今、仕事がバタバタだ。

その事にやっと気づいた。

つい最近まで、そういう状況にも気づけずのんびりしてた。

だが現状は違った。


手付かずの稟議書。

後伸ばしにしたソニーデバイス。

他に目白押しになってきた政策関係。

地震のあらゆる影響。

震災特需の出荷ヒートアップ、そしてそのメド無し。

仕事量増大と1名減での軋轢発生、露呈。

営業マンの一杯一杯具合。

本部での自分の評価のされ具合。


その辺にやっと今日気づけた感じ。


この前の映画監督のの堤氏の巨大チーム運営法みたいな話で、各メンバーの志気高揚にユーモア心をあおるというのがあった。

ボスがその気心がないと、部下は疲弊しモチベーションも落ちるのみ。

その辺を勘案しこの二日位はその意識で実践して効果も確認できた。

で、気づいたら実はかなりのバタバタ状態。

これはある効果を生み出したから気づけた部分。

何も、出来ていなければまだ気づけていないか、さすがに時間の経過で露呈するか。

ただの露呈だと多分相当その状況にビビってあたふたするだろう。

おちまさと氏のブログで「何待ちか?」が繰り返されていた。

それが分からないとイメージが出ない。

イメージが出来ないと、今どこへ向かっているのか、どこへ向かうべきなのかが分からなく、無力感にさいなまれる。


これは自分の生活や仕事とか人生でもそう。

とりあえず80歳で誰でも死ぬ。

そこを明確にしてからの逆算→イメージである。

80歳で死ぬのなら今あれをやっておこうとか。

50までには何をやっておこうとか。

そして80で死ぬのなら例えば今の仕事にどれだけの執着でやればいいかとかも見当がつき始める。

そう考え始め、ある意味ベースが構築されると今迄ビビっていた事や意味も無く焦っていた事もそんな必要がない事が分かったりする。


今回被災された方々はそこのベースが吹っ飛ばされたので、ビビったり意味無く焦ったりを余儀なくされていると思う。

「今できること」は先ずそこの所の解決にむけるべきなのではと考え始める。


そして自分自身が先ずそれを見失わない様にゴールを見て行く。

ある意味逃げない事。

そのゴールにどんな未来を築けるか。

時間が流れているから必ずどういう状況でもゴールは来る。

良くも悪くも、そこを見ていかなくてはいけない。

NHK佐野元春のソングライターズでゲスト桜井和寿の回を見た。

学生が桜井に質問するコーナーがある。


学生「影響力のある歌手として、生死や平和など重いテーマを歌う事が聞く人に衝撃や影を落としてしまう事を恐れたり責任を感じますか?」

桜井「その辺は出来るだけ無責任でいたいと思うし、自分の事を影響力のあるシンガーとも思わない様にしている。」

学生「その無責任でいたいという思いと誰かを救いたいという思いの矛盾さにジレンマを感じますか?」

桜井「誰かの為に歌っているのではなく、とにかく自分を解放する事を大事に考えていて、その結果誰かの問題を共有する事が出来れば、それは救う事にもなるのかなと思っている。」


確かこんなやり取りがあった。


当社は「利他主義」を経営理念としている。

それに私個人も感銘を受けてブログの名前にもしているくらいだ。

だがどうも最近それにしっくり来ない感じがあった。

確かに立派な理念なのだが、何かが足りない。

それが分かった。


人は自己の本質で勝負していきたい。

利他主義を掲げ世の為人の為でやっていっても、それが自己の隠蔽を伴っていては意味が無い。

利他を掲げるがあまり、事故隠蔽になってはダメ。

この世に生を受けた以上、自分の本質で生きていかなければ意味が無い。

自己を開放して素の自分で生きてそれが利他に繋がるのが本当だ。

事故隠蔽で利他になってもそれは長く続かないし大きな意味は無い。

それに大きなパワーも生まれず、結局大きな事は成せない。

それより、自己解放し自分の素で生きて、それが一部の人しか共鳴してくれなくても、素の自分のパワーで得た共感や共鳴は、自己隠蔽のそれの比ではない。

それで発揮されるパワーや得られるパワーは壮大で、そう生きる事が正解なのだと思った。


それで利他主義に欠けてたパーツが埋った感じがした。

自分の行動理念にカッチり来た。


こういう時こそ発揮すべき。
日本人の民度の高さを。
国の前に地域や企業単位もあるけど、この惨事に乗じる様な利己的な行動やともすれば犯罪とか起きるならそれは本当に悲しい事だし、日本として国レベルでヤバさを感じる。
とにかくこの危機は日本人として総意で乗り越える事が大事。
それが今後のこの国に良くも悪くも多大に影響する気がする。
話し変わるがこの大変な有事に、いつもブログでそれなりの事を言うそれなりの影響力を持つそれなりの方々のコメントが出てこない気がする。
何か状況を伺っているのか?
遅い。
いつも早いのに。
ストップしてる。
こういう時こそと思うんだけど。
気のせいならいいけど。
ちょっと拍子抜けする。
その辺対局的に少し気になる。

