推進力には種類があり、威力も違ってくる。

その事に最近気づいた。

一般的なのは

①駆動系=今居る地点に力を加える事で、その地点から移動する。

②引っ張る系=目標地点と現在地を繋ぐ何かを引っ張り手繰り寄せる事による引力で進む。

③リニア系=①と②の融合、つまり現在地から離れる力と、目標地点から引っ張られる力の両方。

当然、③が一番強力である。


人は目標を強く念ずると、現在地が疎ましくなる。

強く自分の目標を信じるほど、現在地をいち早く離れたくなり、その気持ちが強い否定を生む。

これは自己否定でなはない。

将来の自分像を強く信じているので、焦りとも違う。

この状態が③の状況を生む。


目標への強い信頼と、現在地からの強い離脱欲。

この二つを得る事が、推進力を得る事になる。


リニアモーターカーは③の状態を繰り返して進む。

それが一番効率が良く、結果として強力な推進方法である。

タイヤや車輪の移動は①にあたる。

②は現実には中々ないがFFの駆動が少しイメージに近いか。

③はリニアモーターカーとして近い将来実用になる。

あと少し違うが、4輪駆動は少し③に近い。


将来の自分の目標を強く信じると、現在の自分のしている状況が「冗談じゃない」と思えたりしてくる。

この強い離脱欲は今まで持ちづらかった。

ある条件がある時にこの気持ちが出た。

それは、自分の基準感より著しく下の現実認識を持った場合だ。

将来の自分像を強く信じる事は、基準をそこに据える。

よって、この状況を生み、離脱欲が発生する。

同時に目標から引っ張られる力も得る。

リニア状態となる。

今朝のラジオで勝間和代が言っていた。

俺にはこう聞こえた「意思の力は根性ではない」。


実際の内容は、酒は抑えるべきで、付合いの席もやり方次第で対処できるとの話。

先ず、勝間は酒を飲まない。

酒はストレス解消のように見えて全く解決には成らない。

30くらい迄飲んだが、酒量が増え続ける事で、危惧し止めた。

それ以降パフォーマンスが上がり今がある。

2011の1年だけ飲む事を再開した。

その年のパフォーマンスはガタ落ちだった。

ルーチンつまり、いつもやっている事を、いつも会っている人と、いつもやっている様にやる分には何とか出来る。

だが、新しい事つまり、今迄やってなく自分の意志で何か始めたり、企画したり、今迄会ってない人と会ったり、意志の力を必要とする事が出来なかった。

これで酒の影響が更に明確になり再びやめた。

パフォーマンスは戻った。

(本人は完全に止めたが、止めなくとも飲み過ぎず、また酒の席は共にし盛り上がっても飲まない事は可能との話)


