この景勝地から燦めく琵琶湖と湖東平野を眺めていると、私たちの住むところはこんなに近くに美しい湖があり、その息が優しく吹いていることを実感させてくれます。

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根を伸ばそうとする脚を休めるのにちょうど良い岩がそこにありました。
木陰に救われて一服するのに最適でしょう。
ここから右手に下りると、少しの距離、崖ほどではありませんが、ちょっと急な細い道になります。が、すぐに整備された木の階段のところに出ます。

反対に左手に進むと、瓜生山(336m)~
雨宮龍神社~地獄越~繖山(443m)~観音正寺~安土山へと約3時間程の尾根道が続きます。

最初は、鬱蒼とした景色も見えない道ですが、地獄越辺りから視界が開けて、琵琶湖や山や空が一体となったような尾根上で、天国に近付けた気分で疲れを忘れられることでしょう。

今世紀が開けた年に繖山は、大きな山火事に見舞われて、何日も消えることなく、広い範囲の森林を燃やし尽くしました。
そのため、大パノラマが広がり、登山者を魅了します。
失われたものばかりではなかったんですね。
でも今も残る焦げた木株など、焼け跡が生々しく残っていて、当時の火事の大きさを教えてくれます。

今日は長女を連れての山歩きなので、こちらには足を延ばさずに、ゆっくり足下に注意しながら右手の急な崖道を下って行きます。

木の階段を足早に下りて行き、途中で振り向くと、さすがに少し疲れたのか、長女が脚が震えるーと言って、速度を鈍らせています。
登りより下りの方が何倍も脚に負担がかかるし、危険なのは常識です。
メリーと私はペースを落とし、長女と私はたわいのない話をしながらのんびりと歩きます。

やがて麓の能登川の町が視線の高さに近づいて来ました。

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東屋も見えて来て、ようやく日常の世界に戻って来た感覚です。

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ここで少し休もうと、東屋に入ると、何やらいけないことですが、柱に誰かが残した落書きがあり、つい読んでしまいました。

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昔ながらの相合傘にふたりの名前を書いた落書きがあります。
両方とも女の子の名前なので、多分地元の高校生が、仲の良かった友達の証として刻み込んだのでしょう。
H18年4月としてあるから、もう、5年以上前に書かれたものです。
それにしてはインクが耐久性に富んでいるのか、まだ鮮やかな状態のままの文字で、きっとふたりの友情も色褪せないで続いていることなのでしょう。

こんなものを見ると、はるか遠い昔に青春を過ぎたおっさんの私は、何だか懐かしくなってしまって、つい東屋の裏側まで回り込み、他に何か書かれていないかと探してしまいます。

ーーすると、やはりありました。
さすが人目につきにくいところの落書きは、一風変わったものやネガティブなものが多いものです。

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「大人なんてキライ キライ キライ」
青春していますなぁ。
そういう君は、たぶんもう大人になって、いろんな経験をして、傷付いたり傷付けられたりして、ずるい大人のように小利口になってしまって生きてやしないだろうか。
その傷つきやすいナイーブなままで、自分の誇りを守り、また守りたいものを見失ってはいないだろうか。

私も卑怯な大人が嫌いなずるい大人です。
でも生きています。
ごめんなさい。

さて、最後に少し早過ぎる命の亡骸を発見しました。

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子供の頃夢中で獲った若いノコギリクワガタの残骸です。
カブトムシにでもやられたのか、道の真ん中に放り出されたかのように転がっています。
しかし、この時はまだ6月なので、そんな木の蜜を取り合う程の虫が集まったとは思えない。

早熟で気の早いクワガタが、大人になるのを嫌がって、群に出会う前に、孤独で苦しみ抜いた末に力尽きた姿のように見えました。

もう少し目先の角を伸ばしていれば、辿り着ける場所もきっとあったに違いないと信じます。