別の戦いがある。

自分を守らなければならない戦い。

厄介なものである。


ただ仕事に邁進できる環境とは、逆にすこぶる幸せなもの。

そういう境遇に居ると気づきにくいだけで。

だが、それとは別の戦いを実際は強いられている。

それは普段の幸せな環境時に必要最低限の事を実施していればある程度防げる。


それと、対極に体制とかに攻めていく時、別の戦いに似た細心の戦略が必要である。

でないと思わぬ所から思わぬ敵や要因が出てきて破綻する。

または、その辺を考えていなかったが為の甚大な後悔をするだろう。


現状に甘んじてはいけない。


考えうる最多、最悪の状況を想定して対策も考える事が必要。

そうでないと、それに襲われた時必ずビビる。

うろたえて正常な判断は勿論出来なくなる。

正常な自分で居られなくなる。

その結果にも後悔する。


その中で性善説もある。

性善説ありきだけど最悪も想定して覚悟や対策が要る。

そして言うべき事は言っていかなくちゃいけない。

言わなかったなら又それも後悔になったりする。

だから良く考えて、覚悟を持った上で言う。

または同様に覚悟を持ち言わない。


これからは、そういう戦いの精度を上げていく事。

それが必要だし、行く道となる。

以前も何回も「集中力」というタイトルで書いてる気がする。

今日もそれを考えるシーンとなった。

先ごろは何か仕事がノらない。

で、なんとなく夢枕獏を読んだ。

今日のは「牙の紋章」。

この人の小説は皆そうなのだが、1人の男が自分のこだわりの中に埋没していく。

周囲や社会とかけ離れようとも。

というか逆行する様に。

読んでいて、また周囲の評価を気にし始めている自分に気づいた。

人はそういう状態に自覚無しに陥るものである。

それは当然自分も例外でない。

だからこの現象とはずっと付き合っていかなくてはならないだろう。

ただ大事なのは気づいて速やかに脱却する事。

この状態に陥ると自らの仕事に集中してない自分が居る。

で、集中力はこの状態に陥らない事、また脱却する事に役立つのでは、というか関連しているのではないかと思った。

よく、自分の子供に「今、自分が一番やるべき事は何かを考えろ」とか言ってるが、正にその状態だった。

これはやはり必要なのかな。

と思うところがある。

見限る感。

20代の頃は会社に帰属しないというか、別のところにいくかもしれないし、通用するような実力をという様な考えを持っていた。

今はない。

それは実際に実力が他で通用するかしないかという事ではなく、そういう考えをしなくなった。

ま、実力うんぬんは別にして、一生この会社というのは今は絶対的にある。

大体結婚を機にそれが出てきて、子供が出来て一層強まり、以後は意識する事も無く強化された気がする。

ずっとこの会社と思う事でのメリットは、やはり仕事に責任感が出る事か。

本当の意味で会社の為になるのかを、やっている仕事に考える。

ある種の帰属感がなければ、そうは考えないのではと思う。

よってそれが日々高まってきた。

と考えている。


けれど、あまりにもその過程について考えなさ過ぎのまま、その感だけが肥大していったのでは?

と時おり思うことがある。

今、それを思う。

やはり、ある種の見限る感がある事で納期意識から仕事の質量が高まるし。

それがのべーっと無い状態では質量の高まりは難しい。

結果的に他の仕事をするかどうかは別に、今の仕事に納期を設けるのは得策の様な気がしてきた。

例えば、ベンチャー企業が(ベンチャーじゃなくてもだが)新規事業に打って出る時、期間や資金という線引きを設けるのは当然。

そこをGOかストップの境い目とする。

その線の少し先に成功があるかもしれない時に、その線到来のせいでストップしたら勿体無い。

という話もあるかも知れないが、それはそれ。

その線引きがある事での、そこまでの事の運びの効性は雲泥の差だ。


その辺の意味からすると、20代帰属意識の無かった効果は、意外とそっちで大きかったと今思う。

逆に、今の自分はそこが欠如したか、と思った。

別に仕事変えるとか思わないし、責任や意気込み(意気込みや情熱的なモノは空回りや側だけになる事に注意だが)のレベルを下げてとかじゃないが、ある種の見限る感は必要だなと。

