パワフルな人はいる。

その人は如何にして今そうあるのか?


その問いの応えは幾つかある。

天性のものもあるだろう。


最近特に思う一つの答えはコレだ。

万全で挑む日々毎日。


例えば精神と肉体が万全に近い状態で毎日を迎えたら。

(勿論この二つは常に相互関係にある)

その中で発揮するパフォーマンスもMAXに近いものになる。

そこで得られる学習もまたMAXに近いものがある。

少なくとも、精神不安定、睡眠不足、みたいな状態で送る毎日とは雲泥の差がある。


寝る子は育つ、という言葉もある。

これはただ睡眠が良いわけではなく。

それを糧にして過ごす日常との相乗効果を意味するのだろう。


であれば、俺は日々を可能な限り万全に近づけた準備の中で生きていく必要がある。

その時役立つ思考は「攻めて詰めて決断して止まる」である。

コレを各事象に細分化して行うと、見える景色が変わって来る様に思える。

色んな雑多な事が起きている時、自分が弱いと自然と逃げになる。

その逃げてる自分に気付かないと逃げ続ける事になる。

この現象を食い止めて是正するのに役立つ思考。

それは攻めて詰める事である。


詰めるのはやみくもに進む事ではなく、可能な所まで詰めて、惰性でなく意志で止める事である。

きちんと逃げずに攻めきれる所まで攻めきる。

行くべきでない所まできたら、逆に勇気を持って止まる。

そして行くべき時が来たらまた行く。


この都度攻めきるクセを付けて行く事で次に攻める時に攻め易いのである。


ただこれをするには攻めが必要で、もし逃げたら、逃げてる自分に気付ける事が、最も重要。

先週千葉の後輩と同行で感じた。

この人物パワフルである。

どこからそんな甚大なパワーが出てくるのか。

きっとシステムがある。


エンジンはガソリンに空気を加え混合気として爆発させる。

そして最近では発生した動力を電気に変えて更にパワーにする。

株式会社は沢山の株主から投資を集めパワーにする。

何かその場にあるモノを如何にパワーに変換するか。

のような気がする。

通常パワーの基と見てない何かを。

その目は単なる利己主義の中では育たないように思う。


他者を尊重する気持ちの中にきっかけがあるように思う。

そういった気持ちがなければきっと見落としてしまう。

昨日か、娘に日記が返って来ないんだけど、と言われた。

娘とやっている交換日記が私で止まっているのである。

けど娘の文は1行なのでこれでやり取りするのは限界がある。

既に1行日記を何回かやり、それで私に特にコメントが無く止まっている。

その意味も込めて日記を返すとするか。


しかし昨晩も娘は寝しなにカミサンに怒られてた。

見てないところろで弟に危害を加え知らないふりをしたかららしい。

子供というのは単純にウソをつくものである。

そして弱いからそのウソをついてしまう。

その辺を精査していくのが成長していく事なのだが、発展途上なので大目に見るのも必要かと思う。

カミサンにはそういう気持ちはあまり無いようだ。

娘の程度も相当なのも事実だが。


そんな娘でも少しずつ、いや3歩進んで4歩下がって1.5歩進むくらいの調子だが、前に進んでいる様に思う。

それはそれは遅々としたものなのだが。


その遅々とした前進を見逃さず見てやることが大事なのだと思う。

そこをちゃんと見てれば、それを娘も感じて、更に化学変化も起きる可能性も有る。

仮にそれが無くても見なくては。


それ以上でもそれ以下でもない事実を。

自分自身にも言える事だけど。

ジリジリ感を久しぶりに感じた気がする。

次席勉強会の中で発表した内容が自分でも思わぬ解釈をされる。

これは自分の力の無さである。

自分が意図したところに相手の理解を落とせない。

自分の理論に慢心していた。

だが、以前と違ったのはリアルタイムで自分のミスを理解できた事。

しかしそのジリジリ感はやはり相当なモノで、それとの戦いは結構キタ。


けどこのレベルのジリジリ感は最近無かった様に思う。

このジリジリを喜びに代える事も今は出来るのではないかと思う。


改めて思うが人からの評価に耐えるというか、これも自分との戦いになる。

そもそも弱いから慢心があった。

自分じゃなくて他者を基準に考えてしまったところがあったから負けた。


そういう戦いだったように思う。

人間とは多面的である。


誰も良い面もあれば悪い面もある。


いやらしい面、正義感、邪な気持ち、慈悲の心、憎しみ、慈愛、誰もが持ち合わせている。


その時によってその一面が見え隠れする。


「罪を憎んで、人を憎まず」とは良く言ったものである。


その人間の多面性を理解して接する事がコミニケーションを高める有効手段だろう。


同時に自分の多面性も認める。


むしろ自分の多面性を認める事が相手のそれを理解する前提となるのだろう。


認め理解した上で互いに敬う。


そうすれば素晴らしいコミニケーションになる。

最近手帳にメモる時、図が増えてきた。

チャートというんでしょうか?

