神戸に来た。
環境が変われば人も変わる。
会う人によっても変わる。
こっちにきてたぶん俺は変わるのだろう。
「どーせ無理」は恐ろしい言葉だという事だ。
では、そんな時はどうするか。
「だったら、こうしてみれば」だ。
これを流行らす。
自分にも他人にも。

相手のテンションを上げてやらないと。
それはサービス精神でもある。

あと。
生きていくためには自信が必要。
どうするか。
やったことの無い事をやってみること。
小さな事でもいい、そうすると小さな自信ができる。

あと。
「恥ずかしい」が恐かったりする。
「恥」を恐がることで行動しない事がある。
「どーせ無理」と似た効果を生む。
ならどうするか。
これは「かっこいい」でイケル。
かっこつけると思うから恥ずかしい方にいっちゃうのであって、目的を見れば格好(回りの目)に関係なく行動できる。

で、そこに利他主義も絡んでくる。
サービス精神も絡む。
本質を見ろ。
少し思い違いがあったようだ。
家族とはなんとなく大黒柱という親父がいて、それを支える妻とか家族が居る。そんな考えを確かに俺は持っていた。
だが現代の今それは違ってきている。
むしろ主戦場は色々な意味から今、職場ではなく家庭にシフトしてきている。
それはある意味望ましくもあり、その逆でもあり。
その答えは今は若干難しい、けど大概は家族に分がある様に見える。
それは何故なら人は皆、後進に望みを託したり繋いだりするものだから。
そこに分があるのは部下よりも家族だろう。
その人に家族があればの話だが(笑)
けど家族が居てもその旧態依然の考えが蔓延しているのがまだ主流の様な気がする。
俺もその中にうもれてた一人。
昔から実は家庭の方が大変だった様な気もする。
それが目の前の事の方が重要だとされて家庭が二の次だったのが今までの日本。
けど今はそうじゃなくなって来た。

会社のpcでブログが送信出来なくなって、めっきり更新頻度が落ちた。
ブログを書かなくなると現状把握が落ちた気がして、確実な確認をしている訳じゃないがたぶん相応に落ちてる。

この夏の間ほとんど書かず。
で、把握のレベルも落ちた。

今どんな感じか。
とりあえず職場環境的な稟議書が遅れて溜まり、正常で正確な現状認識に欠けている。
その他プライベートも合わせて何かと惰性に相当流されている気がする。

じゃ、今何が取り急ぎのポイントになってくるのか。
生活かな。
全てのベースになる事だし。
そう言えば睡眠時間の確保も危なくなっている。
無理やり走っちゃいるけれど、たぶん効果を上げる方法からは遠く外れてる感がある。
密度が上がれば充実感や仕上がり感も高まってくる。

たまに高まったそれを意図的に抜く事がある。
ココで気を付けたいのは、ただいたずらに落とすのでなく、必要値へ必要分だけ計算して考えて落とす。

話は飛ぶが残しておいた「テストの花道」根気の回を見た。
やっぱりこの番組は凄い!
改めて見て思ったし、特にこの回は残しておいて良かった。
これを見て思ったが人間にはモチベーション統制が必要だ。
よく自己管理とか自己統制とか言うが、ただ行動を管理するという事だけでは、どこかで行き詰まる。
よって推進力が必要で、それがモチベーションという事になる。
‘’やる気スイッチ‘’という言葉があるが、ホントはそんなものは無く、‘’やる気‘’が無ければ‘’スイッチ‘’は存在しないのである。
よって必要なのは‘’やる気‘’=モチベーションの管理、統制である。
それをどうやるか、自分をどう駆り立てるか。
先ずは、モチベーション統制の存在、その必要性の理解が大事で、それは先に書いた通り。
次に方法論だが、これは幾つかあり、これの一例を番組でやっていた。
例ではあるが理解マスターする事で、その事の意義の理解も深まり相乗高価となる。

とかく単なる自己管理のみが全面出がちだが、それだと手詰まりになるという事。
そのメカニズム、理解が大事。
プロフェッショナル宮崎駿引退スペシャルを見た。
結構グッと来た。
自分の追い込みかた。
確固とした現実を見据え、自分の目指す所を確り見てもがくところ。

残された時間でやれる事をやりきるところ。
与えられた時代に、与えられた時間で。

「風たちぬ」のキャッチコピーは「生きねば」だった。
映画の題名は、逆らい難い強い時代の風が吹いている中で、一人の人間として生き抜く覚悟が要るという事、それを示しているのだという。

またこうも言っていた。
一つのファンタジーの時代は終わった。
平揚な時代の中では来る終末期を感じ、今とは別の世界を想像する事を人はする。
だが、現在はそうではなくなってきた。
その事に人が気付くか気付かないかのうちに、既に時代はそうなりつつある。
時代が変わる潮目で、風は吹き始めた。