実際に見限るかどうかは別にして、納期感は必要。


ってウチの会社未だメールフリーになっていない。

この時代に。

ある種あきらめとかも有るが。

この辺も見限る感を持って取り組まない限りは打開できないだろうな。

それと新規事業感も無い。

これは納期感や資金上限感を明確に持って挑んでない。

その前に儲かるか分からないのに金は出せん的なモノがある。

そうじゃなく、明確な線引き感の上に展開されてないところが今迄新規事業間が皆無な感じの原因と思ってきた。

ま、社長の考えが一番なのは当然だけど。

そして、その社長の考えをどうにかする的なコンセプトやその強度が全く弱かったのも言える。

そこまでの会社危機に直面していなかったと言うのもあるが。

そういう危機感を感じてるなら、そのテンションで言ってこい、という何か社長の待ちのテンション(そうじゃないのかもしれないが)に見えるのも気に入らない。

今、娘がバスケ(ミニバス)をやっている。

何か不完全燃焼な感じで約1年が過ぎようとしている。

今度6年生だから、ミニバスは最終年になる。

が、バスケットはバスケットは中一からが正規のリングの高さだ。

今、娘はそれを目指していやっているのか。

どうやらそうではない。

今のミニバスと中学からの部活、世界は別物。

そう考えてるふしが見受けられた。

それが昨日。

だが、それでは上達しない。

情熱が全く足りない。


その少し前に私は娘のそれ(バスケ)にとりあえず全力で協力しようと思ったところだった。

と言っても単身赴任だし、実質週末だけで電話とかの補助的要素はあるにしても限界はあるけど。

けど、そこそこリキ入れて考えてた。

そこで意外な軽さ。

だから何か肩透かしの感じはあった。

ま、そんなものかもしれない。

俺だって自分が高校の頃とか本気度が上がったのは随分経ってからだし。

高校後の方が実質本気度もスキルも上がったし。

娘の場合は明らかに成長がオクテのタイプだし、結構大変かも。

俺の意識とのシンクロが。

大概、全般に娘は大人との意識のシンクロが今一つなのはこの辺が大きい。


で、物事に情熱を傾けて自身を磨く力をタイトルで注入力と名づけた。

これがかなりの要素で物事の大成の芯を占める。

例えばこれが幼年からある場合、やはりかなり大成の確度は上がる。

だが、この注入力を持つのは一筋縄でいかない。

自分の場合がそうだった。

この力は先天的なモノが結構大きい様なきもする。

が、後天的に身に付かないのかというと、それが証明されている訳でもない。

俺も娘もその可能性に賭けるしかないのだ。


最近、自分の家族をよく思う。

両親は俺に最大の愛をくれた。

今もそうなのだろうが、幼少時代、確かにその時代はあった。

思えば出来の悪い子供だった筈。

その俺に対し最大の愛をくれた。

今、それを思い起こすと大抵の事は頑張れる。

それを思うと、その為にきっとその愛は注がれたのだと思う。

何ものにも変えられない絶対的な愛だ。


今俺は親でもある。

両親の愛は俺の親としての教えにもなっている。

出来の悪い俺に最大級の愛を注いでくれた両親。

それこそ最大の教えであり教育である。

それを与えられていない者はきっとそれを実践するのは難しいだろう。

それを得ている俺は幸せ者であり、我が子にそれを注ぐ事で伝えていく事が出来る。

伝えるべき我が子も居る。


最愛の人に応えるべく生きて

それが最愛の人の為になる生き方。


その渦中にいる俺はかなりの、恐らく世界でも有数の幸せ者である。

最近自分の中に逃げてる感がある。
それがくすぶりながら知れずに変な成長をしてる気がする。
知れずにって今自覚してるんだけど。
けどはっきり捕まえてる感じでもない。
だから対処も出来ないんだろう。
で、今これを書いてる。
この感じの核はソニーデバイスの政策だと思う。
これを滞らせているから。

ココをきっちり向かい合って解決していく事が、逃げてる感の解消になるのだろう。