The Beatles - A Day In The Life | 七梟のブログ

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The Beatles - A Day In The Life

 

 

「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」(A Day in the Life)は、ビートルズの楽曲である。1967年に発売された8作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』に収録された。レノン=マッカートニーの作品で、曲の大部分は1967年1月中旬にジョン・レノンが書いたもので、中間部分のみポール・マッカートニーが書いた。

アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』は、「架空のロックバンドによるライヴ・ショー」をコンセプトとしており、本作は前曲「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド (リプライズ)」に続く同アルバムの最終収録曲であることから、アンコール曲に位置付けられている。サウンド面では、レノンが作曲したパートとマッカートニーが作曲したパートをつなぐ、オーケストレーションが印象的である。

また、アルバムにはクレジットされていないが、LPではこの曲の終了後、しばらく間をおいたレコード盤のいちばん内側の溝に、超高音域のノイズと笑い声や意味不明なおしゃべりを逆回転させた音源が収録されている(アメリカ盤では未収録、CDでは音源が繰り返された後フェード・アウトする)。この部分は、アルバムのセッション・ノーツ内では「エディット・フォー・LP・エンド」、後の『レアリティーズ Vol.2』への収録時には「サージェント・ペッパー・インナー・グルーヴ」と呼称されている(詳細は「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド#構成」を参照)。

レノンは、1968年のインタビューで本作について「ポールと2人でいい仕事をしたよ」とコメントしている。

The Beatles -A Day In The Life | それはやさしく穏やかで・・・

 

【ビートルズ】人生のある日(A Day In The Life)【日本語で歌ってみた】

 

 

 

新聞からのインスピレーション、マッカートニーの空想からのインスピレーション


ジョン・レノンはデイリーメール紙を読んでいる間に曲を書き始めた。同紙に掲載された二つの記事が彼の目を引いた。ギネスの遺産を相続したタラ・ブラウンの死亡記事と、ランカシャー州ブラックバーンの通りに空いた4,000の穴を舗装し直すという記事であった。

しかしながらできあがった曲は、ブラウンの事故を事実の通り記述してはいなかった。レノンは「僕は事故を実際の通りに書いたわけじゃない。タラは正気を失っていたわけじゃなく、詞を書いている時に僕が思いついただけだ。信号に気づかなかったとか野次馬が集まってきたとか、曲の中での事故のそういう細かい部分については架空の出来事だ。」と語った。その後、ポール死亡説の手がかりを見つけようとしたファンたちは、マッカートニーが事故死したという説の根拠としてこの曲の部分を利用した。

作家のニール・シンヤールは、3番のヴァースにある「The English Army had just won the war(英国軍が戦争に勝ったところで)」というフレーズについて、1966年9月と10月に撮影され、レノンも出演した映画『ジョン・レノンの 僕の戦争』との関連性を指摘し、「リチャード・レスターの映画との関連性なしに、ヴァースを考えるのは困難だ」と述べている。

マッカートニーによって書かれた中間部の歌詞は、若かりし頃の記憶がモチーフとなっている。歌詞について、マッカートニーは以下のように語っている。

 

 

それは全部別の曲だったけど、偶然ぴったりはまったのさ。それは僕がスクールバスを捕まえるために道を走り、タバコを吸いながらクラスに入っていく…僕の学生時代の反映だったんだよ。僕はウッドバイン(イギリスの安価なフィルター無しタバコ)を吸い、誰かが話しかけて、僕は夢の中に入っていったんだよ
—  ポール・マッカートニー

 

The Beatles launch Sgt Pepper in London on 19 May 1967