どうも精神力のスタミナが無いように思う。

仕事をしていてパワーが1日もたない。


どうしたらよいのか。


一つは、やはり十分な睡眠。

それがあるとないでは基盤が違う。

6時間では、イレギュラー的には通用するが、普遍的にはそれ以上。

7~8時間が必要。


もう一つはコンセプトの充実。

これはその主となる人との接点維持が有効に思う。

その接点が少ないなら、どうするか。

接点自体を増やす事と、限られた接点の有効利用。

前者は単純に機会を創造して増やす。

後者はスルメの様にねちっこく味を堪能し続ける。

それは接点で得たエッセンスを日頃の中で反芻したり、理解を深めたり、疑問を解消したりする事。

好きな師匠の出すエッセンスならそれが可能である。

仕事なので、それと無関係と思えるモノもあるが、意志の力で繋ぎ合せる。

すると、コンセプトの関与した状態での仕事が出来る。


ただ、これにはコンセプトの維持、メンテが必要。

ぬかみそを毎日かき回す様に。

それが切れるとツライ事になる。


前の勝間からのヒントで「意志力は根性ではない」というのがある。

では何なのか、意志力はコンディション(体調)である。

体調には精神、脳の状態も含まれる。

ただ、人間の体と脳は連動しているので、先ずは良い体調管理が前提。

良い体調管理。

良い精神状態。

良い脳の状態。

良い意志の維持。

良い仕事上のコンセプトの繋ぎ合せ。

良いモチベーションの継続。

良いパフォーマンスの維持。


この様な組立てになる。

久しぶりに『100分で名著』を見た。

夏目漱石「こころ」。

良かった。


伊集院光になってから、ちょっとと思っていたけど。

相方がキャリアのある女性アナに替わったのもあり、よくなった。

それと、コンテンツが「こころ」というのが。

姜尚中とかも良かった。


何が良かったのか。

テーマは幾つかある。

・代替わり受け継がそうとする思想

・負の経験を伝える事で正の未来に活かす、それを代間で渡し行う

・師弟関係こそ一番の人間関係

・分身に内面を移す、人間の2面性、それゆえの人間の弱さ

・現代社会とのマッチング

・孤独や自分自身との本当の向き合い

・答えは難易度が高く、出なくともそこへ向かう事に意義がある

・真面目の価値再認識と追及

とか。


日本は江戸末期に開国を迫られてした。

以後急速に文明を進展させた。

だが、果たして内面は追いついていなかった。

今もまだ追いついてはいないだろう。

その外面と内面の不一致の状況は社会と個人である。


アウトレイジ ビヨンドを見た。

前作の1も同様に、これを見ると死生観を確認する。

これは北野作品一連に共通か。


この半月程度、死んでいて起こすのが大変だった自分の意志のコンディションがムクッと起きた。

それは、やはり生とは死が前提になっている事の自覚を再認識した為だろう。

見ていてそれが自然とインプットされた様だ。


平和ボケによって失っていた価値観。

それが死生観。

必然として存在するのに、見ない様になってしまう。

時として改める事が必要。


ある男が思い当たった。

そいつは常に死生観を無意識に持ち合わせている様に、今思えば思いあたる。

女には躊躇なく手が早い。

ギャンブルも大金を掛け躊躇が無い。

仕事はメチャメチャ早く結果を出す。

その一連の行動は、死生観を高いレベルで持つ事で、辻褄が合ってくる。

高いパフォーマンスと、破綻と紙一重とも思える行動原理が理解不能だったが、きっとそういう事なのか。


大体、物心ついた頃、4才頃か、この頃誰もが生きる意味を一度は考えると思う。

俺はそうだった。

だが、その答えはその時点で出る筈もなく、返答不能という事で凍結される。

その後、その答えが氷解する年代は人に拠ると思う。

そして何度か段階的に、その答えが出ては刷新されたりする。

話しは飛んだが、先の4才頃に、生きる意味を一度は考える事で、死生観に繋がる基盤を持つ。

そこに積み上げていく事で死生観を創っていく。


だが、幼い頃、幼稚園も行く前とかなら何に帰属している訳でもなく(家族というのはあるが)、日々の何も帰属しない遊びや、返ってその無所属性、無意識性から死という認識は現代の大人より持っているのかも知れない。

