日本の美術 鉄瓶 iron kettle・Japanese traditional art
壱のツボ 鋳肌に<茶の心>が宿る
囲炉裏や火鉢の上の主役と言えば鉄瓶。
戦前までは、どの家にも一つはあった道具です。
江戸時代後期に作られた鉄瓶…
こうした古いものは、今では大変貴重です。
鉄の鋳物でできた、お湯を沸かすための道具。そこに、日本人の美意識が潜んでいます。
鉄瓶の渋い味わいは、ここ数年、脚光を浴びています。
岩手県盛岡市。鉄瓶は、江戸時代、ここで生まれました。
盛岡の周辺では、古くから良質の砂鉄が豊富に採れました。そのため、砂鉄を使った鋳物作りが盛んに行われていました。盛岡は、江戸時代初期から茶道が盛んだったことでも知られます。
茶道でお湯を沸かす道具といえば、鋳物の釜。
当時から、盛岡の鋳物師は、優れた「茶の湯釜」を作っていました。その後、煎茶が登場すると、お茶は手軽に楽しめるようになります。使いやすい湯沸かしの道具が必要とされました。
そこで考え出されたのが鉄瓶。江戸時代中頃のことでした。
「茶の湯釜」を小さくして、取っ手と注ぎ口を付けてみよう!そんなアイデアから生まれた鉄瓶は、たちまち全国へと広まりました。 |
その後、たくさんの名品が作られていきます。 重厚な鉄の質感。 繊細な文様。 飽きの来ない形。 日々の暮らしの中で、洗練された姿が育まれてきたのです。 まずは、鉄瓶の表面=「肌」に注目しましょう。鉄瓶独特の肌は、どのようにして作るのでしょうか… |
鋳型に流し込むのは、摂氏千四百度の溶けた鉄。
一分もしないうちに、鉄は冷えて固まり、鋳型に刻まれた通りの肌を持つ鉄瓶が出来上がります。
鋳物独特の肌を「鋳肌(いはだ)」と呼びます。
「霰(あられ)」と呼ばれる文様。小さな点が、規則正しく並びます。
躍動感のある鶴の姿…
文様を付けずに柔かな表情を引きだしたもの…
いずれも、鉄の持ち味を生かした肌合いです。
鉄瓶コレクターの佐々木繁美さんです。鋳肌を鑑賞する壺を教えていただきましょう。
佐々木さん 「お茶の世界だと、侘びとか寂という言葉もありますが、鉄瓶は、お茶道具の延長線でもありますので、その鋳肌を見ることによって、味わい深さが出てきます。枯淡に見せかけるって言うか、時代を付けるって言うか… 鋳肌から侘びの深さが心眼で見えてきます」
鉄瓶鑑賞・一の壺、『鋳肌に「茶の心」が宿る』
鉄瓶の代表的な文様=霰(あられ)は、茶道と深い関係があります。
華やかさを抑えた繊細な表現が好まれ、多くの「茶の湯釜」に、この文様が施されていたのです。
四百年の歴史を持つ盛岡で最も古い鋳物工房です。
十五代目の熊谷志衣子さん。霰文様の名手です。
一つひとつ、細い金属の棒で鋳型に文様を押していきます。
根を詰めても、鉄瓶一個に三日はかかります。
熊谷さんの霰文様。茶人たちに愛されてきた伝統の美が、息づいています。
茶の湯の美意識をさらに強く感じさせるのは、文様の無い鉄瓶です。 ざらりとした鋳肌は、「わびさび」そのもの。
この鉄瓶を作ったのは、十代目小泉仁左衛門さん。江戸時代に、鉄瓶を生み出した鋳物師の子孫です。
文様の無い鋳肌に表情を出すために、受け継がれてきた技があります。
水で溶いた砂を鋳型の表面に筆で置いていきます。
砂の目の細かさや、置き方によって、鋳肌の表情は大きく変わります。
古びた鉄の質感が出るように、肌は、あえてデコボコに…
「虫食い」と呼ばれる小さな穴。鋳型の表面に、炭の粒を置いて作りました。
枯れた趣きをもつ鉄瓶の肌。そこには「茶の心」が宿っているのです。
弐のツボ 意匠に遊び心あり
つづいて「かたち」に注目です。
大正時代に作られた鉄瓶。全体が竹をモチーフにデザインされています。
鉉(つる)と呼ばれる取っ手は、竹の枝を二本合わせた瀟洒な形。
つまみも竹という凝りようです。
十代目小泉仁左衛門さんは、細部にいたるまで「かたち」にこだわり続けています。
