【俳優の朗読】「待つ」作:太宰治 解説あり | 七梟のブログ

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【俳優の朗読】「待つ」作:太宰治 解説あり #オーディオブック #睡眠導入 #青空文庫 #名作文学 #国語 #橋詰高志

 

 

橋詰 高志 Takashi Hashidume (@hasshi.9) • Instagram photos ...

橋詰高志

 

大戦争が始まってから、「私」は毎日、省線の小さな駅のベンチに座って誰かを待っています。

それまで「私」は、家て母と二人のんびり暮らしていましたが、それは悪いことのような気がして落ち着いていられなくなりました。


「私」もお役に立ちたい気持ちで、外へ出たところで行き場はなく、毎日こうしています。

お役に立ちたいというのは嘘で、胸の中では不埒な計画がちらちらしているような気もする。
一体、「私」は誰を待っているのだろう‥人間ではないかもしれない。
もっとなごやかな、ぱっと明るい、素晴らしいもの。なんだか、わからない。

「私」は一心に待っている。そして毎日むなしく家へ帰る二十歳の娘を忘れないでください。
駅の名前は教えません。それでも、あなたは、いつか私を見掛ける。

 



 (1)「私」は誰?

作中の「私」は大宰に重ねるのが一般的だが、私見では「平和」と読む方がしっくりする。
大宰は女性独白体でひたすら「待つ」ことを語るが、最終場面で「私は二十歳の娘」と明示し、
その存在を強調、印象付けて最後に「何処の駅であろうが、あなたはいつか私を見掛ける。」
と締めている。

 

 

(2)何を待つ?

①「私」(=平和の女神)は大戦争が始まったことで居る場所を失った。
始まるまでは、ともあれ静かにひっそり過ごしていたが、それは適わず、外へ出るしかなくなった。といっても、行き場は駅のベンチしかなく、そこに行き交う人々の動き、雰囲気はとても恐ろしい。
    
「私」は、「私」が違和感なく溶け込める時代、新しい世の到来を一心に待つしかない。



②つまり、大戦争が始まらなければそれなりにしていたが、大戦争が始まると次の時代を待たざるを得なくなった。先ずは、大戦争が終わることを待つしかない。
     
そして 戦後の新しい世にはどんな姿を望むか、それは「もっとなごやかな、ぱっと明るい、素晴らしいもの。」と思い惑っている。