まず、不義理なことをしたことを謝る。
先月誕生日を迎え、友人がプレゼントをくれたのだが、感謝の意を伝えるのが遅くなってしまった。3ヶ月ちょっとで11キロ痩せるくらい忙しかったというのは言い訳でしかなくて、顔向け出来ないくらい申し訳ないことをした気持ちだ。ごめんなさい。
その友人とは、以前ブログに書いた、自分にとって数少ない友人の中でも特別で、唯一無二な存在の友人である。知り合いの中で2番目に面白い人間。1番は自分なので、実質1番面白い。一生をかけて観察しても、分からないことだらけなんだろうなこの人のことは、と思う。
そんな友人から、マリファナが届くという通知が来た。初めてのマリファナ、吸う前から気分は高揚した。その証拠である。
まさか、こんなにも正面突破で違法なものを届けてくるとは思わなかったので、やはり変わった友人だ。
この通知の翌日、例のブツが届き、段ボールを見るも無惨な姿になるくらい破り開け、手に取った。そのブツがこれだ。
マリファナではなく、コカイン??
いや、それ以上に心躍る、砂時計。
俺は、砂時計が好き。ずっと見ていられる。液体かと思うほどに細やかな砂が淀みなく落ちる様は、心に安らぎを与えてくれる。無駄なことを考えすぎてしまう人種に生まれたので、ただただ、没頭させてくれるものが好きなのだ。
そして、砂時計を好きな大きな一つの理由は、人生を感じるからだ。
俺は、まだ死んだことがない。ということは、記憶がない赤子の頃からこの命が続いている。だが、それがあまり信じられない。
先生に怒られて廊下に立たされたのに、廊下のロッカーをよじ登り、教室を覗いてニヤニヤしていた幼稚園時代の自分と今の自分と同じ生き物だとは、どうしても思えない。人生はマラソンだとか、止まらない何かに喩えられることが多いが、少し違う気がする。その側面があるのは理解しているが、2つの砂時計をもって成立しているというか。
3分の時間の繰り返しでしかなくて、途中途中終わりが来ないととてもじゃないが、生きてられない。稼働と休息を繰り返して人生が成り立っている。ただ、こっちの砂時計は、自動でひっくり返される。何もしなくても時間は進んでいく。
俺が、大事にしないといけないのはもう一つの100キロは超えているであろう砂時計の方。簡単にはひっくり返せない。だが、人生には、意図的に砂時計をひっくり返さないといけないタイミングがいくつかある。
持ってる力だけでひっくり返そうとしようもんなら、重くてひっくり返らないが、努力や決意などといったロープのような道具を使えばひっくり返せる。
そして、今俺は、人生で何度か迎える、この重い方の砂時計をひっくり返しているところだ。
社会に放り出され、何もしなければ、砂時計が落ちきったまんま需要がなくなる。社会からも、自分からも。命を落とした時が死ではなく、「自分が自分から需要がなくなった時が人間の死」である。
生きているとめちゃくちゃ面倒くさい。面倒くさいことだらけで、やってられない。だが、もう少し観察したい友人や、持ちたい家庭、死を見届けたい家族がいるから死ねない。
砂時計をひっくり返す人生、ここから大どんでん返しの人生。
ちなみに、プレゼントとともに、なんだかやかましいメッセージがついてた。
俺は昨日も明日も、仕事に行く前にこの砂時計をひっくり返してから家を出ている。本当にありがとう。


