【立川談春】 慶安太平記~善達の旅立ち~【Tatekawa Danshun】
立川談春「慶安太平記~善達の旅立ち」
芝の増上寺に何百という坊さんが集結した。増上寺、伝通院、霊厳寺、霊山寺の4つの寺が25両ずつ、計100両を毎年、京都の知恩院に納めていたが、やがて3年に一度、300両を納めることになった。この年は増上寺が年番だ。「300両を知恩院に届けてもらいたい。誰かおらぬか?」と告げられ、手を挙げさせる。日に25里走って、行きに5日、帰りに5日かかる。もし届けられなかったら、立て替えてもらう。それができなければ、命に代えて詫びてもらう、という。皆、遠慮して、誰も手を挙げるものはいない。「つらい旅ではある。だが、選ばれた己に誉れを感じてほしい。誰かおらぬか?」。すると、一人の男が手を挙げる。「その遣い、拙僧が参る」。善達という大男。「25里駆けられるか?」「30里でもなんでもない。頑張れば40里は駆けられる」「300両なくすと、命はないぞ」「一切、承知した」。ゴマの蠅と称する旅人を襲って、物を奪い、斬り殺す輩がいる。それに立ち向かっていかなくてはならない。
善達は300両を預かり、肌着に縫い付け、出発した。と、途中に一人の男が煙草を吸っている。印半纏を着て、一見すると飛脚風。40過ぎ、50手前という歳の頃だろうか。右の頬に刀傷がある。誰かを待っているようだ。善達はスタスタと歩いていく。向こうは足元まで見下ろす。人相が良くない。ゴマの蠅か?追いかけるなら、追いかけてこい。品川青物横丁で右に折れた。一安心して、鮫洲から六郷の渡しで舟が出るのに乗る。「やれ、安心」と腰を下ろすと、さっきの飛脚風情が座っている。