このところ、SNSなどでもかなり話題なのが「アンチナタリズム」だ。
「反出生主義」とも訳される。※僕は専門家ではないので参考程度に
ベネターという南アフリカの学者の本が近々邦訳されるようで、その噂も関連しているかもしれない。
非常に簡単に言えば、「生まれてこないほうが良い」という思想である。
といっても、「つまらない。いやなことばかりだ。生きていても仕方がない」というような、厭世主義、ニヒリズムとは異なるもの。アンチナタリズムは前向きな思想なのである。
また、やや混同が見られるが、もとは哲学的・倫理学的立場の一つとしての「主義」であり、「借金をしない主義」のようなものとは、少し分けて考えたい。
もう一点、ここもまだ混乱が見られるが、これを「主張」していく場合、基本的には自分自身の生き方について行うべきであり、他人をどうこういうものではない、との考えもあるようである。
さて広く応用されている倫理学説の一つに「功利主義」があるが、これは「最大多数の最大幸福」を求めるのが善であるという思想であり、快を増やし、苦が減るのがいい、という非常に簡単な話である。
ただこの功利主義には非常に色々なバージョンがあり、他の考えとの折衷主義もある。たとえば「どれだけ多くの人の快が増えるとしても、ある一人の人に一定以上の苦痛を与えてはならない」、など。
目の前に
・「これから死ぬまで、自分に起きる快が非常に増えるが、苦に関しては変化しない」
というボタンと
・「これから死ぬまで、自分に起きる苦が非常に減るが、快に関しては変化しない」
というボタンがあった場合、どちらを押すだろうか。
後者の方を選ぶ人も、結構多いのではないだろうか。
こういったように、「快苦」と簡単にまとめてしまわず、苦痛の方を重視するのを「マイナス功利主義」という。
このマイナス功利主義をつきつめると、「そもそも、何者も存在しない方が良いのではないか」という極端な結論に至る。何しろ新たな苦が存在しないのである。
こう強く考える人では、少なくとも自分の子供は設けない思想となり、これはときにはただの理屈にとどまらず、実践にもつながるだろう。
「何者もの存在しない方が良い」は、極端かもしれないが、では「何者かが存在した方がいいとするなら、なぜなのか」と問われると、これもまた難問に感じる人が多そうである。
閉塞感も強い現代では、なんとなくであるがニヒリズムとアンチナタリズムを合体させたような思想で生きている人も多いように思う。
アンチナタリズムで問題になるのは、一つは野生動物の問題である。これもすべて絶滅させるような形(殺す等ではなく、出生を避けさせる)にしないと、筋が通らないのではないか?とも考えられる。そこまでのパターナリズムはいくらなんでもありえない、と考えるかもしれないが、理屈上はそうなってしまう。
二つ目。これは確実なことではないが、(とりあえず人に限定して)出生がよくないと考えるアンチナタリストは子どもを設けないのであるから、徐々にアンチナタリストのみが減っていき、ナタリスト(というか、出生が特に悪くないと考える者)が残る、ということも考えられる。
海外ではまた異なるかもしれないが、現代日本でアラフォー世代以上ぐらいでは、なんとなくであるがアンチナタリストなVegan,あるいはVegan傾向の者が多いように思う。僕自身もアンチナタリストとまでは言わないが、現実問題そんな考えが結構強い。