中森明菜 セカンド・ラブ | 七梟のブログ

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中森明菜 セカンド・ラブ

 

 

「セカンド・ラブ」は、日本の歌手中森明菜の楽曲。この楽曲は彼女の3枚目のシングルとして、1982年11月10日にワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)のリプリーズ・レコードレーベルよりリリースされた (EP: L-1620)。

 

「セカンド・ラブ」は、1983年3月23日発売のスタジオ・アルバム『ファンタジー〈幻想曲〉』からの先行シングルとして、1982年11月10日にシングル・レコード (EP: L-1620)で発売された。シングル・レコードのライナーノーツには本曲の楽譜が掲載された。

 

この楽曲は、デビュー曲「スローモーション」と同じく来生えつこ・来生たかお姉弟による作詞・作曲のバラード曲で、萩田光雄が編曲を手掛けた。プロデュースは前作「少女A」に続いて小田洋雄が担当した。

楽曲自体は、もともとは大橋純子への提供予定曲であった。来生が1981年に大橋に提供した「シルエット・ロマンス」がヒットしたことから、楽曲提供依頼が再度あると見越して制作・ストックされていた。

しかし、このサードシングルについては前作『少女A』のヒットによって大モメになった経緯がある。サードシングルはこの「セカンド・ラブ」で決まりかけていたところで、担当ディレクターが「『少女A』と同じ様な流れ(ツッパリ路線)を確立したいので、次も売野雅勇作詞のこの曲で行きたい」として、この前月に発売されたスタジオ・アルバム「バリエーション〈変奏曲〉」収録曲である「キャンセル!」を提案。これに社内からも「『少女A』の流れを止める理由はない」として「セカンド・ラブ」に否定的な声が出始め、完全に「キャンセル!」に傾いていた。しかし宣伝担当者は「セカンド・ラブ」にしたいという一心であり、このムードがなかなか変えられない中で、当時制作宣伝統括者であった寺林晁に訴えたところ、寺林も「明菜は幅のあるボーカリストであるべき」などと同意見であってこの訴えを聞き入れ、その場で制作現場に指示。サードシングルは「セカンド・ラブ」に決まった。

中森は、この楽曲に深く感動し、繊細な歌詞とメロディに心を揺さぶられるあまり、自身が歌うべきなのか?、また、他の歌手が歌唱しても大ヒットする楽曲との確信から、ヒットしなかったらこの曲に対し申し訳無い気持ちであったと明かしている。

 

本曲がベストテン番組で初の1位を獲得した際には、喜びとともに安堵感があったと中森は語っている。1983年1月13日に放送されたTBS系音楽番組『ザ・ベストテン』出演時に、風邪の影響からこの楽曲の歌唱中に声が出にくくなってしまい、歌唱終了後中森は思わず悔し涙をこぼす場面があった。このシーンは1983年の『ザ・ベストテン』の回顧録として語られている。

放送前に番組スタッフは体調を気遣い口パクを提案したが、明菜本人は「テレビを見ている人に失礼だから」と生歌を選択した。

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