過去と現在 | LONELY JACK KNIFE

LONELY JACK KNIFE

 日常のことから趣味の世界まで、思ったことをストレートに書いていきます。反論大歓迎(笑)。 アメンバーの申請は誰でも構いませんのでどうぞ。あと、コメントに関しては、アメブロ登録してないと、書き込めない設定になっていますのでご注意ください。





【3月9日 有楽町 アイマショー】



事前のアナウンスでは「アイムザベスト 世界の女は俺のもの」アルバムの【再現】ライヴになるとあった。


近年、往年の海外アーティストやバンドもこの手法を取り入れてるし、何年か前にはレッドウォーリアーズでそれをやっていた。


割りとこの「アイムザベスト」アルバムからはソロのライヴでやる頻度の高い曲が納まっているが、それでもリリース以来ぶりとなる曲や、アルバムには入らなかったシングル曲等も演奏されるとなれば、貴重なライヴになることは間違いないと思った。


もうひとつこの日は、こどもたちと一緒に「ムクロジの木」を合唱するという企画があった。


本編の前ということでチャリティーも兼ねて開催された。


思った以上に多くのこども達が壇上に上がっていて想定外だった。総勢60人くらいいた。

伴奏はクラシックピアニストの宮野恭輔さん。

最初は宮野さんの伴奏でユカイは一人で「君のため」と「君はともだち」を歌った。


子どもたちの合唱は、指導も大変だったとの後日談も聞いたけど、所謂合唱団ではなく、普通に素人の子たちが一生懸命練習して本番を迎えたんだな、という印象。


そう、歌の前に皆で見た映像も感動的だった。

若かりし頃のユカイの映像から、子どもたちと合唱の指導、準備をしている様子、今回のライヴへの意気込み、等がドキュメンタリータッチに編集されたものだった。


今回このような、映像のインサートがライヴスタート前、後、本編、そしてエンドロールと効果的に使われてたところも感動ポイントだったと思います。



そんなわけで、最初、会場入りした時、フロアで子どもたちが走り回っていたり(汗)、お子さんを抱っこしてる親御さんがいたりと、なんかいつもと違う風景だったのも、納得。


第一部のチャリティー企画がおわり、一旦フロアに出された後は、物販があったり、今回のサプライズ企画のフライヤー、特典、サイリウム等が手渡され、程よい緊張感が生まれました。


今回、猪口マネージャーを中心に「ユカイバースデーライヴへのサプライズ企画」をサロン会員とZoom会議で決めてあり、当日知らずに来られたお客さんにもその参加、企画意図等がわかりやすいように説明書きされたものを用意して頂き、更にはスタッフの声掛けもあって、もう準備は万端整いました。


後は、アンコールを待つのみという感じで。


開場前、フロアにあったモニターからは、ユカイの本格的なソロスタートの楽曲「ダーティーヒーロー」「ワンサマーナイト」「アイムザベスト」のMVがエンドレスで流れてました。

それは、着席してからもです。


アイマショーは元々映画館だったこともあり、そのシステムを使えたのか、大画面のスクリーンで流されているものを開演までぼんやり僕は眺めてました。





席に座りながら、思い出したことがある。

中学2年の時、クラスメートの藤井と岡野から「ゴーストバスターズ」を観に行かないか?と誘われついていったことがあるのだが、そこが竣工間もない有楽町マリオンだった。


映画を観ると言えば、浅草か上野と相場の決まっていた僕には場違いな所に来たと思った。

フカフカの赤い絨毯、広すぎる館内、どこもかしこもキラキラしていた印象は今も鮮明にある。


そこは元々日劇などがあった場所で、その舞台が「ウエスタンカーニバル」やGSブームの真っ只中にあったことは後年知る。


ユカイの師匠ミッキー・カーチスやリスペクトシンガーのショーケンやジュリー等も立った場所だということも。


時を経て、日劇は無くなり、僕の強い印象のあった映画館も閉鎖され、マリオンという愛称は残っても時代とともに移り変わってることは確かだ。


ゴーストバスターズのビル・マーレイはロスト・イン・トランスレーションにも出演し、ユカイとの共演もあった。


はからずも【過去と現在】というワードが僕の心に湧いたのだ。


「アイムザベスト 世界の女は俺のもの」アルバムがリリースされた1990年は、ローリングストーンズが遂に来日を果たし、ダーティーヒーローを作曲した織田哲郎の「おどるポンポコリン」が大ヒットしていたし、イカ天の人気からバンドブームが沸き起こり、日本経済もバブルの最盛期であった。


僕はこの年に一人暮らしを始め、バンドをやりたくてメンバー探しをしてたし、バイト先で知り合った大学生らと麻雀やスロット、競馬等を漫然とやっていた。


なんかヘンテコリンな曲だなあと友人に言うと「ちびまる子ちゃんの曲だよ」と雀荘で麻雀をやりながら友人に教えてもらったことも鮮明に覚えてるし、オグリキャップのラストイヤーであったこともよく覚えている。