この話で一番響いたのが、意志の力は酒=体調に左右される、という事。

また最近、柔道女子のパワハラ問題でも、指導は根性論ではないとの話。

そして、自分の子供、それに自分自身を省みて、意志の力不足を感じ、それをただ根性不足と置き換えていた事に気付いた。


人は考える。

物事には因果応報がある。

だが、自分に意思の力不足を感じた時、それは自分の単なる精神の弱さだと考えて終わってしまう。

それでは解決にはいかない。

意思の力不足に対する思考停止だ。

なぜか、考えなくなってしまった。

それは簡単には見つからないモノかも知れないが、考えるべきである。

そうすれば少しでも正解に近づく事は出来る。

それは意思の力を上げていくという事になる。


先日、娘の1年生大会を見に行って、若干の落胆をした。

そして妻の「がっかりっした」という発言を真に受けて、俺もそう思ってしまった。

本当は、「これは」という部分もあったのに。

で、娘に「がっかりした」という部分だけの話をしてしまった。

勿論、もっと奮起を促す為だが。


でも結局なんか、俺自身すっきりせず、娘からの手ごたえも無かった。

昨日フロに入ってる時それを思い出し、それは間違いだと思い直した。

これは、娘の方にどんな風に残ってるかも問題だが、謝罪と訂正が必要。

先ず謝罪、そして部分的だが良い所もあり気付いていた事、それを認めまたそれを作った頑張りも認める。

だからもっと頑張れ、もっと頑張れるハズ、頑張る事の価値はあると伝える。

それを、今夜電話で言うとする。

昨日歯医者に行ってきた。

歯医者自体は15年ぶりくらいか。

この歯医者は同僚が行ってたのを聞いて教えて貰い、ネットとかで調べてOKと思い、ずっと行こうと思っていたところ。

今回の治療は、虫歯だけでなく噛み合わせまで直す事を考えてのモノ。

歯医者選びもそれを念頭に置いていた。

で、この歯医者だと思い2年くらいが経過し、やっと昨日が初診。

感想は当りだった。


実は単に歯を直すのでなく、今回の治療には生まれ変わりとも言える、人生の転換を予見せずにいられない。

2番目の前歯が奥に1本行っている事で、本来より下顎が少しだけ前に出て噛み合わさっている。

これが、微妙に斜め前にズレが大きくなりつつあると感じる。

この為に左半身の機能が発揮されていない。

顎-首-肩-腰-股-膝-脛-足と一連に機能ダウンを認識している。

これは当然精神的な影響も及ぼしている。


人間は脳で考え自覚し認識しているが、それと共に常に一緒にあるのが自身の肉体である。

脳と肉体は別々のモノかも知れないが、実際に双方ともにしか存在しえず、そのどちらかの機能に障害があれば、他方の機能にも影響を及ぼす。


今回この障害と認識される部分を可能な範囲で再機能させる。

その為の治療を行う。

すると、自分にイノベーションが起きる。


認識では小学2年の時の乳歯から永久歯への生え変わりの際に今の噛み合わせとなった。

その時点で、以前の噛み合わせと若干の違和感を感じながらも、何とか妥協できる範囲との解釈でそのまま。

だが、その若干の差異を受け入れる中で、その時感じてる差異は若干でも、時間経過の中で差異が連鎖し、結果として現在 本来の噛み合わせと大きくズレたと思われる。

そして、その中で生じた機能障害が体に出ている。


最近よく、この小学2年時がある岐路だったと感じられる。

なぜか直後の小学3年で自分は性格改善を試み、上手くいったと思っていた。

同時期に肥満し始めた。

この時のクラス替えも結構な衝撃で、同時に一番の当時の親友が転向するという事も重なり、衝撃度は大きかった。

その辺もあり、コミニケーション目的で自身を変えた。

幼稚園からやり優秀だった柔道に加え、始めたばかりのサッカーとどちらを選ぶかで、結局柔道を選んでしまったのもこの時。

だが、今思う、もしあの時噛み合わせが上手くいってズレが無ければ自分を変える事もしなかったのではないか。

クラス替えと大親友の転校から、皆の中へ入る手段として社交的を演じる事、妥協する事をしていく事を選ぶ事もなかったのではないか。

その辺を考え、ココ最近では徐々に小学2年以前に性格的に回帰している事を感じる事もあった。

自分で決められず親の意見を聞いて、上達度とは別に好きになり掛けてたサッカーでなく、実績として優秀だった柔道を選んだ事(自分で決められなかった事、無難に失敗が無さそうな方を選んだ事)を悔やむ事も無かったのではないか。