小泉さん 「胴の部分だけじゃなくて、蓋(ふた)、つまみ、それから鉉の形… これらが、鉄瓶の”かたち”の大きな要素なんです。『趣向を凝らす』という言葉がありますが、それはある意味で、作者にとっては、一つの『遊び心』じゃないかなと思うんですよ」
鉄瓶鑑賞・二の壺、「意匠に遊び心あり」
鉉は、「鉉鍛冶」と呼ばれる専門の職人が作ります。
田中二三男さんは、盛岡でたった一人の鉉鍛冶。
丁寧に作られた鉄瓶の鉉には、ちょっとした秘密が隠されています。 よく見ると、内側に合わせ目があります。中は空洞。軽くて、熱くなりにくいのです。
鉉は、鉄を叩いて、少しずつ丸めて作ります。
このように中が空洞の鉉は、「袋鉉」と呼ばれます。
完成した袋鉉(ふくろづる)。この古びた表情も、鉄を叩くことで作り出すものです。
こんな鉉もあります。
穴を空けて、風化した鉄の質感を出しながら、熱を逃がす効果も高めています。
作り手の遊び心を伝える、もうひとつの部分。それが、つまみです。
このつまみ、中に小さな鉄の玉を仕込んでいます。
仁左衛門さんの仕事場には、様々なつまみの木型が残されていました。
小泉さん 「つまみですが、具体的に言うと、これは瓢箪をモチーフにして作ったのものです。これは、ご覧いただけば分かるとおり、松の実を元にして作りました」
柚子を思わせる鋳肌。つまみは、柚子の枝をかたどっています。
六角形の不思議な形をしたクチナシの実も、つまみの定番の一つ。どのつまみも、下の方がくびれて、持ちやすくなっています。
胴体の形にも工夫があります。裾広がりの大きな鉄瓶。囲炉裏で使われてきました。 鋳肌が煤で汚れないようにと考え出された形です。 文様を描く部分が広くなり、自由奔放な表現が花開きました。
豊かな「遊び心」が溢れる作品をもう一点。大正時代に作られた巾着形の鉄瓶です。鉄で布の柔らかさを表現しました。 紐をかたどった鉉は、手で持った時の柔らかさも考えています。
作り手たちの遊び心は、機能と美しさを兼ね備えた「かたち」を作りだしてきたのです。
鉄瓶の表面は、使い込むほどに、かすかな錆に覆われてきます。毎日、布巾で空拭きするだけで、この風合いが生まれるのです。
前田千香子さんは、日本茶や中国茶の焙煎師。いわばお茶のソムリエです。
三年間、毎日お湯を沸かしてきた愛用の鉄瓶は、うっすらと赤味を帯びています。
前田さん 「使い込めば使い込むほど良くなります。使っている人が、毎日沸かして、磨いたりしているうちに、肌の色合いも、どんどん変わってきて… 初めは工房の人が作ったものかも知れないけれども、使っている人それぞれが育てていく。鉄瓶はそういう道具だと思います」
鉄瓶鑑賞、三つ目の壺。「使い込んだ姿を愛でる」
十年以上使い込まれた鉄瓶。
表面を薄く覆う錆が、趣をそえています。しかし、鉄を深く蝕む赤錆は防がなくてはいけません。実は、鉄瓶には、特別な仕上げが施されています。
漆を焼き付け、赤錆を防ぐ膜を作ります。
完成したばかりの鉄瓶は、輝くばかりの光沢をまとっています。 さらに、お茶と鉄さびを混ぜた液体を塗ります。 漆と化合して赤錆を防ぐ効果を高め、独特の風合いも生み出します。
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このあと、少しずつ変化しながら、深い味わいを身に付けていきます。使い込まれた鉄瓶には、作り手の予想を越える美しさが生まれると言います。
熊谷さん 「永いこと火に掛けて、人が触ったりしているうちに、鉄の地の色って言うか、使い込まれた磨かれた色って言うんでしょうか、そういうものが出てきます。永く大事に使っている方のは、本当にきれいなので、それ見たときはすごく嬉しいなと思います」 熊谷さんの工房には、三世代・六十年以上に渡って使われてきた鉄瓶があります。 時だけが与えることのできる鉄の風格です。 変化するのは、外側だけではありません。 使い込まれた鉄瓶の内部。 鉄瓶の本当の名品はどこにも売っていません。 毎日使い続けることで、自分だけの名品を作ることができるのです。 |