だから「風たちぬ」は今までの宮崎の人を楽しませるファンタジーではなく、自分の思うところをやりきった作品だという。
だから引退作なのだ。

もう一度見る事にする。
ついにゴルフやるかも。
いや、やるね。(笑)

まだ始めてないけど今回は何かを始める時のワクワク感がある。
久しくなかった、しかもゴルフになんか未だ持った事のない感情。
今回のこの感じは、かなりやるというかやりたい感じである。

結構、ゴルフって全般に渡って否定してた感じがあった、今までは。
だが、不思議な事に今現在は逆に全体的に認めてるモード。
というか憧れ感まで入って来てる。
これはやるな。(笑)

あと大事なのは機を逸しない事。
この気持ちでいけるタイミングを逃さず、且つ他も確り持っていく事。
他を漏らして入っていくのは何かウソの入りか方の気がするし、ゴルフもそれ以外も台無しにしてしまう気がする。
ただ、それでズルズルと始められないで、やはり全てを台無しにしてしまう事もあり得るので要注意。
ちゃんと状況を漏らさず且つタイミングも逃さない。

では期限は?
レッスン入会が今月中か。
今の気持ちの高揚、ノリを逃さない為には。
って事はそれ迄に他のあらかたをメド付けるという事。
結構ハードかも。
でも、そのくらいの方が気分が昂るね。
この回帰はなにか。
以前にも何度となく経験をした思考。
前回、4か5年前も夢枕獏を読み同じような回帰をやった。
今回は中々深いヤツとなっている。
サラリーマンがこんな深く自分との対話をやるのは贅沢かも、というくらいに。
ただ人間はそれをやりつついくというのが本来で俺なのだと思う。

丁度、幾つかの過去を顧みていた時だったし、他にも自分を見る幾つかの事と機会が重なり、この回帰をやった。
で、とりあえずの答の様なものは出た。

俺はどうあるべきか。
一言で言うと「父」になるのである。

今まで人生のビジョン、終着、目的、そういうものは後生に残す事、そうすべきものを創る事、その作業をしていく事と自分の中にそっと掲げてはいた。
でも正直、具体化出来てなかったのも言える。
今回、そのステップが幾つか踏めた。
その一つの形が「父」である。
勿論、形式上は俺は既に父であるが、今回のは父として突き抜けろということである。
何となく父ではなく、俺の出せる一番の父ということ。
その覚悟をする事。

それには幾つか意味があり、それを知るのが今回の回帰だった。
全力で気持ち良く、今をベストに走る事の大切さを知った。
それは何処までなのかということも意味がない事も知った。
細かく言えば幾つかあるが、とにかく覚悟をするべき意味を俺は知った。

振り切ってみよう。
何処まで俺が出来るのか。
それは誰にも俺にも分からない。
分かるのは、振り抜ける、突き抜ける意思を俺が持ったということである。
いいところで留める事の無意味さを知った事である。

佐野元春と浦澤直樹の対談番組を見た。


商業的という制約の中で、自分との折り合いはどうつけるか。

制約があった方が、創れるか?

