おはようございます。

5時10分頃に起きた6月18日の朝です。

現在5時20分、室温25.2度、湿度82%で

ムシムシします。

6月17日は朝から夜まで、雨降る日となった

鹿児島県姶良市加治木町です。午前中、網掛川

沿いを歩き、春日神社や龍門滝温泉前を通り、

『迫力ある龍門滝』を見られました。

夕方は網掛川公園で紫陽花を見たり、網掛地蔵

前や錦江小学校前などを通り、錦江駅近く

陸橋で田園地帯を走る列車を眺めました。

では、その写真をご覧ください。





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9時20分過ぎに自宅を出かけ

梅雨の雨降り、弱い風も吹き抜け涼しい

セブンイレブンの加治木バイパス近くで

9時40分に、民家の花壇に咲く盛りの過ぎた紫陽

花』を眺めました。









さらに加治木バイパス沿いの歩道を進み

交差点で横断歩道を渡り、網掛川沿いの加治木

バイパスを進み、そのあと、小雨降りジメジメ

するが、弱い風吹き抜け涼しい、野鳥の鳴き声

聞こえる網掛川と支流▪宇曽ノ木合流点近くの

千鳥公園に10時28分頃に立ち寄りました。

網掛川と宇曽ノ木川の合流点








本格的な雨に変わったが、涼しい中

川に架かる橋を渡り、春日団地を通り

加治木中学校の網掛川対岸沿いに参道入口鳥居

のある春日神社へ、10時45分までに行き

『春日神社(大隅五社)本堂と参道沿いに咲く

紫陽花』を見られました。











由緒 第六十六代一條天皇の寛弘三年関白藤原頼忠氏の三男 経平氏が大隈の国に配属、 加治木家を相続し藤原家の 氏神である大和の国春日大社の御神霊を勧請し鎮座し 祀つた社です。 社地は大社を摸形し社前を横切る網掛川を奈良川と称し、近在地を高井田・高倉・毛上と古き奈良の地名を 取り今に名称とされる由緒ある社として代々島津藩主 も祈願所として、領内の総社とし数々の寄進をされ、 時代の流れとともに曲折しながらも、今日、産土神と して武道・学問の鎮護の神として崇められ、広く春日神仰の霊験を垂れ給う社であります。


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網掛川沿いを上流方向に進み

龍泉橋で、龍門滝温泉と網掛川の風景を眺め

雨降る午前中のウォーキングで、少し蒸し暑

い中、網掛川堰の轟音聞こえる龍門滝温泉前に

11時5分頃に着きました

竜門滝温泉と網掛川








龍門滝温泉を離れ、少し網掛川沿いを進み

階段を登り、小雨降り、風弱く少し蒸し暑い

龍門滝の滝の落水の轟音聞こえる滝見台で

11時30分頃に、『日本の滝百選▪龍門滝』の

迫力ある風景を見られました。











龍門滝
その昔、中国の人が「漢土の龍門の瀑を見る がごとし」と賞したことから、この名があると 伝えられています。
高さ46メートル幅43メートルで、岩肌に 沿って滝つぼめがけて水が流れ落ちる姿は豪 快で、「日本の滝百選」にも選定されています。
この滝から約800メートル上流にある板井 手の滝(金山橋の近く)までの一帯(広さ約22 ヘクタール)は、「龍門滝の森」と名づけられ、県 の森林浴の森「渓流コース」として指定を受け ており、川のせせらぎと自然石の変化が素晴ら しく、市民の憩いの場となっています。
「滝周辺には、遊歩道や、展望所、国の指定文化 財の「龍門司坂」もあります。

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帰路、網掛川沿いを下流方向に進み、春日橋を

渡り、対岸を下流方向に進み、千鳥橋を渡り

加治木バイパス沿いを加治木小学校前まで進み

近くのコンビニに行こうとした時に、

ショルダーバックを探し、ポーチ(財布入り)が

無いことに気付き、急いで千鳥公園へ行く前に

買い物をしたトライヤルに向かいました。

受付カウンターで忘れ物ねことを話して

確認したら、鍵付きのボックスに保管してあり

受け取り、心軽くなり加治木バイパス沿いを

進み、13時過ぎに帰宅しました。


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雨降り、風弱く少し蒸し暑い中

ウォーキングを始め、加治木バイパス沿い

加治木団地中央通りを進み、網掛川沿いを下流

方向に進み、網掛川に架かる堰の轟音聞こえる

田中橋を渡り、17時15分に

『上流の網掛川』を眺めました。




そして、対岸を下流方向に進み

小雨降り生暖かい風吹き抜け少し蒸し暑い

網掛川公園を通り、17時30分までに

『網掛川公園に咲く紫陽花』を見られました。












さらに下流方向に進み、本格的な雨降り、

弱い風吹き抜け涼しい、網掛川に架かる

行き交う車のめちゃくちゃ多い国道10号

網掛橋を渡り、近くの網掛地蔵を眺めました。

網掛地蔵と網掛川と網掛橋






網掛地蔵
網掛川の名前の由来にもなっているこのお地蔵さまには、おもしろい 話が伝わっています。むかし、むかしのある日のこと、ひとりの漁師が網掛川で網を打ってい ると、網に重い物が入りました。漁師は大きな魚だと喜んで、網を破らな いように注意して引き上げました。するとそれは魚ではなく、お地蔵さま でした。びっくりした漁師はみんなに相談して、お地蔵さまを川のほとりに 安置したそうです。それから、その話を聞いてたくさんの人がお参りに来るようになり、やがて「願いのよくかなう地蔵」として有名になりました。 時代は変わって、島津義弘が加治木で亡くなると、後継者の島津家久 は加治木から鹿児島へ移り、このときたくさんの家臣も一緒に移動しま した。そして網掛地蔵も天文館通り(鹿児島市)の南口に移すことになり ました。現在「地蔵角」と呼ばれている付近がそうです。現在の網掛地蔵 は向江町の人々が、寛政7年(1795)に新しく造ったものです。
姶良市教育委員会

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そして、国道沿いを進み、雨降り、風弱く少し

蒸し暑い、行き交う車のめちゃくちゃ多い

姶良市立錦江小学校前を、17時55分頃に

通りました。

姶良市立錦江小学校








さらに国道沿いを進み、ソレイユタウン加治木

の敷地と市道を進み、夕暮れの雨降り風弱く

少し蒸し暑い錦江駅近く、行き交う車のかなり

多い国道10号陸橋で、18時22分に

『姶良市加治木町岩原集落▪田園地帯沿いを走

った下りの列車』を見られました。










そのあと、国道沿いを進み、帰宅しました。

雨降る日だった昨日、2万歩は超してない

ですが、充実したウォーキングデーと

なりました。