ドラマ「坂の上の雲」を見た。

1部と2部で3部は年末にやるそうだ。

明治の日本は改革期であり、世の中の変わり様は凄かった。

そこに居る人間たちの気運や気持ちの高揚もまた想像を超えるものに違いないと出ていた。

西洋化→軍国化→敗戦→経済国家。

ここまでは国を通して皆が持つ事が出来たビジョンがあった。

今はどうだろう?

そういうビジョン共有は難しいのか。

と言うよりも、共有とか言う前に個別にしたって持てるかどうか。


ある意味、個々が別々のビジョンを持つところから始まるのか。

だが、その個々ビジョンが実は統一感を纏っていったら、これほど強大なものはない様に思う。

今迄の日本がそうだった。

だから日本はこれまでの道を歩めたのだろう。

これからはそういうのではなく別の時代になるのか。

もう別の時代に成っているが、昔の様な1億総高揚できるようなビジョンなりは持てないかもしれない。

共有ビジョンというもの共有しようとするものでなく、個々のビジョンが気付いたら同じ方向だったという感じが本当だと思う。

であるなら、今は各々は違っても、先ずはそれぞれが確固たるビジョンを持つ事だ。

それが非常に難しいとは思うけれども。

それを持つ事は各個人の独立にも繋がる。

そしてそれは個人の強化になる。

それはきっと国の強化にもなる。

すぐに、よく道は見えなくなる。

ついこの前見つけたと思っていた歩むべき道が。

見えなくなる原因も自分にある。

見えなくなったとき、それをまた探すけれど中々見つからない。

見えてた時の自分と見えなくなった自分に違いがあるから。

そしてようやく苦労してやっと道を見つける。

ただ、前の道とは少し違っていたりする。

それはそれでも良い。

違ってるところはあっても共通してる部分も当然ある。

それが見えた時、見つけた感は大きい。

見えたならまた進んでいこう。

一歩一歩確かめながら踏みしめる。


昨日、NHKの科学番組で細胞の特集のヤツを見た。


細胞の増加活動はある単純な規則がありその時の環境に適応しその活動が成される事で複雑な組織が出来る。

人間の組織も同じと例えることが出来る。

根本の核となる法則が確りしている事が組織を形作る上での重要なファクターとなる。


そして生物の組織は自己に対し非自己が入り込む事で良化の変化を起こす。

ただこれは非自己の質と量にもよる。

だから非自己をどう扱うかを判断するコアが重要。

これによりベストな質と量の非自己を敢えて残す。


細胞は極小な世界だが、これは逆に壮大な世界=宇宙にも通じる。

そしてニーチェの運命回帰にも通じる。

世の中の事象それ自体は何ら意味を持たない。

それをどう意味づけてどう使うかは人間次第。

そして何でもコアが大事。


自然科学の事例は人間社会にも通じる。

それもそのはず、人間社会も自然科学の事例の一つに過ぎない。


以下、辻氏のブログ引用。


傲慢になる理由

傲慢になるのは、後生大事に何かを持っているからである。

初めは何もなかったのに、少しうまくいくといろんなものを持ち始め、 執着が生まれてしまう。

常に何も持たず、何も望まない。

何も持たないということが、「何か持っている」ということである。


何かピタッと来た。

人間守りに入ると身動きが取れなくなり、結果何も出来なくなる。

守りに入るという事は、現有のものでポジションを維持したいという欲求による。

それは損得感情である。

損得感情に入ると大事な事を見失う。

結果、色んなものを失う。

最終的にどうなりたいのか。


よく、死ぬ前にどう思って死んで生きたいのか?