だって締切りが無かったら、やらないじゃないか。


このやり取りで、究極の制約である死が無ければ、人は一生懸命に生きない、というのを思い出す。

死があるからこそ、この世に何かを残していこうと思う。


では、制約は商業的でなく、必然なのではないだろうか。

であれば、普段仕事をしていて制約の中で動けなくなるのは実は違うんじゃないか。

制約と戦うのでなく、この世に生きている以上 既に制約ありき。

だから常に制約からのスタートなのである、実は。


あと、印象深い言葉があった。


大人達にどうカウンターパンチを食らわせてやれるだろうか。

それをずっとやっている。

もう、大人なのにね。


熱く若い頃の気持ちは捨てる必要はない。

齢を取り、人はむしろ帰っていく、子供の頃に。

対面の時。

この冬は過去との大きな出会いが二つ。

一つは志賀。

もう一つは、一番熱く若かった時代との対面。

後者については今それを感じている。


あの時、意図しない終わり方をした一つの時代。

その終わり方の為か、敢えて振り向かなかった。

だが、今また意図しない事でその時代と向き合う事になった。

それで改めて思うのは、確かにあの時代は存在し、自分のコアになっている。

意識はしてなかっただけで自分のかなり幹の所にある時代。

今、それと向き合う事で改めて自覚し、その為に得られる事を感じている。

いとおしく大切な時代だったのだ。

やっと向き合える事が出来る様になったという事か。


目を背けていた事から、ちゃんと向き合えた事により、相当の力の獲得を今すごく感じる。

けど、その力を得るには、やはり相応の力量を持つ事が必要だったとも思った。

今やっと、それだけの人間になったということか。


二つの時代との対面を果たし、何かが大きく変わった訳ではないが。

確実に自分の足元を固めた気がする。

まだまだフワフワしたところはあるが。

そういう風に大人になるというか人は成長していくのかもしれない。


そう言えば、若く熱い時代の中でも過去の否定していた自分との対面はあった。

そこを経た事を思い出す。

これからも往々に出てくるのか。

俺は自分で能力が低いと思っている。

だけどそれは俺がダメだという事ではない。

能力が低いなら、低いなりのやり方はある。

だから、能力が絶対的なアドバンテージという事ではない。


また俺は強い人間でもない。

ただこれもやり方次第でパフォーマンスの発揮に繋げる事が出来る。

よって強さも絶対的なアドバンテージというわけではない。


そのやり方を見つけ出すのに必要なのは、正直な己の認識。

それによって本来弱点と見られがちな所も、ストロングポイントの起点となる。


そして、それは本人だけが、ちゃんと理解していればいい事。

その見え方は第三者が勝手に決める。

本当のところの認識、理解は本人だけしか分からず、本人だけが分かっていればいい。

だけど、自分には本当の自分が見えるのでウソはつけない。

そこのところでちゃんと苦しんで答えをだしていく事が大事になる。


「今、ココ、私」を忘れない事。

俺はどうしたいのか、どうありたいのかが、全ての大前提となる。

それが欠落してる時、何も始まらない。

意味の無いダメな時間を過ごす事になる。


NHKのプロフェッショナルに囲碁の若い天才が出てた。

その人は、拘り考え抜いて自信を持った一手を打ち、だから奇想で強い。

中国の実力№1と戦った時それが揺らいで負けた。

拘った盤面から打開が見えず、別展開の一手を打った。

結局そこが勝負の分かれ目で、相手は展開を譲らず押し切られた。

敗戦後の検証を本人が行った。


TVでその詳細は語られなかったが、こう見えた。

別展開を狙った一手自体は悪くは無かった。

ただ、その一手を何処まで考え抜き、覚悟まで持てたかが足りなかった。

何の気なしに出て来た発想かも知れないが、実行するなら裏を取る思考と実践する覚悟が必要。

それを持つベースが「今、ココ、私」だと行きついた。

どんな状況でも自分が置かれている状況を自覚し、向かうべき所を認識し、その為の行動を取る。

良い考えや方法論でも、それが欠落したとき、クオリティーはガタ落ちする。

そして成功の確率に直結する。


俺が新人の頃、凄いと思わせた上司がいたが、凄いのは発想だけで実践が伴わず結果も今一つ。

結局俺のその人への評価も、会社的な評価も、そこまでの人だったという事になってしまった。

今思えば何でそんなだったのか、足りなかったのは思考と覚悟。

それらは情熱なしにはあり得ないけど、思考と覚悟の重要性をちゃんと理解してないと情熱も持てない。

思考と覚悟と情熱は相関してて、どれが第一条件と言えない三位一体の感じがする。

順番を付けられない事の理解もしてないと、全部にパワーを注げないから、その理解も大事。

それで、やっぱりそのベースとなるのが「今、ココ、私」だと思わされる。


長い距離をベストの走りをしようとすると、自分の状態を常に確認しつつ、そこに掛けるべき負荷を掛けていく作業を行う。

正確な自己状況の把握と、それに対する然るべき判断、そして実行力。


「渋谷で働く社長のブログ」にこれに絡む事が出てた。

ギャンブルについての話だが、自分に負ける人は勝負にも勝てない。

ギャンブルは欲という己との闘いが常にあり、欲 対 己 の状況を常に見て、それにちゃんと相対できているかが大前提となる。

欲の大波に呑まれつつやるギャンブルほど楽しいものは無いが、それだと勝つ事は出来ない。

だから、ギャンブル好きな人ほど、実はギャンブルには向いていない。

そんな話が書かれていた。


長距離走の話に戻るが、マラソンのトレーニングを続けていて、その質が上がるほどに自分との対話の質も上がっていき、それ無しでは上のレベルに行く事は出来ない。

レベルの低い頃は、自分対話のレベルも低く、それが成されていない状況もあった。

マラソンを続けていて自分を見る事を覚えた。


自分との対話は走る時だけでなく、質を高めていく際にはどんな事にも必要である。


人間は生きていけば残り時間は少なくなる。

ならば質の向上は必要。

であれば常に己を見て、そこに仕掛けていくべきだろう。