皆さん、おはようございます。

晴れてまぶしい太陽輝く朝となった

5月29日です。起きたのは6時20分頃で

まだ、眠たいです。現在6時50分、室温19.1度

湿度71%で涼しく感じます。

28日は午前中は雨降る日となり、午後には

曇りと夕方は晴れて、天気良くなりました。


①錦江駅近く陸橋から見た桜島
②カノンホール③網掛川河口と桜島④夕焼け


◇◆◇◆◇

早朝は大雨降り、8時50分頃に自宅を出かけ

可燃ゴミを持ち自治会のゴミステーションへ

国道沿いと市道沿いを歩き、持って行き

そのあと、近くの公民館の庭へ

雨風少し強く涼しい中、9時10分頃に

『雨に濡れる新中公民館の田の神様(たのかんさ

あ)と花壇に咲く花』











そのあと、雨降り、弱い風吹き抜け涼しい

カエルの合唱聞こえる西之原集落の田園地帯を

通り、西之原公民館を訪ね田の神様と

9時30分頃を眺めました。


西之原公民館の田の神様



西之原集落の田園風景




そして、再び田園地帯と西之原集落の住宅街を

通り、湯之谷川に架かる橋を渡り、楠園集落の

住宅街を通り、本格的な雨降り、弱い風吹き

抜け涼しい中、楠園公民館近くの島津義弘公と

関わりある中国人『江夏友賢の墓』を9時50分頃

に訪ねました。










江夏友賢の墓
友賢は1538年、明国福建省江夏郡に生まれました。出身地から「江夏」を 名乗り、または漢民族の先祖である「黄帝」の子孫として「黄友賢」とも称し ました。
幼い頃より朱子学(※1)や易学を学び、23歳で日本に渡来しました。はじめ、 京都で易を行っていましたが、やがて戦乱をさけ薩摩に移りました。薩摩では 薩南学派(※2)の高僧一翁和尚・文之和尚 (33) と親交を重ねたそうです。
天正10年(1582)、島津義弘から八代城へ呼び出され、易を行ったことから 家来となり、朝鮮の役にも従軍しました。友賢は、この戦いで認められて、島 津義弘に従い上京した時、豊臣秀吉から家来にしたいとの申し出もありました が、「臣、二君に仕うるは深く恥じる所となす」と断ったそうです。またこの 話は都で評判となり朝廷から「先生」の称号と、占いに使う道具を拝領しまし た。
友賢は、島津義弘や家久に信頼され、加治木屋形や鹿児島 (鶴丸)城を築く 際の占いや縄張り (城や城下町の設計) なども行いました。 73歳で亡くなり、実窓寺に葬られました。
墓碑 黄翁環渓先生 江夏氏墓 慶長十五年(1610) 庚戌(かのえいぬ) 七月二十三日
※1 朱子学 中国・南宋時代に集大成された新しい儒学。敬を忘れず行を慎んで知を磨き、 人格・学問を完成する実践道徳。日本には鎌倉時代に伝来し、江戸時代に普及し官学と して封権社会の中心思想となった。
※2 薩南学派 京都臨済宗の僧侶・桂庵玄樹が、応仁の乱の混乱を避けて鹿児島に入り朱 子学を講じた。島津氏一族や家臣がこれを学び、多くの弟子に受け継がれて隆盛した。
※3 文之和尚幼い頃から文殊童と呼ばれ、串間の龍源寺一翁和尚の弟子となり、薩南学 派の朱子学を学んだ。京都東福寺で「大学」を講じ、島津義久・義弘・家久に仕えて、 島津氏の政治・外交の顧問役も務めた。1620年、加治木の安国寺で死去。墓は国指定 文化財。