他にも柔道の投げ技の時に、引き手にパワーが込められなくなったのもこのころ。

体力測定にハンドボール投げが混じり、以外にこの投擲種目だけは低記録だったのもこのころ。

運動で体が思い通りにならない事があるのだと感じたのもこのころ。

先の社交性や妥協の取り入れもそれが遠因かと最近思う。


その小学2-3年の一連の岐路から今迄、噛み合わせと同様に総じていた自分の若干のズレをひっくるめて修正する。

それが今回の歯の治療の本当の目的である。

「損得感情」は私が作った造語である。

昔もこのブログに書いた。

以前、娘との日記にこれを残しておいた。

だが、その時は細かく意味とかは触れなかった。

それを今日教えた。


ウチのママ君がまた娘のテスト勉強の件でキレてしまった。

遅延気味の進研ゼミも辞めさせるとの事。

それは良いとして、今迄定期テストの度に付っきりで勉強を教えてた事が、全く上手くいかない事へのやるせなさとの向かい方に、どうしようもなさを感じているという。

それは、中三での受験期を考えての事の様だ。


だが、受験は大事だが、人生ではステップに過ぎず、それを上手くこなせたから将来が約束される訳でもない。

何が、将来役立つか分からない時代に、なおさら通り一片の学歴ぐらいはあった方が良いとの事から、そうなっている様だ。

で、今日の結論として、「ほっておくしかない」となった。

でもこの結論、前にもたどり着いた気がする。

「ほっておく」が本人の思考を促す手段だが、そこに行きつくまで「ほっておけない」。


今日、栃木に向かう前に娘には「損得勘定」の意味を説いた。

以前の日記は、丁度1年前の記録となっていた。

改めてその記載から説明する。


前から娘に将来したい仕事は?と聞くと「お金の稼げる仕事」と返って来た。

職業選択の主要因として間違ってはいない。

だが№1ではない。

「お金」そんなもので人の仕事は決まらない。

なぜなら、それより大事なものが世の中にはあり、「お金」以外のものが価値観のプリオリティー1位に来るから。

それは、物事に一生懸命取り組まないと分からない。

今、お前は、出来るだけ楽に物事に向かい、出来るだけ良い結果を得ようとしている。

それは損得勘定だけを見ており、そんな事では物事の本当の価値は分からず、結局、結果も得られない。

良い結果は本当の価値に向かった次に付いてくる。

お前は楽に物事を済まそうとしている時点で、本当の価値に向かえていない。

それは、未だ結果を得る前の前の前くらいの段階だ。

先ずは物事に一生懸命に取り組め。

そんな話をした。


たぶん、中一の時の俺もこんな事は分からなかっただろう。

でも俺はしていく。

子供にも、自分にも。

最近は少しずつ仕事がノッてきたのだが、昨日の晩久しぶりに高揚が来た。

長らくくすぶってた政策の「トモエ」に取組む事を決め、やり始めるうちに。

差戻し内容を改めて見て、取組んでいると、ムカつきさえしてくる。

これは個人が悪いのか、システムが悪いのか。

とにかくこんなのではダメだ。

誰の為にも良く無い。

そこをブレイクスルーする為に必要。

これを通す事が。

そう考えると使命感すら出てくる。

で、会社の評価、相対評価はもう気にならなくなる。

この感じ、久しぶり。

ノッていきたい。

が、要注意。

リスク管理で一番の危険は自分自身。

そう、必ずリスクは有り、露呈もするもの。

ただ、管理する事で頻度と量も最小限に抑えられる。

抑えるしかないのだ。

その様は、バスケットやサッカーのゲーム進行に似ている。

絶対的な実力差や状況は有りながら、耐えて耐えて、機を掴み制す。

この耐えての部分が大事で、実際の大部分にあたる。

それで、今は機を掴むところなのかも。

ただ、くれぐれも耐えての部分も忘れずに。

シーナアイエンガー教授の慶応大での白熱教室を見た。

前のコロンビア白熱教室も見たが、日本向けになっているのか、こっちの方が良かった。

選択は人生において重要というが、実際は選択の連続であり、それは連鎖している。

また選択し易い状況作りが必要、選択の能力を十分引き出す事が重要との事。


少ししてから「テストの花道」やる気脳をつくるの回を見た。

脳の活性状況の作り方として、①朝=計算(引き算、マイナス7)で脳血流を促す、②昼=角度変更視点からの作図で右脳を起こす、③夜=妄想で脳に褒めのご褒美をあげ脳を活性。