バイト先が上野界隈だったこともありアメ横で3号機が出る前のスロットを打って帰ることもしばしば。


その頃僕は真面目に働いてたとは言えないし、フリーターだったので金は常に無いような状況だった。

無駄に時間を使っていたことを少しは後悔もするが、多分あの頃は楽しかったのだと思う。




相変わらずスクリーンには外人の「ちゃんねえ」と絡む映像が流されていたが、一転、ユカイご長男による注意事項が流れた。


「携帯電話の電源はお切りください」等というお決まり文言を言葉で伝え、「それではカッコいいお父さんのステージを最後までお楽しみください」と締め、会場からは「可愛い」という声が上がっていた。


のもつかの間、それが終わり暗転すると今度は、マリリンモンローの

「紳士は金髪がお好き」のサントラが流れメンバーが登場してきた。


ロッドの「スーパースターはブロンドがお好き」アルバム


に、多大なる影響を受けたユカイは、自身のアルバムでそのメンバーを呼び寄せレコーディングをした。

MVはそんな時代のユカイ、尖りまくっていたダイアモンドユカイを映し出している。


そして宣言通り、アルバムのトップナンバー「ハリウッドスター」からダイアモンドロックショーがスタートした。


特段MCも無く、逸脱した話も無いままライヴはアルバム通りの曲順で進み、バックはそれを完璧に再現していたし、ユカイも同じキーで歌い、無駄に変なアレンジやフェイクするような歌い方はせず、原曲に忠実に歌っていた。


だから、リリース当時死ぬ程僕は聴いていた「デザイア」にはホント感動した。


そしてアルバムのラストを飾る「アイムザベスト」は、最後の曲と言わないまま始まり、そして終わった。


と同時に僕の心臓がビクンと跳ねた「イカサマだらけのルーレットゲーム」のリフが刻まれる。



となれば当然次は「ワンサマーナイト」だ。


アサキのギターフレーズからの、ワンサマーストーリーアバウチュー〜という台詞もそのままに。


この日アルバムの再現もしてくれたが、あの時レコーディングした全ての楽曲もやってくれた。


感無量だった。

「いつまでもこの胸に♪」という箇所で拳を作り自分の胸を何回も叩いていたユカイが印象的だった。


そこで、一旦ライヴは終わり、アンコールではグレッチのアコギを手にして、続きの「マイエンジェル」を切なく歌ってみせた。


そして、13歳の春、陸橋の上でビートルズの歌を、覚えたてのアコギをかき鳴らし歌っていた頃の思い出話をするユカイに、会場のファンはサプライズのサイリウムを隠して持ってそのタイミングを待っていた。


流れ星に向かって進むのだ、星空のスポットライト!!


と言った後、カウントとともにイントロがスタートしたタイミングで黄色のサイリウムが掲げられた。

ある程度スタッフとの疎通をしてもらっていたのか、場内の照明は暗めだったことも功を奏し、とても綺麗な「星空」が作れた。


僕は2列目中央で観ていたから良くわかったのだが、ユカイは、アコギを弾きながら、一瞬脱力したような照れ笑いをしていたし(この表現わかってほしい)、歌以外でマイクから離れると、ありがとうというような「お辞儀」もしていたし、途中2ヶ所くらい声を詰まらせていたし、最後まで目がウルウルしていたのも照明のせいではないはずだ。


そんな姿を観ていて僕もツツーと涙が溢れた。


本当に感動的な場面だった。





ラストは袖からあゆみさんがワイン片手にハッピーバースデーと言いながら再登場した。


あゆみさんはユカイのライヴのゲストは2回目だったが、今回はダーティーヒーローの前 「HOT LEGS」の演奏途中に袖からティナターナーばりの黒のミニスカートで登場しデュエットをした。


そして「翼の折れたエンジェル」は大きな盛り上がりとなった。


最後の曲、「バラとワイン」の時に投げ込まれたバラにあゆみさんは驚いていたし、「みんなユカイ君大好きなんだねえ~」とも言っていた。





34年という月日はとてつもなく長いが振り返れば一瞬だ。


ボロいアパートに一人暮らしを始めた僕は、結婚をして子どもを2人育て、一軒家に住み、仕事も正社員として真面目に働き、バンド活動もやれ、特に大きな病気もなくなんとなく健康で幸せに暮らせている、見た目はジジイになってるが。


ユカイは「天国にいる仲間たちにも届いたかな」と綴ったが、チャーリワッツも鬼籍入りし、オグリキャップも天に召し、ちびまる子ちゃんのTARAKOも亡くなるというショックなニュースもあった。



華々しくソロの皮切りを1990年にしたダイアモンドユカイはずっと変わらず音楽活動をしている。


ブロンドの「ちゃんねえ」を侍らし尖っていた頃のダイアモンドユカイと、お父さん、そしてPTA会長として小学生を相手に合唱の手解きをしている今のダイアモンドユカイをこの日まざまざと見せ付けられたのも「34年」という月日の長さを物語っている、と思った。


過去と現在。


ひとつだけ変わってないものがある。


それは、

「ユカイくん大好きなんだね〜」という気持ちだ。