ジャズ喫茶バリレラ オススメの1曲  Nina Simone「Blue Prelude」 | 七梟のブログ

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ジャズ喫茶バリレラ オススメの1曲 No.771 Nina Simone「Blue Prelude」

 

 

 

【Now Playing】
Track:Blue Prelude
Performer:Nina Simone
Title:The Amazing Nina Simone
Year/Place:, 1959/Van Gelder Studio, Hackensack, New Jersey
Released:1959
Label/No/Format:Colpix/CP 407/STEREO
Engineer: Rudy Van Gelder
Notes:

 

☝︎ニーナ・シモン。デビューまもない1959年「The Amazing Nina Simone」。まさにアメージング。オールジャンルを歌うジャンルを超えたディーヴァ。

 

The Amazing Nina Simone / ジ・アメイジング・ニーナ・シモン ...

 

コルピックス移籍第一弾となる'59年作品。
編曲・指揮はボブ・マーセイによるもので、うっとり聴かすバラードから小気味好いスウィングまでジャジーに演っており、スロー〜アップテンポと交互に収録されたアルバム構成のバランスも絶妙です。
 

 

■TRACKLIST
A1 Blue Prelude
A2 Children Go Where I Send You
A3 Tomorrow (We Will Meet Once More)
A4 Stompin' At The Savoy
A5 It Might As Well Be Spring
A6 You've Been Gone Too Long

B1 That's Him Over There
B2 Chilly Winds Don't Blow
B3 Theme From "Middle Of The Night"
B4 Can't Get Out Of This Mood
B5 Willow Weep For Me
B6 Solitaire

 

 

 

NINA SIMONE / The Amazing Nina Simone (LP) / Colpix ...

 

Nina Simone (vo, p)
Orchestra conducted & arranged by Bob Mersey.
New York, May 1959.


 

 

Blue Prelude

 

 

Children, Go Where I Send You

 

Tomorrow

 

Stompin' at the Savoy

 

It Might as Well Be Spring

 

You've Been Gone Too Long

 

That's Him Over There

 

Chilly Winds Don't Blow

 

Theme from Middle of the Night

 

Can't Get Out of This Mood

 

Willow Weep for Me

 

Solitaire

 

 

 

In History: Nina Simone on how racial injustice fuelled her ...

ニーナ・シモン(Nina Simone/ˈniːnə sɨˈmoʊn/、1933年2月21日 - 2003年4月21日)は、アメリカ合衆国のアフロアメリカンのジャズ歌手、フォーク、ブルース、R&B、ゴスペル歌手、ピアニスト、公民権活動家、市民運動家である。本名はユニース・キャスリン・ウェイモン(Eunice Kathleen Waymon)。スタンダード・ナンバー「悲しき願い」のオリジナル歌手として知られる。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第29位。

「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第21位。

 

Nina Simone | Facts, Biography, & Music | Britannica

1933年2月21日にノースカロライナ州、トライロンで7人兄弟の6番目として生まれた。4歳からピアノを弾き始め、彼女の才能にほれ込んだ周囲のバックアップを得る。

クラシック音楽教育で有名なジュリアード音楽院でレッスンを受けながら、カーティス音楽学校への進学を試みたが断られる。1950年代前半のことであり、黒人であったために差別された疑いがある。

シモンはピアノの講師などで生計を立てようとするが、生活は苦しかった。1954年にはアトランティック・シティのアイリッシュ・バーで、ピアノを弾くことになる。

このバーのオーナーに薦められ歌い始め、やがて名前をニーナと改め、尊敬するフランスの女優、シモーヌ・シニョレに因んで、ニーナ・シモンと名乗った。フランス語ではニーナ・シモーヌの発音となる。

50年代後半に出した「アイ・ラヴ・ユー・ポーギー」がヒットし、やっと音楽活動が順調なものになっていく。彼女の音楽はジャズに限らずフォーク、ブルース、ゴスペル、ポップスなど幅広いジャンルを取り入れた。人種差別主義者によるアラバマ教会爆破事件やミシシッピでの公民権運動家殺害事件に抗議し、「ミシシッピ・ゴッダム」(1964)のシングルを発表した。1960年代の黒人公民権運動にも参加するなど精力的な活動を見せた[4]。1967年には「自由になりたい」を発表。

1970年、夫でありマネージャーであったアンドリューと離婚し娘も残し、アメリカを出る。以後はしばらくリベリアで音楽と無縁の暮らしをし、程なくしてフランスの音楽フェスティバルで復帰。シャネルのCMに「マイ・ベイビー・ジャスト・ケアズ・フォー・ミー」が起用されたの期に再ブレイク。オランダでの8公演を成功させ、完全復帰を果たした。

双極性障害・躁うつ病と戦いながら、2000年を過ぎてからはフランスに居を構え、新たに活動を活発化させていたが、乳癌による闘病生活の末、2003年4月21日、フランスのカリー=ル=ルエ(英語版)の自宅で死去した。70歳没。

 

How Nina Simone reinvented herself after a rejection from ...