有望な若手が終わるのではないかというぐらいの現実を聞いた。

昨年にデキ婚で年末に子供が生まれた若手社員。

相手は元キャバ嬢と聞いていたが、収まる所となったので幸せと思っていた。

けど相手は風俗絡みで、そして決して本意でなかった結婚との事。

今その境遇と本意でない暮らしに苛まれているとの話。

その為に全く不本意な副業もしているとの事。


仕事に打ち込むどころじゃない。

とにかく本人が希望をなくし、メンヘル状態でもある。

鬱は幸せを感じる脳の部分が不調を来している状態という。

現実も精神も相当な次元で八方ふさがりの状態。

あの有望なアイツが。


人間どこをどう間違うか分からない。

それが現実。

ヤツは救われるのだろうか。

だが、全く救われないとも言えず、その中で見付けていくのも現実。

というか、そこに活路をみていくしかないのが現実。


見ていなかっただけで、実は別世界の戦いも普通に存在する事の現実。

知らない訳ではない、でも見ない様にしている世界。

平然とそこに存在している。


その中で、逆に平然と希望を見ていく事もまた現実。

平然としたポジティブ感。

その大切さを痛感。

この前1/15(日)ツイリンク茂木ハーフ、結構よく1時間52分。

しかも若干の余裕を残し、もっと詰めておけばの想いあり。

でも、走り込みが効いてるなぁ。

たぶん詰め切れば10㌔ 50分も切れる感あり。


体も若干締まった気がする。

ココ10年位では一番仕上がっている気がする。

だが、これをピークとして見るのと、通過点として見るのとで今後がまるで変わる。

今後の方が重要。


これから我が家族史始まって以来のイベントに突入する。

だから、今は通過点であり、更に登っていく。


自分との闘い。

今だけを考えて、その時のベストをする。

他を見ない集中力。

がんばれる。

それが充実、快感を生み、結果も出る。


不要なものを拾う事は無い。

「イベント」を定義すると、テンションが上がる事、と思う。

それは誰のテンションかと言えば、誰のイベントなのかになるが、イベントと言ってるヤツなので、先ずは自分のだろう。

そういう意味ではココ何年かで最大のテンション、最大のイベントがやってくる。

企画も自分でした。

自分で企画する、または企画に参加する事がその人のテンションを上げ、イベント感を盛上げるというものだろう。

年末年始白樺荘スキー家族ツアー。


そんな中、日曜に20キロRUN。

なんとかギリギリ120分を切った。

その位詰めた走りになるとこの事が必要になってくる。

走っている間、思ったのは改めて自分との闘い。


いつも何となく、すれ違う人や回りの人や風景を気にしていた。

それも気づかぬうちに。

その事もよく分かった。

先ずは自分と向き合う事。

自分をよく見つめる事。

その前提があってからの実力の発揮となる。

自分を直視する事は難しかったりするが、それがスタートラインとなる。

なので、出来なければスタートラインにさえ立てないという事。

走っている2時間、特に後半はこの事が頭にずっと浮かんでいた。

そうしなければならなかった。

自分の力を引っ張りだす為に。


その前提の上に条件や好敵手があり、更に自分を引き上げる事もある。

だが、あくまで前提があればの話だ。

これを外さず維持しておく事が大事。

そして簡単では無い。


ある人は言った、尾崎豊の歌は どこまでも自分の事ばかりだと。

だが俺は思う、その究極をやったから一番クオリティーの高い 立ち位置に立てた。

「リーダーシップ」少し抵抗のある言葉だった。

ハーバードケネディ リーダーシップ白熱教室を一昨日見た。

「リーダーシップ」の必要性を感じ、また自分に欠けてる事も感じ、その事から抵抗感も持っていた。

何かベストの時期狙いという理由と抵抗感から、見るのが一昨日となってしまった。