結局喋ってる時、頭の中に浮かんでるのは言葉じゃなくてイメージ。

それに近いものを図案化してメモる様にしている。

頭への入り、定着、そしてアウトプットする際にも使い勝手が良いと考えてのことだ。


息子が幼稚園でイジメにあってるかもしれないとの事。

別に幼児だから陰湿なものじゃないし、勘違いの可能性もあるが、他者とのコミニケーションがヘタなのは事実。

コミニケーションは生きる為に必要なのだが、恐らく身に付ける理由としてそれだけじゃ弱い。

世の為人の為にも必要。

だからこそ自分発信していくべきなのだと。

幸いスキルは低いのだが向上心はあるタイプなのであまり心配はしていない。

ただ母親は心配なようだ。

その辺も含めた総合的なケアも俺の役割になってくるだろう。


部下のKが「仕事は趣味だ」と言う。

この考え方、古臭いとも聞こえる。

逆に新しいともいえる。

オンオフのボーダレス化の考えにも通じる。

俺の場合趣味とは言う気は無いが、生きる事自体が趣味みたいなものだから延長線上に置けば趣味と言えるかもしれない。

Kが言うのもそういう意味かもしれない。

さらに昔S田も同じ発言をいちおうオフィシャルな場でして、俺はドキリとした思い出がある。

仕事に取り組む姿勢を学ばせられた。


プチ同窓会に行ってきた。

夏にやった同窓会の複線で発生したものだ。

けれどそういうメンツで飲むのは思った以上に良い。

あの時代に戻る。

イイ空気だった。

あの頃と若干今が融合した空気。

豊穣な空間だった。

それが良い空気に感じられた一番の原因は俺自身がそこに望む際の気持ちだろう。

当時色々あった事も含めて許し互いを尊重し合う気持ちが。


娘の絵が入選して区の会館に張り出された。

それを皆で見に行った。

良い絵だった。

上手いというのではないが味のある、娘だから描けた絵という点で素晴らしかった。


最後に息子の話に戻るが、大丈夫だと思う。

思考の芯は間違いないと感じる事が出来る子だからである。

今は単にスキルが無いに過ぎない。

今日昼に外食した際に食事のレクチャーをしたが、真剣に聞いてくれほぼ満点の出来だった。

コミニケーションも同じだと思う。

時間と手間は掛かるだろうが。

少なくともその昼飯の時俺と息子の気持ちは通じ合っていた。

そういう接し方がこれから凄く大事になってくるだろう。

そこから学んでくれるはずだろうから。

昨晩、帰りが上司と一緒になったので聞いてみた。

「最近、仕事中も頻繁にメールをされてるようですけど、所員が気にし始めています。」

すると上司の方からその理由を話してくれた。

単身赴任で置いてきている妻がうつ病で状態が良くないとの事。

電話をしたいが仕事中は無理ならメールならOKじゃないかという事で、メールがガンガン来る。

放っておくと相手にされてないと思い込んでダウンの状態に落ちる。

それが怖いのでメールを返すと更に返信が来る繰り返し。


正直、上司自身もしんどくなるとの事で、仕事に集中できない時もある。

これ以上悪い状態になるのなら会社に言って関西に戻してもらう様になるかもしれない。


もしかしたらと思っていたが、それが事実でしかも深刻である。


だが、私が聞いた事で話が出来て少しでも気がラクになったと言ってくれた。

私としてもそれが嬉しい限りではある。

所員に対しては誤魔化していたつもりが、逆に誤解を招く結果になり、その事に少なからずショックもあったと思う。

コンセンサスは取れた。

俺の果たす役割も明確になった。

気の引き締まる思いだ。

この上司の為にも、この状況打破の為にも、俺自身の為にも頑張る時が来てしまった。

嬉しい限りである。


とにかく今回人の道を踏み外さなくて良かったという想いもある。


だが、人間弱いもので何かの弾みで俺も人の道を踏み外したかもしれない。


ようやくどうにか真っ直ぐに進めた俺自身を確認し進んでいこう。

最近上司の様子が変だ。

その兆候は2ヶ月前ほど前から現れた。

メールをしてる頻度がメチャクチャ増えた、しかも仕事中。