そのうち何らかの組織に所属し、そして組織に所属しているという意識も希薄になり、生と死が隣り合わせという現実が見えなくなってくる。

その事自体がマヒしていく。

生きてるのか、死んでるのか分からない状態になっていく。

せめて、そういう事を自覚して改める試みをしていく事が必要である。

培養液的に月刊プレジデントは良い。

私の中ではNHKのそれ風な番組がココ最近取って変わっていた。

だが、月刊プレジデントはその代用の適う媒体と思った。


元々ビジネス本が培養液の役割を私の中では担っていた。

ただちょっと1冊は長いし、そのスタイル的に少々マンネリ化していた。

そこに意外にNHKの番組が良かった事で、そっちにココ数年変わっていた。


月刊プレジデント自体は知っていたが舐めていた。

かと言って今の評価が格段上がったという程のものでは無いが。

食わず嫌いというヤツで、案外使えるというのが分かった。


培養液という言い方は、ノらない時の休憩でもあるし、カンフル剤でもある。

それにプレジデントが意外と使える。


今日読んだ中では、仕事の本質はやはり愚直だという事。

もっと軽くというか、ウマイ所をフューチャーしたのがプレジデントだと思っていたら違ってた。

意外と愚直。

まじめ。

その方が使える。


そういう記事だった訳ではないが、幾つかを通して感じたのは、「代を超えるほどの長期的視野がモノを言う」という事。

考えるなら壮大な方が良い。

それに、その方が損得でなく善悪に近づける。


仕事だけやってるのでなく、それも仕事なんだけど他も多面的に考える事。

真剣に。


先日「プロフェッショナル」を見てた。

その回は本田圭介。

大学生に彼が講演で語るシーンが出て来た。

学生から質問で「あなたにとっての強さ」とはなんですか?