第1回はリーダーシップとは何か。

それは信頼関係に基づく。

信頼関係が無ければリーダーシップは存在しない。

一方通行では成り立たない。

導く側と導かれる側が一対となって発揮される。


導かれる側は、発揮される効果を期待し、権威を導く側に預ける。

よって、その事を導く側はよく理解していなければならない。


因みに私は理解しておらず、考えた事も無かった。

リーダーシップと言われて権威の部分に目が行きがちだが、権威側からの視点だけだと強引な見解しか生まれてこない。

それだと実施段階で無理が出て来る。

権威を発揮される側は、権威を預けた代わりに効果を期待し享受する権利を有する。

それを分かってリーダーは指揮を取るべきである。

だから責任を伴なう。

その事が分かってなければ、本当の意味での責任も感じ取れない。

責任を感じてなければ指揮も甘くなり、結果にも執着がなくなり無責任になる。


この事の理解がリーダーとしての覚悟、使命感を生み、指示の鋭さに繋がる。

導かれる側への本当の理解が、ミッションの成功に不可欠である。

昨日、先週の「みなさんの・・・」を見てたら「きたなトラン」で、ビビる大木が貴明に笑い用でない本気の突っ込みを入れられてた。

それで本気でビビってた。

ビビるだけに(笑)。

元々、大木はそういうキャラと思っていたけど、最近は妙に上手く場を回せる様になったなと感じていた。

けど、昨日はやはり素が出たか、と思わせるものだった。

要因は、大木と貴明の見てるモノの違いと、どこかに大木の中に貴明への気持にスキがあったのだろう。

そして、それを突かれた無意識の自覚でビビる事にもなった。


今週の頭に都内某大手客にOとSと同行した。

その時、しゃべりを振られた際、俺には若干のビビりがあった。

次にOの番の時、Oの落着きは微塵も乱れなかった。

それどころか、一歩入った感を作った。

いつも通りの感じで、無理にこじ開けたのでなく自然に場が開かれる感じだった。

俺とOとの違いを感じた。

俺もブレとかがあった訳じゃないが、相手とのグルーブ感が欠けてた。

Oにはそれがあった。

Oはいつもある、相手に迎合する訳でなく、自分を持ち、むしろ確り持つ事で場が演出される。

一帯のグルーブ感までも。


①同じ様な所を見る事。

②自分の芯を持つ事。

この辺の事が大事で、これは大別してしまうと現在地と目的地の様にも見える。

目的地は出来れば相手と近いと良い。

けれど近づける為のウソは多分ダメで、現在地さえもブレる事になりかねない。

全ては現在地ありきの中で、それをブラすのは将来性まで失いかねない。

その上で同じ様なゴールを見る事。

これは全く同じでなくとも良く、むしろ同一な事は難しいだろうし不自然だったりする。

同じ様な、というのはこの仕事を上手く運びたいという事になってくるのではないだろうか。

事を上手く運べた中にそれぞれのメリットも生まれて来る。

初めから自分のメリットだけを見ず、その前提となる最大公約数的な仕事の成功を見る事が大事という事だろう。

資本主義の限界が来ていると考え、、また言われたりする。


NHKスペシャル見て、うつ病の起源が人間の進化とともにあるという内容だった。

幾つかあったが、人間はうつ病の元が潜在する不平等社会を進化しながら構築してしまったという話だった。

ある面、生きるのに都合良く、ある面で悪いシステム。

そのデメリットに うつ病もある。

他者と自分との対比にストレスを感じ、精神(脳)を病んでいく。


それは間違いないが、そこに人間の変化というか進化がまたある様に思った。

今迄、資本主義の限界感から、次のシステム模索と考えたが、そうで無いかも知れない。

資本主義というシステムは継続し、その代わり人間が変わるのである。


私のストロングポイントは何か?

