音楽の世界には、自分のことを歌われたら、また曲で返す文化がある。
いわゆるアンサーソングというもの。
そのほとんどは、ディス曲への返しということが多く、曲の上で喧嘩してるようなものだが、中にはそうでないものもある。
アンサーブログというものがこの世に存在するとしたら、これはそれだ。
すごく大切な友達がいる。
いや、友達がすごく大切になっていた。
元々その友達は、高校が同じ。
だが、特に高校時代は話したことがなかった。
交わることがなかった、という感じだろうか。
その友達は、よくツイートをしてくれる。
俺は、今のように仲良くなる前から、そのツイートを見ては、素敵な感性を持っている人だなあと、漠然と憧れや畏敬の念に近いようなものを感じていた。
そんな中、その友達がブログを書いていることを知り、初めてアメブロというものを開いた。
Twitterは、簡単な気持ちでツイートをしたりすることが多いと思う。
しかし、ブログに書き起こす時は、少し頭を整理して文章にしているものだろう。
それだからだろうか、ブログを読み進めていくと、勝手に人の脳内を覗いているようで、何かいけないことをしている感覚になったのと同時に、ツイートレベルで共感を含む憧れを抱いていた俺は、ブログをスクロールする手が止まらなかった。
それまでに書かれていたブログを全て読み終えると、今まで深く絡んだことがないにも関わらず、メッセージを送っていた。
「こんにちは。あなたの思想のファンです。
恐縮ながらいくつかブログ拝見させて頂きました。
正直、やられた!先越された!って思いました。
そして決心しました。僕もブログ始めます。
前々からやりたかったけどなんとなく始めれなかったので、決心させてくれたことへの感謝を伝えたくてメッセージ送らせていただきました。
ありがとうございます。」などと。
「やっぴ~!ファンレターはじめてだ!ありがとう!」
明らかに熱量の違う、アホみたいな返事が届いた。
これが、本当の意味でのその友達との出会い。
それから何度も、生きていく上での悩みや、ふとした世の中の現象に対する思いを共感させ、ご飯にも行き、LINEもするようになった。
自分だけでは整理できないことが出てきたときに、真っ先に意見を求めるのもその友達だった。
そんな友達がつい先日、誕生日を迎えた。
大学が地方なので、寮に入り、一人暮らしをしていることと、帰省時に都合が良くなかったこともあり、直接は会えなかった。
しかし、もちろん日頃の感謝を込めてお祝いをして、何より喜ばせたかった。
生きづらい毎日の中で、誕生日くらい口角が下がらないような日にしたかった。
あまりに共感が多いため、たまにその友達に自分を投影させてしまうことがあるのだが、それもあってか、心から嬉しいで満たされる瞬間を作ってあげたかった。余計なお世話かな。
まぁ、誕生日を迎え、プレゼントは郵送、という状況になった瞬間に、俺は本当に喜ぶものかつ、オリジナリティのあるセンスプレゼントを見つけ出すことが決まった。
正直、大変だったが、ものすごく楽しかった。
俺自身も知らなかった好奇心をくすぐって止めないものがこの世にはたくさんあることを知った。
初見だったのもあって、実際に受け取る側がどう感じるかは最後まで不安だったが、引くくらい正解した。
今まで人へのプレゼントは、式に当てはめて正解するような感じだった。
その人と関わってて拾った好みを逃さないように知識として頭に入れておいて、プレゼントの機会が来たら間違いのない回答をする。
しかし今回は、関わってて感じたその友達の好みを集めて集めて、ということはこういうものも好きなのではないかな?という提示のような回答をした。
共感の多い友達へのプレゼントなので、その回答には、俺の趣向も含まれている。
だから、記述問題に大正解した感覚だった。
これは嬉しい。しかも、面白い考え方だね!なんて赤ペンで一言添えてあった。
それくらいその友達は、喜びを伝えてくれている。
なので俺も嬉しくて、その回答用紙をランドセルに入れずに両手で胸の前に抱えている。
プレゼントした側の方が、嬉しく感じているかもしれない。
天候によって変化するものをプレゼントしたが、俺はこの友達との関係は変わってしまうことなく、ずっと大切にしたい。
最初にメッセージを送った日から、2年も経っていないのだが、俺の今の人生にとって1番大切な人だと言っても何も言い過ぎではない。
ありきたりだが、やはり年月ではないんだなと思う。
その友達は、たくさんありがとうと直接伝えてくれたが、伝わりきってないと勘違いしてるみたいで、今後も様々な行動によって喜んでること伝えるからねと言っていた。
とっくに伝わっているのだが、嬉しいし、感謝をたくさんされることに越したことはないので、ありがたく感謝されようと思っている。
人に感謝できる量に限りがあっても迷わずありがとうと伝えるだなんて言われて、伝わってないわけないでしょと思うが。
嬉しくないと出来ない行動を持って伝えると言ってくれたし、実際、アイコンを変えることを頑なに拒む友達が俺があげたプレゼントをアイコンにしているのなんかを見ても俺はものすごくニヤニヤした。
口角が下がらないのは俺の方だね。
お互いに、考えすぎることは止められないだろうし、止める必要もないと思うから、この世にたくさんの感謝と少しの憂いを持って生きづらさをその友達と楽しみたいなと思う。
因みに俺は、この人生をなかったことにできるボタンが目の前にあったら恐らく好奇心で押してしまう。
だけど、この人生でなくても、巡り合えたと思うし、巡り合いたいと思う。
それくらい俺にとって大切。
そう、誕生日を経て、すごく大切な友達ができたと言っていた。
最初、俺もそうだなと思っていたが、思い返してみると少し違かった。
気がついたらメッセージを送っていて、俺がどうしても会って話してみたくなってご飯も誘って、LINEの交換をお願いしたのも、初めて電話をかけたのも、今電話をかけるのも俺だった。
だから俺は、知らず知らずのうちにものすごく大切な友達になっていたという表現がしっくりくるよ。
俺のことを素敵に書いてくれたブログ、当日のうちに読んだんだけど、「ブログ読んだよ!ありがとう!」ってLINEを送るより、俺も想いを書きたかった。
いつ気づくかな。
これは、本当に嬉しかったからこそ出来る行動だよ。
それにアンサーブログだなんて粋でしょ?
「、」いつもありがとう。
これは俺の、友達がすごく大切になっていた話。