部下も一様におかしいと思い始めてる。

厳しかった仕事上の指摘も緩んだ。

どうやらメールは不倫相手とやっているらしい。

俺は奥さんだと思ってた。

精神的な体調不良(鬱病)と聞いていたので、その状態が悪くケアの為もあってのメールだと。

だが違うらしい、まだ断定は出来ないが。

けれど仮にメール相手が奥さんだとしてもあの頻度は良くない。

周囲の士気を削ぐ、チームとしての纏りもなくなる。

先ず気になる、どういう感情を持つかは色々あるが。


そこでココまでの状態になってしまった今、仕方ないので率直に聞こうと思う。

いや、とにかく今の周囲の見方を話し、よって改善を促したい。

それで改善できなければ能力無しということになるだろう。

もしかしたら今既に能力無しの烙印を押しても良いのかも知れない。

だが人間はだれも完璧じゃない。

だから互いに補完し合っていかなけらばならない。

自分もまた例外ではない。

そうであれば補完する行為を無しに見切るのは自分の考えの否定にもなる。

そのスジを通す為にも、コンセンサスを取る行為が必要だろう。


その上で注意したいのは、周りの評価の為にやるのでなく、相手の為にやるのでもなく、自分の為にやる事だという事。

このプライオリティが大事。

そこを曲げなければ大抵どんな結果になろうが、俺自身が揺らぐ事は無い筈だから。

先週、部長代理と同行した。

と言っても銀行から出向で最近来た新入社員の方。

この研修という事で。


やはり既存社内の見地に捕らわれない視点はあった。

今競合との戦いが熾烈を極める中で、そればかりではないのか?

ウチみたいな会社はそれ以外に本来の商品開発という部分で勝負しなければいけないのではないか?

その通りである。


言ってみれば、既存の市場を奪い合う戦いと、新しく市場を開拓していく戦い。

勿論後者の方がテンションが上がる。

前者は生きていく上で現状外せない戦い、だけど精神的にツライ。


世の中の幸せの総量は決まっているという説がある。

要はイス取りゲームである。

俺はそうばかりでは無いと思う。

言わば、幸せ∞説。

厳密に言えば限界はあるのかもしれないが、人知のレベルで行き着けない程の幸せが世の中には埋もれている。

人間の脳みそが実は殆ど使われていないのと同じ様に。


決まったパイを奪い合うより、新しく切り開く方が俄然気がノる。

俺はそういう生き方をしたい。


相対評価の中の闘いではなく、自己評価の闘い。

自己評価の延長線上で相対評をも手に入れるならば望ましいが、むしろそれも関係なく自己評価ありき。


勝ち組、負け組という思想は相対評価の産物。

もしかしたら、幸せの総量は決まっていてそのイスに座りそこなう事の不安を煽る為の刷り込みかもしれない。

支配者側の。

去勢政策の為の。

幸せ∞が前提なら、勝ち組負け組という思想は怪しくなる。


①相対評価ありきの考え方では、世の中の幸せ量は限定される。

②自己評価ありきの考え方だと、世の中の幸せ量は限定されない。


①相対評価の中では自己のモチベーションさえも上限が発生する。

さらにその相対評価が悪い時にはモチベーションの維持が極めて難しい。

言わば受動だから。

外部のリアクションに依存したもので能動的ではない。


②幸せ∞なら、やり方次第で開拓可能。

メチャクチャ成功してるヤツがいてもパイが決まってないから、ある意味並んだり上を行ける。

それを見た周りから結果としての相対評価はあるが、やってる本人は自己評価が基準。

良かろうが悪かろうが相対評価により根底を揺るがされる事は無い。

だからモチベーションに関しても周囲からの依存性は薄くなる。

相対的に悪いときでもモチベーションコントロールが可能。

能動的である。


当社の仕事に置き換えれば、競合との闘い明け暮れるだけでなく開拓的な仕事が必要。

当社にとっての新分野というだけではなく、世の中にとってもある意味の新分野である事が条件と成ってくる。

言ってみればフロンティアスピリット。

「ベンチャー精神」って=なのかな?