◇◆◇◆◇

そのあと、広い市道沿いを進み

雨風とも弱く涼しい中、加治木町加治木中央

交番向かいの島津義弘公の死去に伴い

殉死した武士の場所の実窓寺蹟を、10時5分頃に

訪ねました

1776年に造られた実窓寺磧










姶良市指定史跡▪実窓寺債

島津義弘は元和五年(一六一九)七月二十一日、加治木屋形で八十五年の生涯を終 えました。この時、藩主家人(義弘の三男)は殉死を禁じましたが、義弘に深い恩義を感 かしん ひそ せっふく あと じていた家臣十三名(左記)が密かに切腹の誓詞を交わして後を追いました。
▪▪▪
ここ実窓寺破は、義弘の遺骸が鹿児島福昌寺(島津家の菩提寺)に向けて加治木を出発 する八月十六日に、家臣七人(赤字)が切腹自刃した場所です。
当時、この事跡を記念する松が植えられましたが、長い年月の間に枯れたため、 加治木の諸士はこの旧跡がなくなることを憂えて、安永五年(一七七六)に石碑を建立 しました。また、加治木島津家第六代久徴は天明五年(一七八五)に石燈籠を建て、毎夜明かりを灯しました。 明治四十四年(一九一二二には、この石碑・石燈籠が荒廃していたため、稲恒重節らが 中心となり修築のための寄付金が集められ、敷地の拡張と整理が行われました。 ほんどせん かいつう 昭和五十四年(一九七九)に木田本通線が開通し、現在に至っています。
なお殉死者のうち、加治木在住の折田和泉守と木脇刑部左衛門祐秀は椿窓寺墓地、入枝佐五右衛門長著は吉祥寺墓地に葬られています。
令和六年五月 姶良市教育委員会


◇◆◇◆◇

そのあと、国道を渡り、広い市道沿いを進み

曇りで、少し強い風吹き抜け涼しい

ソレイユタウン加治木近く陸橋に登り

10時33分に、『桜島とソレイユタウン加治木と

姶良市加治木町の風景』を眺めました。









そのあと、加治木団地中央通りを進み

国道沿いに出て、近くドラッグストアで買い物

を済ませ、曇りで、少し強い風吹き抜け涼しい

国道10号加治木バイパスを進み、11時10分に

『湯湾岳採石場の風景』を眺めました。



そして、11時20分頃に帰宅しました。

◇◆◇◆◇

15時40分頃に自宅を出かけ

曇りで、少し強い風吹き抜け涼しい

国立南九州病院沿いを歩き歩道沿いに咲く

紫陽花を、16時14分までに眺めました。

南九州病院










そして、須崎集落の住宅街や岩原集落の住宅街

を進み、まぶしい太陽の陽ざし強いが、

少し強い風吹き抜け涼しい、加治木町木田

岩下地区の八幡神社を、16時45分頃に

久しぶりに訪ねました。


八幡神社(創建1600年以前)










そのあと、岩下八幡神社境内にある田の神様と

石像も、16時50分に眺めました。

岩原の田の神サァと弁財天石像








そのあと、少し歩き、日向はまぶしい太陽の

陽ざし強く暑いが建物の日陰はさわやかな

風吹き抜け涼しいカノンホールを17時5分頃に

眺めました。

姶良市文化会館▪加音ホール








そのあと、カノンホールの敷地の南側に

咲く花を、17時23分までに見上げました。


姶良市文化会館▪加音ホールに咲く、ジャカランダ








そのあと、まぶしい太陽の陽射し強く暑いが

さわやかな風吹き抜ける野鳥の鳴き声や

カエルの鳴き声とせせらぎ聞こえる

向江町新田を通り、17時35分までに

『まぶしい太陽と向江町新田の風景』を

見渡しました。










そして、坂道を登り、海岸通りに

まぶしい夕陽の陽ざし強いが、さわやかな風吹

き抜け涼しい網掛川河口近くの堤防の

上まで進み、17時45分頃に

『桜島と錦江湾と網掛川河口とまぶしい太陽』

を見られました。 










そして、川沿いの堤防を進み

まぶしい夕陽の陽ざし強く暑いが

さわやかな風吹き抜け涼しい網掛川河口から

100メートルほど離れた川岸に降り、18時に

『桜島と錦江湾と網掛川河口の風景』を

見渡しました。










そのあと、塩入集落の住宅街を進み

国道を渡り、ソレイユタウン加治木を通り

住宅街を通り、まぶしい夕陽は西の山に隠れ、

少し強い風吹き抜け涼しい、野鳥の鳴き声聞こ

え、行き交う車の多い錦江駅近く国道陸橋で

18時32分に、『桜島と加治木町岩原集落田園風

景と夕焼け』を見られました。









そのあと、国道沿いを進み、帰宅しました。

昨日は、雨降った午前中の影響で、

ウォーキング不足なりました。