紫式部4 晴明神社 | 有難うエドガーのブログ

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賀 安倍晴明は四十代で陰陽師として天皇に仕えました。五人の天皇に仕え、職を辞したのは八十代でした。そして、一条天皇から晴明神社の土地を下賜されました。一条天皇から下賜された土地は、現在の神社の敷地より広大だったそうです。一条天皇のお妃には清少納言がつかえた定子や紫式部のつかえた彰子たちがいました。


 晴明神社近くに一条通りがあります。平安時代は一条大路といい道幅は30mあったといわれています。平安時代藤原道長、紫式部、清少納言などなどの人々が賀茂祭り(葵祭り)を一条大路のどこかで見物したことでしょう。

 源氏物語第9帖葵巻には、源氏の正妻 葵の上と源氏の歳上愛人 六条御息所(ろくじょうのみやすんところ)とが賀茂祭り見物で場所取りを牛車同士で争った 車争いが描かれています。