強さの定義とは・・・呟いてしばし考えて彼が答える。


そのシンキングタイム中に私も考え、出た答えは。

やはり、自分に勝てるかどうか。


彼の答えもまた同じだった。

自分にウソをつかない。

自分に向き合う。

人は余り関係ない。

あくまでも対自分でどう立ち向かえるか。

そこが本当の強さとなる。


最近思う。

自分が他人と一番異なる事は。

それは、自分が自分自身を操れる事。

それは自分が自分自身に向き合える事と言える。

裏を返せば、それが出来るのは自分しかいないという事である。


絶対に出来る。

それが自信。

でもそれはよく揺らぐ。

そこでもちこたえる。

もちこたえるだけでなく、更に確信を深め自分を信じられるかどうか。

そこだけである。

自生。

よく草花に使われる言葉。

自分で生まれ、自分で独り立ちしている様子。


先週、娘にかち込み。

その後、金曜の夜、土曜の日中と娘の勉強にひっ着いた。

金曜の夜から土曜のAMまで数学。

その次に英語に行くとき、さすがに泣きが入った。

が、あまりとらわれず土曜のPMから英語に入る。

その夜に英語にメドが着き、日曜には英語の復習まで終わる。

次は国語になる。


ここまでで、泣きが入った時に危うかったが、その次の段階で自生に入ったと思う。

そこまでは自生とダメの入れ替り、交互の状態が続いていた。

英語にメドが着いたあたりで、自生側に安定が出て来た。

今は自生が勝っている。


ただこの安定も安心はできない。

たぶん、手放すとまたダメの方に行く。


という事はまだ自生ではないか。

道は険しい。

そう簡単では無いのだ。

昨日、娘を問い詰めた。

涙ながらに出て来た言葉は「出来ないを認めてくれない」というもの。

「出来ない」ありきである。

俺には分かる。

けど、それ自体は間違っている。

でも分かる。

これを糸口としなければ。


今迄、何も、これと言った糸口も無かった。

この糸口にあたる事の発信が娘から無かった様に思える。

いや、本当はあったが我々がそれに目を向けなかった。


昨日、それに俺が目を向け、娘もそれに対して発信してきた。


そういうコミニケーションが没落していたのだ。


本音のところの関係無しに、どれだけやっても効果は無い。

その堂々巡りに入っていた。

そこに入っていたのは分かっていたが、どうしたら良いかに目を背けていた。

目を背けていたのは俺だ。


今、会社のPCのデスクトップには子供の写真。

その笑顔が何か自信無げに見えていた。

その本音を昨日聞いた。

自分を信じれずに迷うだけ。

そのままにはさせない。


そういいながら、自分にも重ねている。

自分の為か、娘の為か、その両方だと信じやるしかない。

そうやって、自分を信じるという大義名分で何とかやっていく。

でもままならない。

人生ってそんなものかも。

思った通りの答えが待っているのではないかも。

でもやるしかないのが、また人生。

『あひるの空』18巻くらいの話である。

大栄との練習試合。

まっすぐ自分の将来を見据えて道を進んできた者。

途中で見失い、さまよう期間ありながら、やっぱり道を見つけ遠回りながらも進んでいる者。

殆どが後者が多いと思う。

自分もそうだし。

世の中の人も。(出て来るキャラも)


どんなに真っ直ぐ行こうとしても、やはり人間なのでブレる。

全くブレないという事は無く、それが人間。

でも、それを最短距離にしようとするのが、また人間。


出来れば若い時にその真っ直ぐ感を掴みたかったが、別に今でも遅くはない。

けど、若いに越した事はなく、子供には是非そうして欲しいと思ってしまう。

そして、それを強要する様な。

でも自分も出来ていなかった事。


なら、見せよう自分の背中で。

昨日、家を出る前に、ノートの手紙を娘への書いておいた。

仕事が終わった後、電話で娘にその事を伝えた。

夜、それを見て電話をしてくる様に言った。

10:30頃掛ってきた。

もう忘れているかと思っていたところだった。

本人は覚えているといったが分からない。

少し前の、こちらからの着信にに気付いてしているのかも知れなかった。

とにかく、その日中にこれについて話す事が出来た。


先ず手紙の内容は『気付く事、考える事のススメ』。

何にでも逃げない事、それに繋がる事が考える事という内容。

それについて電話で説明した。

最近の娘の生活に準えて。


少しは分かってくれたのだろうか。

・目標を強く持つ事。

・現実を見つめる事。

・自分に負けない事。

・よく考える事。

この辺を話した。

全部を良く分かるというのは難しいだろう。

でも、こういう事は続けていくつもりだ。

それで徐々に理解して、行動にしていって欲しい。


少しずつ、親子でありたい姿に近づいていこうと思う。

徐々にだとしても、かなり『絶対な』執着で。


ココから先は凄く大変。

これ以上は大変苦しい。

そう思うと、それ以上のエリアには行かない。

それが今迄の俺である。


だが、「それ以上」を踏込むとどうなるか。

それは成長ゾーンに入っていく。

苦しい分だけ、成長している事になる。

苦しい=鍛えている、から。

それを解って意図的にやると効果的だし、知らないより楽。

それは成長の対価だと分かっているから。

分かって能動的に取り組んでいるから。


長距離を走る時に、これ以上スピードを出すと苦しいと思い、速度をあるペースに留めてしまう。

すると楽だが、勿論スピードは上がらず記録も出ず、そこに成長は無い。

そこを突破するのは大変である。

だが、突破するとどんな事があるの知って、意図的に行うと案外楽である。

それに、苦しいと思うのは自分の妄想であって、現実では無い。

現実は妄想より大体楽である。

そこに、能動的が加わると更に楽であり、楽しい。


その領域にどんな気持ちで踏み込むかが、成すか成せないかの分かれ目だと思う。