悲しみがとまらないし鼻血もとまらない | 株式会社グリット デザイン・リフォーム・広報部 リノベーションLABO

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2007年1月にスタートしたブログですが、株式会社リノベーションLABOのブログとして運営してまいりましたが、皆様御想像通リ妙齢となり、もともと商売には向いてないこともあり、株式会社グリットのデザイン・リフォーム・広報部を務める事となりました。

 

あのリーリトナーと御結婚された凄い方。

 

 

参考までにリーリトナー情報。

8歳よりギターを始め、ウェス・モンゴメリーに大きく影響される。16歳の頃にママス&パパスのセッションに参加し、スタジオ・ミュージシャンとしての活動を始めた。南カリフォルニア大学入学後、GRPレコードの設立者の一人でキーボーディストである、デイヴ・グルーシンと出会い、1970年代にはスタジオ・ミュージシャンとして多数のアーティストと共演している。1975年にはレコーディングに参加したミッシェル・ポルナレフのバック・バンドの一員(キーボードはデイヴィッド・フォスター)としてツアーに参加している。

1970年代半ばに自身のグループ、「ジェントル・ソウツ」を結成、1976年にファースト・アルバム『ファースト・コース』を発表。1977年の『キャプテン・フィンガーズ』で自身初のBillboard 200入りを果たし、アルバム・タイトルはリトナーの愛称となる。1978年にはデイヴ・グルーシンの弟ドン・グルーシン等と「フレンドシップ」を結成。1979年に以前より影響を受けているブラジリアン・リズムを取り入れたアルバム『リー・リトナー・イン・リオ』を発表した。1981年には『RIT』を発表、このアルバムではエリック・タッグをヴォーカリストとして迎え、AORを取り入れて、よりポップな観点からフュージョンにアプローチしている。1985年にはイヴァン・リンスをゲストに迎え、デイヴ・グルーシンとの合作『ハーレクイン』を発表。

1990年ボブ・ジェームスネイザン・イーストハーヴィー・メイソンと共にフォープレイを結成し、1995年までに3枚のアルバムを発表。しかし、1996年に自身のレーベル「i.e.ミュージック」を新設し、プロデュース業で多忙になったため脱退せざるを得なくなった。後任にはラリー・カールトンが加入した。フォープレイに在籍していた間、ジャズ・ギターの偉人ウェス・モンゴメリーに捧げた『ウェス・バウンド』を1993年に、1995年にカールトンとの合作『ラリー&リー』を発表。

1997年ポリグラムにi.e.ミュージックの経営主体に置き、ボサノヴァのピアニストでコンポーザーのアントニオ・カルロス・ジョビンをテーマとした『ツイスト・オブ・ジョビン』をはじめとした、それぞれテーマを持った『Twist Of ~』シリーズを発表する事になる。2001年にはボブ・マーリーに捧げた『ツイスト・オブ・マーリー〜ボブ・マーリーに捧ぐ』、2003年にはモータウン・レーベルとタイアップした『ツイスト・オブ・モータウン』を発表した。2000年にはデイヴ・グルーシンと再び合作を作り、クラシック音楽をクロスオーバーした『トゥー・ワールド』を発表、デッカからの発売となる。

尚、1998年にポリグラムはシーグラムに買収され、シーグラムのユニバーサル・ミュージックに統合し、i.e.はユニバーサルのジャズ部門ヴァーヴに編入される事になる。この傘下にはかつて所属していたGRPもある。

竹内まりや"Beginning"(1978年)、カシオペア"Four By Four"といった日本人の作品でも、リーのプレイが聴ける。

2005年にピーク・レコードに移籍し、ジェントル・ソウツのメンバーや旧知とのライヴアルバム『ジェントル・ソウツ・リユニオン〜オーヴァータイム』を発表。同時にDVDもリリースしている。

私生活においては2005年5月に歌手の杏里と婚約を発表。7月に杏里がリリースしたアルバムSolにプロデューサーとして関わった。しかし、2007年7月に週刊誌において破局が報じられ、2008年4月28日に杏里の公式サイトにて、公式に婚約を破棄したことを報じた。

 

色褪せないすね。

悲しみはとまらない以前、わたくし朝から鼻血がとまらないの。

鼻ツッペでPCに向き合うのはそこそこ辛い…事務所のストーブの灯油切れたし。

 

 

 

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