良く、「ベジタリアンになるのはいいが、人に考えを押し付けるな」というのがありますね。

「あるある」だと思います。

 

今回ベジや動物の話を使いますが、「押し付け」とは何なのかを考えてみます。

 

<押し付ける の日本語的意味とは?>

 

大辞林では

 

2 相手の意思を無視して、無理に承知させたり、引き受けさせたりする。「幹事役を-・ける」「不利な条件を-・けられる」 

 

デジタル大辞泉では

 

2 無理にやらせる。また、無理に受け入れさせようとする。おっつける。「責任を―・ける」

 

とあります。 ※「1」は物理的に押し付けることの説明です。

 

確かに、大辞林のもののように「相手の意思を無視して」は、これは良くないように思われます。

 

改めて調べると、僕が思っていたよりは強烈な行為を指しているようです。

 

<良くなさそうだが>

 

一見良くなさそうですが、非常に大きな害から他人を守るためなら、押し付けも許されるでしょう。

 

薬さえ飲めば治るが、飲まないと致死的となる病気にかかっている子供とか、認知能力の低い人に「無理に薬を飲ませる」のは、「押し付け」ですが別に悪ではありません。

 

一応付け足せば、「何の種類の行為がいいか悪いかではなく、その時々で変わる」という「行為功利主義」からみても、押し付けということ自体が直ちに悪いとはいえません。

 

<自由な行為>

 

一方において、特定のファッションとか、どんな小説を読むかとかは、「押し付け」られては困ってしまいます。

 

小説「すすめる」ぐらいなら良いとしても、「読みなさい」と言われたら、「それは私の自由だ」ということになるでしょう。「お前は読まないのか。読むべきなのに」などと言われても、ちょっとイライラしますね。

 

「ベジ食を押し付けるな」という人の場合は、

1 実際に余りにも強く言われた

というのもあるでしょうけども

2 動物を食べるか食べないかは、このぐらいの自由なことだと考えている

のではないかと思います。

 

<不完全義務>

 

「絶対にしなくてはならない。しないと罰せられる」

わけではないが、

「すると褒められたり、できるだけしたほうが良い事」

 

を「不完全義務」と呼ぶことがあります。

 

カントの言葉でもありますが、日常的にもこれは体感すると思います。

 

「健康なとき、足腰の悪そうな人に電車の席を譲る」とかは、絶対にしなくてはならないわけではないですが、できるだけしたほうが良いでしょう。

 

エシカルな意味からベジ食(できる範囲で、を含む)を推進する人は、「不完全義務」ぐらいには考えているのではないかと思います。

 

※あるいは法にはないが(私刑も勿論しないが)完全義務だという人もいるでしょう。

 

・・・そうだとすると、ファッションとか小説についての「自由」とは違う話になります。ここがズレているから話が噛み合わないことがあります。

 

<言葉の混乱>

 

良く、「自分はベジ食をしている」とかマイルドに言っただけで、「押し付けるな」と言われた、という話を聞きます。聞かれたから答えただけなのに、「押し付けるな」と言われたとかですね。

 

皆さんもありませんか?僕は結構あります。

 

これは、冒頭で辞書から引いたような「無理強いする」「相手の意思を無視する」のようなことではなくても、「押し付け」という日本語を使うケースが有るのだと思います。

 

<少し前の時代のタバコ>

 

少し前の時代の「タバコ」がこの「ベジ」問題に似ています。

 

「吸わないのは自由だが、俺にそれを強要するな」といった類のやり取りが随分あったと思います。

 

しかし今の日本では、少なくとも幾つかの状況での喫煙は「禁止」されていますし、仮に法律や条例になくても、タバコに関するルールはみなさん或る程度守っています。

 

マナーに反したタバコの吸い方(不完全義務を守っていない)などを見れば、注意しても「押し付け」とはなりませんし、「あまりタバコは吸わないほうがいい」とアドバイスしても、それほど「押し付けるな!」とは思われないでしょう。

 

・・・昔の「女性の参政権」などで考えたらどうでしょうか。「お前がそれを主張するのは良いが、俺にその考えを押し付けるな!」とか有ったのではないでしょうかね?

