The Beatles - I Me Mine | 七梟のブログ

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The Beatles - I Me Mine (Music Video)

 

 

「アイ・ミー・マイン」(I Me Mine)は、ビートルズの楽曲である。1970年に発表された12作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『レット・イット・ビー』に収録された。ジョージ・ハリスンによって書かれた本作は、1970年4月に解散する前にレコーディングされた最後の楽曲となった。歌詞は、人間の身勝手なエゴイズムを皮肉ったもので、ワルツ調のヴァースとハードロック調のコーラスが繰り返されるという構成になっている。

The Beatles - I Me Mine (1970 Glyn Johns Mix)

1969年1月にトゥイッケナム映画撮影所でリハーサルが行なわれたが、ジョン・レノンは参加せずに曲に合わせてオノ・ヨーコとワルツを踊っていた。このときの様子は映画『レット・イット・ビー』に収録された。同年内にレコーディングされることはなかったが、後に映画の内容との整合性をとるためにレノン以外の3人で1970年1月にEMIレコーディング・スタジオでレコーディングされた。アルバムの発売にあたり、プロデューサーのフィル・スペクターによってオーケストラと合唱がオーバー・ダビングされ、コーラスと2番目のヴァースを繰り返すなどの編集が施されて、演奏時間が長くなった。

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ハリスンは、1969年1月7日にトゥイッケナム映画撮影所で行なわれたリハーサルで「アイ・ミー・マイン」を書いた。当時ビートルズは、後に『レット・イット・ビー』としてリプロデュースされたアルバム『Get Back』のためのレコーディング・セッションに取り組んでいて、同セッション中には1966年以来となるコンサート活動を行なうことも予定されていた。その一方でメンバー間では、レノンとポール・マッカートニーの主導権争い、レノンの後の妻となるオノの介入などから不和が生じていた。

ハリスンは、メンバー間の不和からインスピレーションを得て本作を書いた。セッションの方向性について議論がなされた1月7日には、マッカートニー作の「マックスウェルズ・シルヴァー・ハンマー」の度重なるリハーサルが行なわれ、レノンが同作について皮肉を交えた反応を示した。ハリスンはセッションに際して、いくつか新曲を提案したものの、他のメンバーから却下されることが多々あった。このことについて、ハリスンは「ソングライターとして経験が豊富なジョンとポールは自分たちの曲を最優先にし、僕の曲を後回しにしていた」と不満を述べている。『ゲット・バック』のセッションで残されたテープを研究したダグ・サリピーとレイ・シュヴァイクハートは、著書『Get Back: The Unauthorized Chronicle of the Beatles' Let It Be Disaster』で「レノンとマッカートニーは、ハリスンの曲が『自分の曲よりもはるかに優れている』と判断したときも、たびたびハリスンの曲を没にしていた」と書いている。

「アイ・ミー・マイン」に取り組む際、ハリスンはエゴイズムの「永遠の問題」について研究していた。同作における見解についてハリスンは、LSDの服用した経験から得られたものと語っている。本作についてハリスンは「『アイ・ミー・マイン』のテーマは『エゴ』。僕の周りにはエゴが渦巻いていて、頭がおかしくなりそうだった。自分のエゴにまつわることを嫌悪していた。すべてが失敗で、僕が嫌ってる刹那的なものばかり。ただだんだんとここには古い雄弁家ではない誰かがいるということがわかってきた。『僕は一体何者なのか』という問いが日々の命題になった。とにかくこの曲はそういうエゴにまつわる曲なんだ。人間の永遠の課題さ」と語っている。

「アイ・ミー・マイン」のヴァースのキーはAマイナーで、コーラスのキーはAメジャー。同主調を使用した作曲は、ビートルズにおいて一般的となっており、ハリスン作の「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」や「サボイ・トラッフル」でも採用されていた。当初フラメンコ調の楽曲のパッセージが含まれていたが、この部分は「I me me mine」というフレーズを繰り返すコーラスに置き換えられた。完成バージョンでは、イントロ、ヴァースとコーラス、それに続くヴァースで構成されている。また、ヴァースとコーラスで拍子が異なっており、前者は4分の3拍子で、後者は4分の4拍子となっている。