という質問を聞く。

これはどういう人生を送りたいかに通じる。


これについて考えてみた。

答えは、「死後=未来の為に残す何かをやり、次の世代に託せた」そう思いたい。

そう思える生き方が目標になる。


人は大体80位で死ぬ。

だが、世の中はその後も続くし、その前もあった。

その中での自分の時間=人生。

で、あれば次の世代に繋がる生き方、繋げた感を持って死にたい。

未来を創る。

そういう人生でありたい。

以前から思っていた事、感じていた事だが、人は客観評価に捕われてはいけない。

そしてその前提として自身の評価に拘るべきだ。


NHK白熱教室で高木晴夫氏の回を3回見た。

3回とも素晴らしく、それぞれ非常に面白く参考になった。


NHKのQも見た。

多分最終回で演出家の俳優の息子、名前ど忘れした。


この前は湯川秀樹の人物伝を見た。

やはり独自のものを追いかけていた。


人は実社会に出た頃から30前位まで、可能性の範囲を広角的に広げていくものらしい。

30前後から30代の後半までに実際の自分の能力と現実世界を知っていく。

40前後で知った現実から自分の活きる道を絞り収束させていく。


今、私はこの収束の時期になる。

正確には収束から更に軌道に乗せている所だ。


そして50台を過ぎると更に自分というものを確立していくという。


今、その話が分かる程度には成っている。

予備校時代に好きな講師が「人間、若い頃は勢いや若さで活きる、年を取ったら“自分”で生きる様になる」と言っていたのを思い出す。

それを聞いた時はどういう事かイマイチ分からなかった。

だが、考えさせられ妙に自分の中に残った。

その結果今も時に思い出す。

何となくはその事が分かり掛けてきた最近であったが、そのまた最近それが更に明確に解ってきている。



少し前に注入力という題でブログを書いた。

中長期に物事に情熱を傾けていく行為。

そんなイメージのものだ。

これは誰も課題、多くの人が、と思う。

俺も、娘もそうなのだが。

では何がそれを成す要因となってくるか。

それは絶え間ないルーチンのような気がする。

太く揺るがないルーチン。

規則正しい生活。

それを維持する精神力。

そういったものを継続していくと練られていくものがある。

それは気力、体力だ。

同時にスキルも付いていくが、大きいのは気力体力。

特に気力のように思う。

スキルはなくしても気力体力があれば又身に付けられる。

更に体力が落ちても気力があれば又身に付けらる。

だが、気力が落ちたら難しい。

体力が磐石なら気力の復活はあるかもしれない。

けど気力が萎えたなら多分体力も萎えていく。

その逆もある。

なら気力体力は両輪。

それが俺たちが練り上げていく為の手段。

気力体力と相互に位置するのがルーチン。


三角形に凝っていて、その中を三段に分ける。

一番下をベース部分としてルーチン?

二段目に健康。

一番上の一番小さい部分に仕事。

それは仕事に必要な健康であってそれがまた別の三角形の三段目のベース部分になる。

その仕事健康の上の2段目が仕事ルーチン。

一番上は仕事新分野。


三段目のベース部分が欠けたら2段目、ましてや3段目などあり得ない。

それが俺たちの道。

とにかく力がある。

水谷豊の演技。

熱中時代の。

言葉一つ一つのパワフル感。

そのパワーが全てを納得させていく感じがする。

もちろん、そこには損得感情がない事がそれを更に増進させている。

強い意志も感じられる。

確か俺のロールモデルとして幼心に設定したような記憶がある。

熱中時代の水谷豊を。

こんな先生がいたらいいな。

ではなくてこういう風に成るんだ、と。


決して高圧的ではないが、意志の見える力強い口調と損得感情と甘えの無さは人を惹きつける。

Kと飲んだ。

Sと他2名もいて計5人。

実はおまけは俺だった。

「お前も何回もおごって貰ったりキャバクラ連れて行って貰って奢って貰ってんだろ。」

Sに言われた。

正直ハッとなった。

やっとある意味気づいた。

そういうことか。

その辺が引っかかっているのか。

そんな事か。

そしてそんな事の類はそれだけの意味やパワーを持ってしまう事なのだ。

だがむしろ原因はその事柄の種別ではなく、俺自身の甘え。

Kの行為に甘える事を重ねた俺の甘さ。

甘えるのも限度がある。

それがなし崩しで、重ねる事がKの施しは大きくなるにつれ逆に俺の感謝は少なくなっていった様に思う。

それは忸怩たる思いがあったのではないだろうか。

それにつけて、例えばKの金で飲んで酔った俺があいつに対し暴言を吐く。

それはかなりむかつく。

全ての現況は俺の甘えという事になってくる。


損得勘定→損得感情→甘え

それは破綻への構図だ。

人間関係や俺自身の。

俺の人間関係が壊れるという事は、俺の人生や生活が壊れる、つまりは俺自身の破綻である。

おち氏のブログから引用

バランス感覚とは

一面的でなく

及び腰でなく

一方的でなく

ぐらぐらさせず

不均衡でなく

傾かない

事。

だそうだ。

腹落ちする。