1973年に、淀川キリスト教病院柏木哲夫先生の元でホスピスケアが開始されました。
1981年、日本初の末期がん患者のためのホスピス(緩和ケア病棟)が、聖隷三方原病院(浜松市)に開設されました。ホスピスムーブメントが日本に広がりました。
その後、がん対策基本法が成立し、緩和ケアはがん医療に不可欠なケアであると位置づけられ、症状緩和やコミュニケースキルが重要視され、「こころ」が置き去りにされてきたように感じています。
あくまでも、私見ですが・・・。
ホスピスムーブメントのうねりの中で、活躍されていた先生方は70代後半から80代になられました。
さて、現在です。
素晴らしい緩和ケアの医師も存在もありますが、「なんだかなぁ」という気持ちもあります。
もう時効だと思える言葉を書きますね。
あるがんの患者さん、
いのちの終わりが、わかっていました。
お会いした時に、仕事をしながら頑張って生きたいという気持ち、そして死への不安を話されていました。
不安のあまり、数か所の病院を受診されていたそうです。
その方の元々の主治医(バリバリの女性緩和ケア医)は、その当時は私も交流がありました。
尊敬もしていました。
「あの人ね、死ぬ死ぬと騒いでるけど、どうせ死なないわよ」
この言葉にとても驚きました。
そして半年だったか1年後だったかに亡くなりました。
主治医に冷たくされ、どんな気持ちで旅立たれたのでしょう。
今もこころ痛む思い出です。