マーラー《大地の歌》全曲 バーンスタイン指揮/ウィーン・フィル | 七梟のブログ

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マーラー《大地の歌》全曲 バーンスタイン指揮/ウィーン・フィル

 

 

 

『大地の歌』(だいちのうた、独: Das Lied von der Erde)は、グスタフ・マーラーが1908年に作曲した、声楽(2人の独唱)を伴う交響曲。連作歌曲としての性格も併せ持っている。

 

 

第1楽章「大地の哀愁に寄せる酒の歌」
アレグロ・ペザンテ イ短調 3/4拍子
詩は李白「悲歌行」に基づくが、自由に改変されている。テノール独唱。
ホルンの斉奏で始まり、劇的でペシミスティックな性格が打ち出されている。歌詞は3節からなり、各節は「生は暗く、死もまた暗い」という同じ句で結ばれる。この句は最初はト短調、2回目に変イ短調、3回目にはイ調(長調と短調の間を揺れ動く)と半音ずつ上昇して強調されている。

 

 

第2楽章「秋に寂しき者」
Etwas schleichend. Ermüdet(やや緩やかに、疲れたように) ニ短調 3/2拍子
詩は銭起「效古秋夜長」とされてきたが、近年は疑問視されており、張籍もしくは張継との説がある(これについては第2楽章「秋に寂しき者」の問題を参照)。ソナタの緩徐楽章のようである。アルト独唱。

 

 

第3楽章「青春について」
Behaglich heiter(和やかに、明るく) 変ロ長調 2/2拍子
詩は李白「宴陶家亭子」に基づく。テノール独唱。ピアノ稿の題名は「陶製の亭」であり、ベートゲの題名をそのまま使っている。ベートゲは原詩の「陶家」(陶氏の家)を「陶器の家」と誤訳している。

 

 

第4楽章「美について」
コモド・ドルチッシモ ト長調 3/4拍子
詩は李白「採蓮曲」に基づく。アルト独唱。ピアノ稿の題名は「岸辺にて」であり、ベートゲの題名をそのまま使っている。蓮の花を摘む乙女を描く甘美な部分と馬を駆ける若者の勇壮な部分が見事なコントラストを作っている。

 

 

第5楽章「春に酔える者」
アレグロ イ長調 4/4拍子
詩は李白「春日酔起言志」に基づく。唐詩の内容に最も忠実とされる。
ここでも管弦楽の間奏部分などに五音音階が顕著に用いられている。テノール独唱。

 

 

第6楽章「告別」
Schwer(重々しく) ハ短調 4/4拍子 拡大されたソナタ形式。アルト独唱。
この楽章のみで演奏時間にして約30分、全体の4割以上を要する長大な楽章である。詩は前半部分が孟浩然の「宿業師山房期丁大不至」、後半部分が王維の「送別」によっている。ベートゲの詩は唐詩に忠実だが、マーラーが2つの詩を結合させた上、自由に改変、追加している。
曲の最後は「永遠に」の句を繰り返しながらハ長調の主和音(ハ-ホ-ト)に至るが、和音に音階の第6度音のイ音が加えられて(ハ-ホ-ト-イ)となっているため、ハ長調ともイ短調ともつかない、閉じられない印象を残す(この和音は、ベルクのヴァイオリン協奏曲(変ロ-ニ-ヘ-ト)でも結尾に使われているほか、後にはシックスス・コードとしてポピュラー音楽でも多用される)。マーラーはこの部分にGänzlich ersterbend (完全に死に絶えるように)と書き込んでいる。

 

 

 

『大地の歌』の詩について
マーラーが歌詞に採用したのは、ハンス・ベートゲ編訳による詩集『中国の笛-中国の叙情詩による模倣作』である。ベートゲは中国語を解さず、『中国の笛』は、既出版の『中国の叙情詩』(ハンス・ハイルマン)、『唐詩』(エルヴェ・ド・サン=ドニ侯爵)、『玉書』(ジュディット・ゴーティエ)からの翻訳(サン=ドニとゴーティエの詩集はフランス語)あるいは自由な模倣によっている。このため、原詩にほぼ忠実なものや自由な模作となっているものが混在しており、元となった唐詩については特定できていないものもある。

19世紀末から20世紀初頭にかけて、マーラーの周囲ではウィーン分離派やミュンヘンでのユーゲント・シュティールなど、感情と感覚が結合した時代様式が盛んであり、これはドイツ・オーストリアにとどまらない、ヨーロッパの風潮でもあった。この時代には文学、絵画を含めた芸術分野で「死」をテーマとした作品が数多く生み出されており、同時に、エキゾチズム、とりわけ日本を含めた東洋への関心も高まっていた。ベートゲの『中国の笛』は、このような時代の所産であり、マーラーの『大地の歌』もまたこの系列に含めることができる。したがって、『大地の歌』には先に述べたように、無常観、厭世観、別離の気分が漂っているとしても、このことで、マーラー自身が東洋的諦観に達していたとは必ずしもいえない。

しかしながら、人間は死んで地上からいなくなるが、大地は永遠に繰り返して花を咲かせ、緑に覆われるというイメージについて、マーラーは10代のころから手紙でこのことに触れている。第6楽章で「永遠の大地」を強調する歌詞を追加したのもマーラー自身である。アルトゥル・ショーペンハウアーやフリードリヒ・ニーチェの著作を読んでいたマーラーが、唐詩の編訳に接して、これに自身のイメージと体験を重ね合わせていたことは間違いない。