その中で③は威力絶大。

今、これを実践して休日返上の仕事をやるところ。

いざ。


選択と やる気脳作り のメガミックスがマイブームになりそうな予感。

選択は、TODOリスト上で所要時間を必須とする事で具現化率をUPさせ、実施率、継続性、連鎖率を向上させる。

この前のブログで「本当に大変なのはこれから」の話を書いた。
それでまた思い付いたが、自分の対応出来るmaxはまだ経験していない様に思う。
要は自分が人生で経験してきた事は大変な事もあったけど、まだ自分には幾ばくかの余力があったという事。
その事自体は前から感じていたが、今気付いたのは、その余力感が実は大事なのではという事。
確かに目一杯な感じであれば、そこから先の余力無し、つまり頑張り様がない。
というか、頑張る気持ちが先ず持てない。
という状態になる。
これは非常にヤバい状態で、特に精神的に相当な所まで追い詰められた状態。
だから実は人間 まだ限界まで頑張った事がない という感覚は結構大切なのかも知れない。
大事なのは「俺、今すごく頑張ってる」という感覚ではなく、そこに注力しているという客観的な事実な気はする。
ただ、人間は自発的、主体的に考えが起動するのが性でもあるので、その自己統制は必要だし簡単ではないというところ。

けど、これでいくと一生 目一杯感無しかも知れない。
もっと言えば一生不完全燃焼な感じかも。
自分の満足感との葛藤というかバランスになってくるか。
ま、そればかりはやってみなきゃ分からない部分なのでしょう。



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ふと思い出した。
今までも何度となく,そういえば思い出した事がある。
俺の大学の卒業式が武道館であった後、家族みんなで集まって銀座の有名なしゃぶしゃぶ屋で食事をした。
4人で確か7万位したと思う。
親父がカードで普通に払った。
会計終了後、トイレに行ったか何かで親父と俺二人きりになった。
言わなくてはと思って、今まで本当にありがとうという様な事を俺は言った。
そしたら意外な言葉が返ってきた。
「これからだぞ、本当に頑張らなきゃいけないのは」
そんな様な事を言われた。
それから仕事をして頑張らなきゃいけない時その事を思い出すけど、正直そういうバックボーンで頑張れてるのは確かだけど、そこまで究極に大変な事、頑張った機会や時期というのはまだない気がする。
これからそれが来るのか。
今まではそんな風に思っていた。
だが違う様な気が今した。
今までも本当はそういう究極に頑張る機会はあったかも知れない。
そしてそれは自分次第だったりする。
もしかすると自分次第で死ぬまでその究極に頑張る事を経験できないかも知れない。
逆に自分次第で明日にでも究極な頑張りを要する機会に入っていくかも知れない。
これからはそういう事も自分次第の時期に入った気がした。
それが時間がなくなってきた事の実感な様な気がする。



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今日で俺の今年の夏休みが終わった。
正確には今、終わろうとしている。
毎年、妻の友人家族と海に泊まるのが年中行事となっていて、今年もそうで更にその友人宅に一泊だった。
そして、その後のこの土日で宇都宮に泊ままり一緒に過ごした。
結果、良い夏休みだった。
実は妻の友人とのくだりは若干の憂鬱を伴う。
最近では諦めと慣れと子供と妻の楽しみでかなりなくなったが。
その最中、車のDVDでアメトークを見てる時があった。
その後のコミニケーションが事の他上手くいった。
笑いで醸成された気分がそれを創った。
かなりの偉大感を感じた。

今、夏休みのエンディングを迎え、また始まる単身生活を前に家族の大切さを感じる。
結構前は両親の存在が支えだと感じた。
その後は妻と子供がそれに置き換わり、更に責任の重さも加わった。
ごく最近では、その両方を感じる様になった。
そんな中での今年の夏休みだった。


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