(ドヴォルザーク) 弦楽四重奏曲第12番『アメリカ』 | 七梟のブログ

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気まぐれ

The New York Philharmonic String Quartet performs Dvořák’s American Quartet

 

 

The New York Philharmonic String Quartet (Frank Huang and Sheryl Staples, violins; Cynthia Phelps, viola; Carter Brey, cello) performs Antonín Dvořák’s String Quartet No. 12 in F (American)*. 

 

Allegro ma non troppo 00:00 

Lento 09:24 

Molto vivace 17:30 

Finale: Vivace ma non troppo 21:21

 

 

この演奏は、2016年11月20日にニュージャージー州リッジウッドのウェストサイド長老派教会で行われたParlance Chamber Concertsで行われました。 

 

 

弦楽四重奏曲第12番 ヘ長調 作品96, B. 179 は、アントニン・ドヴォルザークが1893年に作曲した弦楽四重奏曲。ドヴォルザークの室内楽作品の中でも最も親しまれている作品のひとつであり、一般に『アメリカ』( "American" )の愛称で親しまれている。


1892年9月、ドヴォルザークはニューヨーク・ナショナル音楽院の院長としてアメリカに渡った。彼は黒人霊歌やアメリカ先住民達の歌に興味を持ち、黒人霊歌の編曲者で歌手であったハリー・サッカー・バーレイを自宅に招いて歌を歌ってもらったり、大衆的な歌謡ショーであるミンストレル・ショーのためにスティーブン・フォスターが作曲した歌曲にも興味を持っていた。

こうした音楽が彼のアメリカ時代の作品には大きな影響を与えている。その代表作が前作の『交響曲第9番 ホ短調《新世界より》』(作品95, B. 178)であり、本作であり、後に書かれる『チェロ協奏曲 ロ短調』(作品104, B. 191)である。

彼は、1893年5月に『交響曲第9番《新世界より》』を書き上げ、アメリカでの最初の夏期休暇を、チェコからの移民が多く住んでいたアイオワ州スピルヴィル(en)で過ごすことにした。

音楽院でヴァイオリンを学んでいた学生ヨゼフ・ヤン・コヴァリックの父親の家に招かれたのであった。この地でくつろいだドヴォルザークは、コヴァリック一家が演奏するためにこの作品を驚くべき速度で作曲した。1893年6月8日に着手するとわずか3日間でスケッチを終え、6月23日には完成させていた。

初演は1894年1月1日に、クナイゼル弦楽四重奏団(en)によってボストンで行われた。

 

『アメリカ』という愛称はドヴォルザーク自身の命名ではなく、本作がアメリカ滞在中に作曲され、黒人霊歌やアメリカ先住民達の歌から着想を得ていることが由来であるが、ドヴォルザーク自身は本作について「アメリカで書かれた2番目の作品である」とコメントを遺している。

また、『アメリカ』という愛称が定着する前は、「黒人」を意味する『ニグロ』( "Negro" )や『ニガー』( "Nigger" )といった愛称で呼ばれていたが、この単語は黒人への蔑称(Nワード)としても使用されてきたため、1950年代頃に廃止された。