ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲 / 尾高忠明 / アンナ・ヴィニツカヤ / 東京都交響楽団
3月16日(土)15:00〜TOKYOMX2で放送の「アンコール!都響」では、2023年5月29日に開催された定期演奏会より、ラフマニノフ(レスピーギ編曲): 絵画的練習曲集より《海とかもめ》と、エルガー:交響曲第2番の2曲をお贈りします。
番組放映に先立ち、同じ日に演奏された「ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲」をお届けします。
ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲op.43
序奏 0:01:51~
第1変奏 0:02:00~
主題 0:02:19~
第2変奏 0:02:37~
第3変奏 0:02:57~
第4変奏 0:03:23~
第5変奏 0:03:53~
第6変奏 0:04:22~
第7変奏 0:05:21~
第8変奏 0:06:20~
第9変奏 0:06:53~
第10変奏 0:07:25~
第11変奏 0:08:18~
第12変奏 0:09:33~
第13変奏 0:10:46~
第14変奏 0:11:15~
第15変奏 0:11:57~
第16変奏 0:13:05~
第17変奏 0:14:38~
第18変奏 0:16:09~
第19変奏 0:18:30~
第20変奏 0:19:05~
第21変奏 0:19:41~
第22変奏 0:20:06~
第23変奏 0:21:45~
第24変奏 0:22:34~
曲終了 0:23:44~
【ソリスト・アンコール】
ラフマニノフ:絵画的練習曲集 Op.33 より 第2番 ハ長調 0:26:00〜
(ピアノ/アンナ・ヴィニツカヤ)
曲終了 0:28:12~
アンナ・バレリエフナ・ヴィニツカヤ(Anna Valeryevna Vinnitskaya、ドイツ語: Anna Walerjewna Winnizkaja、ロシア語: Анна Валерьевна Винницкая、1983年8月4日 - 40歳)は、ロシア出身のピアニスト、2007年のエリザベート王妃国際音楽コンクール・ピアノ部門優勝者。
1983年、ノヴォロシースクの音楽家の家庭に生まれた。6歳から音楽を学びはじめ、9歳で最初のソロ・コンサートを開いた。12歳のとき、モスクワで開かれた子供のための音楽コンクールで優勝した。
1995年、ヴィニツカヤは家族とともにロストフ・ナ・ドヌに移り住み、彼女はラフマニノフ記念国立ロストフ音楽院(ロシア語版)に入学し、セルゲイ・イヴァノヴィッチ・オシペンコ(ロシア語版)に師事した。師であるオシペンコは、教え子を偉大な音楽家に育てようと大変な労力をかけて音の響きについて彼女を指導したといい、彼女が育ったことで師は生涯満足するに違いない、とヴィニツカヤ自身がインタビューで語っている。外国人の教授は、オシペンコほど学生に思いやりを持っていない、とも彼女は述べている。オシペンコは常々、音楽はインスピレーションを与えるものでなければならないのだから、音楽家の役割は聴衆に何かを伝えることであり、音と音の間を滑らかに行き来する技を見せることではない、と言っていたという。
1999年から2000年にかけて、イタリアでいくつかの国際音楽コンクールに参加して入賞したヴィニツカヤは、さらに技量を磨くためハンブルク音楽演劇大学でラルフ・ナットケンパー (Ralf Nattkemper) に師事し、次いでエフゲニヤ・コロレワ (Евгения Королева) に師事した。
2007年のエリザベート王妃国際音楽コンクール・ピアノ部門で優勝したヴィニツカヤは、世界的な名声を得て、同世代のピアニストたちの中で最も輝くひとりとなった。さらに、2008年のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭では、レナード・バーンスタイン賞を受賞し、評価を確立した。2008年9月にワシントンD.C.のジョン・F・ケネディ・センターのテラス・シアターで、北アメリカでのデビューを飾った際、『ワシントン・ポスト』紙は、「ヴィニツカヤは鍵盤に向かう雌獅子だ (Vinnitskaya is a true lioness at the keyboard)」と評した。2009年、彼女はハンブルク音楽演劇大学の教授職に招聘され、教職に就いた。