 

<田上先生の本から>

 

田上先生の入門本では、倫理的な問題で対立した時、一方的に押し付けず”対話の中で妥当性を主張する”のが良い、と書かれています。

 

相手の話も聞きながら「やはり私は、こういう理由から、できるだけベジ食をしているんだよね」などと主張するのは、押し付けではないにしても、きちんと主張しています。

 

・・・田上さん自身、講演会動画の中で「押し付けていないのに、”押し付けている”と言われる」という話をされており、言葉の混乱の問題もやはり有るのかもしれません。

 

<主張する>

 

またブログやTwitterなどで発信するにしても、わざわざ相手に攻撃的に絡んでいくようなことではなくて独り言のようにマイルドな言葉で書いていれば、「押し付けている」というよりは「主張している」になるでしょう。

 

実際にその問題について言葉をかわしたり文章をやり取りしたりしなくても、お互いを尊重するような部分が普段からあれば、「(無言の)対話」の中で主張している事になると思います。

 

<お酒反対の主張で考える>

 

僕はよくこの喩えを出しますけども、「お酒に反対だ」という主張の人々がいたとして、お酒を呑む人はどれくらいのことをされたら「押し付け」と思うのでしょうか。

 

1 マナー良くお酒を飲んでいるところを、

(それが酒であるということ自体で)他人に注意される

2 飲んでいる写真などをアップロードしたら嫌がらせのようなコメントが来た

3 お酒反対デモ行進を行っていると知った

4 NOお酒のTシャツを着ている人と、電車や道で一緒になった

 

3と4は私は許容できますし、むしろ良いとも思います。

でも1と2は困りますね。押し付けに感じます。

 

1の場合では、「注意されるようなことをしていない」という

私の意思が無視されているように思いますね。

 

僕はお酒を飲みますが、そうでない人は何か他のことで考えてみると、分かりよいでしょう。

 

ただし、いわゆる「アルハラ」のような行為や、酒を飲んでの迷惑行為は不完全義務あるいは完全義務の違反といえますので、かなり強く注意されても仕方がないでしょうね。

 

<結局押し付け問題とは>

 

何かについて

 

「押し付けをしても良いほどの問題行為」と思っているのか、「そうでない」のか?

ここの違いではないか、と僕は思います。

 

ベジ食についても、本当のところ、

1 「自分はベジだが他人はベジでなくても全くどうでも良いと思う」

という人と、

2「自分はベジで、できればベジの人が増えるのが好ましいと思う」

と、

3「自分はベジで、皆今すぐベジにならないのはおかしい。許せない」

とかあると思います。

 

僕は大体「2」ですね。

「私はベジなんだけど、別に押し付けはしないです」という会話をよく聞きます。

僕もつい言ってしまう場合があります。でもその時僕は「ホントにそう思ってる?それでいいの?」と内心思うのです。

 

「押し付け」という日本語が難しいですが「無理強いする」のはおかしいにしても、「やや強く自分の考えを言う」ぐらいは、状況次第でしても良いでしょう。

 

前回とつながりますが、もし「3」ぐらいまで本当に思っているのなら、マナーを守ったうえで適宜しっかり主張して良いと僕は思います。

 

<社会的秩序>

 

というわけで、「意思を無視して」とかはおかしいにしても、「妥当性の主張」はしていいというのが自分の主張ですね。

 

それから言葉の意味の混乱の問題。

 

また、「XXXは自由なことだ(から文句を言うな。何で自由なことに文句をいうんだ)」というふうに考えている人と、「XXXはそう自由な行為でもないのではないか」と考えている人は、もし当たってしまった場合、論点をはっきりさせたほうが生産的です。ベジがどうこうではなくこれが今回書きたかったこと。

 

「食は自由だから」論に簡単に負けることはないですよ。

 

しかし、一応「現代社会の秩序」というものがあり、それは無視してはいけません。

肉を買ってきたらしき人を指差して批判したり、肉のことが書いてあるブログに攻撃的なコメントをしたり、そういうことが横行していくと、社会的に乱れが生じてきます。

 

「魚釣り」は「狩猟」とほぼ同じと考えていますが、釣りは日本ではある程度定着してしまっているので、釣りブログを突然攻撃しては良くないのは勿論、(有り得ないとは思いますけど)スポーツフィッシングをしている人をいきなり現地で罵倒したりするのは当然良くありません。暴動などにもなりかねないですね。

 

社会的秩序の話は「○○は文化だから」論と似てしまって少し危険な面がありますけども、或る程度は意識したいものです。