『幻想の摩天楼』からのドン・グロルニック | 株式会社グリット デザイン・リフォーム・広報部 リノベーションLABO

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2007年1月にスタートしたブログですが、株式会社リノベーションLABOのブログとして運営してまいりましたが、皆様御想像通リ妙齢となり、もともと商売には向いてないこともあり、株式会社グリットのデザイン・リフォーム・広報部を務める事となりました。

 

 

 

『幻想の摩天楼』 スティーリー・ダンが1976年にABCレコードからリリースした5番目のアルバム。

 

当時長髪だったラリーカールトンが一躍有名になったといってもいいアルバム。

今聞いてもsolo凄い。

 

といったメンバー収録。
 
で、今更ながら…ドン・グロルニックに?
ジョントロペイのアルバムでのハモンドsoloは未だに度々聞いてしまいます。
 

グロルニックはブルックリンで生まれ、ニューヨーク州レヴィットタウンで育った。アコーディオンから音楽ライフをスタートしたが、後にピアノへと転向した。彼のジャズへの関心は、父にカウント・ベイシーのコンサートに連れて行かれた子供の頃から始まり、そのすぐ後にカーネギー・ホールでのエロル・ガーナーの演奏も観ている。彼は哲学を専攻し、タフツ大学に通った。

タフツを離れた後、ギターのケン・メルヴィル、幼少時代からの友人でありベースのスチュアート・シュルマンと一緒に、ジャズ・ロック・バンドのファイアー&アイス (Fire & Ice)を結成した。彼らは、Boston Tea PartyやThe Arkのようなボストンのクラブ界隈で、B.B.キングジェフ・ベック・グループヴェルヴェット・アンダーグラウンドのオープニング・アクトを務めた。これはグロルニックのパフォーマーとしてのロックとブルースへの最初の進出であり、メディアの中で作曲もし始めた。グロルニックは1969年にニューヨークに戻り、メルヴィルとフュージョン・バンド「D」に参加した。

1971年にスーパーバンドであるドリームスに参加した。その後は、ブレッカー・ブラザーズにて結成時からメンバーとして活動。1980年のアルバム『デタント』まで参加している。

グロルニックは、1996年6月1日に48歳で非ホジキンリンパ腫により亡くなった。

 

ドン・グロニック」「ドン・グロルニク」の表記もある。・・・え?  

 

デイヴ・グル―シンの弟と同一人物?

 

 

なんと…中学生の時からの違和感が、今解けた。

 

 

 

 

 

命には限りがありますが…人様の記憶に残る仕事したいですね・・・。つくづく。

 

 



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