アンナ・ヴィニツカヤのデビュー・アルバムは、2009年にフランスのレコードレーベルであるナイーブからリリースされ、セルゲイ・ラフマニノフ、ソフィア・グバイドゥーリナ、ニコライ・メトネル、セルゲイ・プロコフィエフの作曲作品が収録された。このCDは、フランスの音楽雑誌『ディアパゾン (Diapason)』において最高評価である「ディアパゾン・ドール(英語版)」とされ、『クラシカ (Classica)』の「今月のショック (Choc du Mois)」に選ばれた。
また彼女は、ドイツの雑誌『ピアノニュース (Pianonews)』で今月のベスト・アルバムに選ばれ、その後、Modern Classical Awards にノミネートされた。
ヴィニツカヤは、ヨーロッパ、アジア、アメリカで精力的にコンサートを開き、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団、ロシア・ナショナル管弦楽団、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団などの有名なオーケストラと共演した。彼女の演奏は、巧みなフレージング(英語版)と、磨かれた技術、発達した様式感覚において、特に優れたものである。
2005年以来ロシアにおいて開催されているクレッシェンド音楽祭(ロシア語版)には、2011年の第7回に初めて参加した。
尾高 忠明(おたか ただあき、1947年11月8日 - 76歳 )は、日本の指揮者。大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督。東京芸術大学音楽学部指揮科名誉教授。
作曲家・指揮者である尾高尚忠の次男として神奈川県鎌倉市に生まれる。兄は作曲家尾高惇忠。妻の尾高遵子(ゆきこ)はピアニストである。父方の伯父の尾高朝雄は西田幾多郎門下の東大法学部元教授(法哲学)、同じく伯父の尾高邦雄は東大文学部元教授(労働社会学)、従兄の尾髙煌之助は一橋大学経済研究所元教授、曾祖父の尾高惇忠は富岡製糸場の初代工場長などを務めた明治期の実業家である。曾祖父惇忠の従弟で妹婿であった実業家渋沢栄一もまた忠明の曾祖父であり、作曲家諸井三郎・誠親子とも渋沢家、および従兄の会計学者諸井勝之助を通じて縁戚関係にある。母方の親族では、チェリスト倉田澄子が従姉、女優・演出家長岡輝子が伯母に当たる。
桐朋学園大学で斎藤秀雄に指揮を師事する。第2回民音指揮者コンクールで第2位に入賞する。NHK交響楽団指揮研究員を経て、ウィーン国立音楽大学に留学、ハンス・スワロフスキーに師事した。NHK交響楽団と数多く共演し、大河ドラマのテーマ曲指揮も数多く担当した。渋沢栄一が主人公である2021年の大河ドラマ『青天を衝け』のテーマ曲の指揮も、曽孫である忠明が担当している[3]。30歳前後の頃は『音楽の広場』などのNHK番組にレギュラー出演、指揮だけではなく柔和なトークでお茶の間に親しまれ、クラシック音楽啓蒙にも尽力した。1974年から長年にわたり東京フィルハーモニー交響楽団常任指揮者を務め、現在は桂冠指揮者。1992年からは、読売日本交響楽団常任指揮者を6年間務め、現在は名誉客演指揮者。
1987年にBBCウェールズ交響楽団首席指揮者(現桂冠指揮者)に就任後、エルガー、ウォルトン、ブリテンなどのイギリス音楽を数多く手がけ、大英帝国勲章、エルガーメダルなどを受章した。
国内主要オーケストラへの客演をはじめ、ロンドン交響楽団、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、BBC交響楽団、バーミンガム市交響楽団、バンベルク交響楽団、ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団、ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団、ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団等世界各地のオーケストラへ客演している。
1998年から、札幌交響楽団常任指揮者、音楽監督を務め、現在は名誉音楽監督。同楽団とは2002年、2011年の2度、ベートーヴェンの交響曲全曲、2013年から3年かけてシベリウスの交響曲全曲を演奏した。 その他、ブリテンのオペラ『ピーター・グライムズ』、 『戦争レクイエム』などの大作を手がけた。
2010年から、NHK交響楽団正指揮者を務める。2012年の中国公演(日中国交正常化40周年記念)を指揮している。2010年から2014年までは新国立劇場オペラ監督も務めたが、首の故障もあり、一度もオーケストラピットに入ることなく任期を終えている。
2017年4月から大阪フィルハーモニー交響楽団のミュージック・アドヴァイザーを務め、翌2018年4月、同楽団の音楽監督に就任。
2021年から「東京国際音楽コンクール<指揮>」審査委員長を務める。