こんにちは(^^)
岡山の整理収納アドバイザー・小児科看護師のYOKOと申します。
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↑国公立大学歯学部歯学科1年生を(成績はクリアしているのに0.5出席が足りなくて)留年する事になった娘の続きです。
(ちなみに、まだ1年生の出欠状況や成績表は届いていません)
2024/4/9になったばかりの夜中に、娘から珍しく電話がかかって来ました。
部活の同期(2年生に進級する)の4人が(全く悪気なく)ご飯に行っていて、それをSNSで見てしまって。
その場に自分がいない事が辛くなった様。
これが現実なんだって
同期の4人は本当に良い方ばかりで「これからもずっと同期だから」って言ってくれているそうなんですけど、失ったモノの大きさや、留年した事を改めて実感した様です
1年生をもう一度するけど、部活では「期」で動く様で、1年生から見ると先輩になるそうで
どっちつかずで不安な様です
うんうん、そうだよね。
私が1番心配していた事です
泣いて電話を掛けて来た事も、私に弱音を吐いた事も初めての事です
現役時代に共通テストの数学で思ったように点が取れず泣いたのは担任の先生に。
(親には浪人させて下さい、予備校の寮に入らせて下さいと言っただけでした)
浪人時代は私が乳がん闘病中だったせいか?泣き言一つ言いませんでした。しかも、予備校の寮生活は楽しいとさえ言っていました。
そんな娘が初めて泣いて私に電話を掛けて来て
「いつでも辞めて帰っておいで」
「命さえあったらいい」
「その後の事は一緒に考えたらいい」
電話でそう伝えました
私にでも泣いて気持ちを吐き出せてよかった〜って思いました
すぐにすぐ私の仕事の休みが取れなくて。
4/9(火)4/10(水)仕事を終えてから、夜中に娘の顔を見に(車で4時間少々)行って来ました
あれこれ聞かず、娘のしたい事を一緒にしたいなぁと思って。お買い物に行って、ご飯を作って。
4/12(金)は私の50歳の誕生日でした
一緒に過ごせて母は嬉しかったです
ちょうど可愛いお財布があって娘に買ってもらいました大切に使います
その夜に岡山へ戻りました
4/13(土)朝から仕事に行きました
私は元々心配性だし、基本ネガティブな人です。
でも、色んな経験を経て、少しずつ強くポジティブになって来た気がします
娘の自立を邪魔してはいけないし、
でも母として何か出来る事はしてあげたい
でも手出し口出しするのは違う気がする。
(本当は手出し口出ししたいタイプなんですけど、子離れ頑張ってます)
転ばぬ先の杖ではなくて、転んだ時にじゃあどうしよっか?って一緒に考えてあげられる母でいたいなって思います
きっとそろそろ彼氏が出来たり、友人や先輩や先生などの「親以外の大人」に相談する事が増えて来るんだろうなって思います。
それでも、私はずっとお母さん。
遠くから応援しています