夏の面接で聞かれ、私は会社のムービングをチームへ伝える事が上手い優れていると答えた。

これは変換力だ。

単に言葉通りに受け取り伝えるのでなく、自分の中で理解し別解釈を生み出す。

それをチームに落とす。


思えば、それは個人レベルでもしてきた事。

そして更に幼い頃からしてきた様にも思った。

人間弱点を何かの手段で補う。

私の場合、強いストレスに対して、そのまま受けていたら参ってしまう。

その時、ストレスを自分の考えで変換し、受容可能なものする。

それは思い返せば、幼い頃からやっていた様に思う、必要に際して。


だから資本主義が継続するなら、人の価値観や考え方の方が変わっていくのでは。

既にそんな気配も感じられる。

その時、今で言うシステムのトップのポジションは意味が変わり、ボトムのポジションも変わり、今と同じポジションでありながら別の意味や価値となる。

システムは同じだが、人間が変わる。

ただ、それは結果的にはシステムも変わったという事になるかも知れないが。

資本主義が限界だから次の何かではなくて、人間が変わる事で資本主義に代わる何かが生まれるのだろう。

ターニングポイントという言葉があるが、特別な地点というものはなく何時でも何処でもが常にそれに該当するのだという。

この世界は常に無限に枝分かれしてあらゆる次元が発生し続けている。

その事とも辻褄が合う。


最近、矯正を始めた。

実に何十年越しの悲願になるだろう。

そして今、初フルマラソンに向け調整中でもある。

これは15年越しくらいだろうか。

今年はスキーにも行く、これに関しては15年ぶりくらい。

で、最近仕事でも所有敷地での太陽光発電プランを思いついた。

12月までにに社内を固め、年度内に社外申請をする。


矯正に関しては噛み合わせの完成までは2~3年掛かるが、過渡期も含めて劇的な内的変化(そこからの劇的外的変化も)が見込まれる。

そこに諸ファクターが乗っかってきて、分岐点としてかなり良いセレクトになる。


捨てるもの、削るものは結果的にある筈だが、その結果的、帰結的に考えられる部分を意図的に意識的やる所がミソになる。

逆説、結果(ゴール)から考えるという事にもつながる。


そういう始動時が来た。

一気に来た様で、実は単なる必然。

無限の分岐の中の一つの選択。

タイトルは個人面接で本部長が私に向けて言った言葉である。

これに心動かされた。

自分の判断で組織を動かして良い。

そして間違っても、それは仕方ない事。

勿論、間違わない様にするのだが。


こんな言葉もある。

判断に成否は無く、あるのはそれを正しくする行動のみだと。


チームの頭を任されたからには、やる事は既存レベル以上の積上げ部分。

それが長の仕事である。

それを出来ないただのルーチン野郎では、仕事をしていないも同然である。

そして同時に間違っても仕方ない権限も持たされている。


セレッソ大阪のクルピ監督は、選手にチャレンジする権利と同時にミスをする権利を与えたという。

その結果、自分の判断でのチャレンジから若手有望選手が続々と育ち、クラブとしての選手育成に成功した。

今回の本部長の言葉はそれにダブる。

もう、俺は若手ではないが。

現、役職では経験も浅いし、本部長から見れば青二才ではある。


「肉体的欲求は高い」

つい先日、自分の口をついて出た言葉。

これは、自分に与えられた肉体のDNAをベストの形で体現する責務がある様な気がする事に拠る。

この世に生まれ、与えられた肉体にフルパフォーマンスを体現する責任が、与えられた側としてはある様に思えるのである。

そして、その事に対する責任は、もはや義務ではなく欲求のレベルになっている。

欲求と責務、どちらもあるのだが。


ここで気付いたのだが、この欲求や責務は肉体的パフォーマンスだけでなく、能力にも言えるという事。

能力=まさしく脳から端を発する処理能力や技術。

これも与えられたDNAをまっとうに機能させフルパフォーマンスを体現する。

能力のMAX化の責任と欲求があってもいいのではないか。

というか、ある筈。


肉体と脳。

そこにコンディションを統べるという要素が入ってくる。

何の為にかというと、上述の責務と欲求の為に。


また、その為に過度の負荷を自らに課していく事もあるだろう。

それも欲求と責務の為である。

世の中の可能性は無限に多岐化していく。

その最たる振り幅の所へもっていこうとする行為は、DNAの責務と欲求の為である。

で、その工程の中にはアハ体験も出て来るだろう。


様々な事象は、よく重いコイル状のモノを回す事に例えられる。

一番初めは、ゼロイチスタート理論でもそうだが、動かすのに相当な力が要る。

少しずつ回り始めると、少ない力でも加速できる様になる。

加速でなく維持なら小さい力でOK。

ただ、ココでDNAの為にベストを出すには負荷が必要になってくる。

DNAの欲求が高いほど、高く且つ効率的な負荷が必要。


だから、初めはほんの小さな事からで良い。

①独立自尊。

②今の行動は後に後悔しないものか。


この2つが実にハマる。

良く昔、中学時代などを回想し「こうやっていれば」とか思う事がある。

その内容を集約すると①②に成る。


日頃、常に自分に問いかけていけば、今の時代を後になって「こうやっていれば」と回想する事もなくなる。

また、別の想いを抱くのかも知れないが。

ただ、今この時に独立自尊と後の後悔について自分に確認していけば、その時考え得る最善を行えるのでないだろうか。

後に、「もっとこうしておけば」と思うかもしれないが、それは何もない所から見れば次元が違う。


独立自尊は出来ているか。

後になっての後悔はしないか。


この2点の問いかけを自分にしていきたい。