ジャズ喫茶バリレラ オススメの1曲 Duke Pearson「Say You're Mine」 | 七梟のブログ

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ジャズ喫茶バリレラ オススメの1曲 No.855 Duke Pearson「Say You're Mine」

 

 

【Now Playing】
Track:Say You're Mine
Performer:Duke Pearson
Title:The Phantom
Year/Place:September 11, 1968/ Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, New Jersey
Released:1968
Label/No/Format:Blue Note/BST 84293/STEREO
Engineer:  Rudy Van Gelder
Notes:
☝︎デューク・ピアソン。どれも持っていたいピアソンのレコードの中でもオススメ。練られたアルバム・コンセプト。動と静の使い分け、楽器の配置、オシャレ、センスのかたまりのピアソンならではのレコード。

 

Duke Pearson ‎/ The Phantom | FISH FOR RECORDS

 

『The Phantom』は、アメリカのピアニスト兼アレンジャー、デューク・ピアソンによる12枚目のアルバムで、1968年に録音され、ブルーノート・レーベルからリリースされたパフォーマンスを収録しています。

 

デューク・ピアソンがブルーノートに残したリーダー・アルバムの1枚。フルートやヴァイブ、コンガなどをフィーチャーした異色の中型編成の中で、愛らしいピアノと快適なリズムが心地良く響く。刺激的であると同時に、知性的である。この両者が、これほどの高レベルで表現されることは難しい。刺激に走れば、粗野になる。一方で理知に走れば、感情が込められない冷たい音楽になる。両立させたところにDuke Pearsonのセンスと知性を感じる。しかも、彼の他のアルバムと比べても、刺激的なところがずば抜けて良い。最高の一枚である。フルートのJerry Dodgionは情熱的な音色が特色。vibraphoneのBobby Hutchersonは前衛音楽にも傾倒した人である。やはり熱く、音が力強い。この2人を揃えたから、熱の入った演奏となった。さらにリズムがエキゾチック。彼自身が「今までよりもエキゾチックな音楽を試したかった。様々なムードに光を当てながら」(ライナーノート)と狙った通り。曲毎に多彩なリズムや雰囲気でありながら、どれも情熱的な音楽になっている。一方で知的な響きに、Pearsonの特質を感じる。これは他のアルバムでも聴かれる通りで、裏切らない。彼以外のメンバーも皆、演奏レベルが高く余裕が感じられる。巧みに抑えて演奏するところに、知性を感じる。知的労働で疲れた後に、頭をリフレッシュするのに格好の音楽だ。刺激的でありながら、知的だから、思考で凝り固まった脳が刺激され、少しずつほぐれる。濃いコーヒーでも飲みながらだと、爽快になる。知性と刺激がよく融和した、素晴らしいアルバムである

 

Duke Pearson: The Phantom (Tone Poet 180g) Vinyl LP ...

 

1. The Phantom
2. Blues For Alvina
3. Bunda Amerela
4. Los Ojos Alegres
5. Say You're Mine
6. The Moana Surf

 

 

Jerry Dodgion (fl, afl)
Bobby Hutcherson (vib)
Duke Pearson (p, arr)
Sam Brown (ac-g)
Al Gafa (el-g)
Bob Cranshaw (b)
Mickey Roker (d)
Victor Partajo (cga)

Rudy Van Gelder Studio,
Englewood Cliffs, NJ, June 24, 1968

 

 

The Phantom

 

 

Blues For Alvina

 

Bunda Amerela (Little Yellow Streetcar)

 

Los Ojos Alegres (The Happy Eyes)

 

Say You're Mine

 

The Moana Surf

 

 

 

 

Amazon | The Right Touch [12 inch Analog] | Duke Pearson ...

デューク・ピアソン(Duke Pearson、1932年8月17日 – 1980年8月4日)は、アメリカ合衆国のジャズ・ピアニスト、作曲家。  オンライン・データベースの「オールミュージック 」は、「プロデューサーとして、ブルーノート・レコードの1960年代におけるハード・バップ路線の大部分を肉付けした」人物と評している。

 

DUKEPEARSON.jpg

ジョージア州アトランタ生まれ。本名はコロンバス・カルヴィン・ピアーソン・ジュニア(Columbus Calvin Pearson Jr.)という。

最初は5歳で金管楽器を学んだが、歯の問題から別の楽器に切り換えざるを得なくなり、ピアノを覚え始めた。楽才が芽生えると、おじからデューク・エリントンにあやかって「デューク」というあだ名を頂戴する。クラーク・アトランタ大学に在学中は、アトランタ周辺の楽隊に加わり、トランペッターとしても活動した。1950年代に米国陸軍に入隊。

 

ピアソンは、ジョージア州やフロリダ州のさまざまなアンサンブルと活動を共にし、タブ・スミスやリトル・ウィリー・ジョンとも共演した。その後1959年1月にニューヨーク州に進出する。ニューヨーク・シティでは、アート・ファーマーや、「ジャズテット」ことベニー・ゴルソン・クィンテットと共演しているところをトランペッターのドナルド・バードが目撃して、ピアソンに注目するようになった。

その直後にバードから、ペッパー・アダムスと結成した新しいバンドに入団するように頼まれている。また1961年には、ナンシー・ウィルソンのツアーの伴奏者を引き受けた。

同年バード=アダムス・ショーの前に病気になり、新入りのハービー・ハンコックと交代した。結局「ジャズテット」のキーボード奏者の地位は、永久にハンコックのものとなった。

 

1963年にドナルド・バードのアルバム『ア・ニュー・パースペクティブ』の収録曲のうち4曲を編曲し、そのうち「贖い主キリスト(ポルトガル語: Cristo Redentor、コルコバードのキリスト像を指す)」は大ヒットを収めた。(この曲は、バードがウィルソンとの演奏旅行でブラジルを訪れた際の印象に基づいている)。

同じく1963年にアイク・ケベックが亡くなると、ブルーノート・レコードの後任A&Rとしてアーティストのスカウトも担当した。

1963年から1970年までブルーノートの数多くのアルバムのために、セッション・ミュージシャンやプロデューサーを務め、またバンドリーダーとして自身のアルバムも録音した。奇妙なことに、ピアソンは、ドナルド・バードと共同でビッグバンドを率いてアトランティック・レコードで録音を行なっており、アトランティックとの契約が刺戟になったと本人は信じていた。

バード=ピアソン楽団には、チック・コリアやペッパー・アダムス、ランディ・ブレッカー、ガーネット・ブラウンらの顔触れが揃っていた。アダムスとブレッカー、ブラウンの3者は、サド・ジョーンズ=メル・ルイス・ジャズ・オーケストラのメンバーでもあった。

バード=ピアソン楽団とジョーンズ=ルイス・オーケストラは、同じナイトクラブ「ヴィレッジ・ヴァンガード」で演奏を行なったが、同じ日の夜に演奏したことはなかった。3人がどちらのバンドで演奏するのか、したいのかは、個々人の裁量に任されていた。

 

1966年にブルーノートがリバティ・レコードに買収されると、役員が変わった。創設者のひとりアルフレッド・ライオンは1967年に引退し、もう一人の創設者フランク・ウルフは1971年に亡くなった。

ピアソンもついに1971年に同社を退き、クラーク大学で教鞭を採るようになった。

1973年はずっとカーメン・マクレエやジョー・ウィリアムズとツアーに出ており、最終的にはその頃に自身のビッグ・バンドを再結成している。

1970年代に多発性硬化症を患い、そのため1980年にアトランタ退役軍人病院で死去した。