償えるはずのない代償を宙に浮かせることになるだろう。
命は哀しい。
他の命を犠牲にして成り立っている。
生命発生起源に遡れば、当然まだ生態系が存在せずに、
再生不能な資源を消費することによってでしか命のバトンを繋いでは行けなかった。
そんな宿命を持つ私達に何ができるのか。
「自然の中に神を見、その自然と謙虚に対座し、自然の恵みに感謝する」
(「神々の風景」野本寛一・白水社)
味わい深い言葉である。
本来自然環境によって信仰が生成し、
相互的信仰によって自然が保全されてきたのである。
この山の随所にもそうした痕跡が未だ数多く残っている。
その原点に、私達は帰らなければならないのではないだろうか。
でも、この山を愛する私の歩みはぎこちなく、
まだ板に付いていないが、足場を探して注意深く歩きたいと思っている。
その日、タカ柱は見事に立った。
幾十羽の豊かな生態系の象徴であり、王者のタカは、上昇気流に乗り、
はるか未来を目指して確かな羽音を響かせながら大空に旅立った。
それを見送る愛好家がレンズに捉えたのは、時空を越えた瞬間である。
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