皆さん、おはようございます。

なんと二度寝をして、9時過ぎに起きた

4月27日の小雨降る朝です。

現在9時25分室温18.9度、湿度73%で

暖かく感じます。

昨日、4月26日は、朝から夕方まで、

小雨が降ったり止んだりする涼しい日でした。

それでも、午前中、鹿児島県姶良市加治木町の

加治木港から桜島を見ることが出来ました。

気分転換に夕方、龍門滝温泉へ行き、体も心も

さっぱりしました。では、昨日撮した写真を

ご覧ください。

加治木港で見た桜島と錦江湾



◇◆◇◆

8時50分頃に自宅を、可燃ゴミ袋を持ち出かけ

細かい雨降り、弱い風吹き抜け涼しい中

自治会のゴミステーションに着き

そのあと近くの野鳥の鳴き声聞こえる

鹿児島県姶良市加治木町の新中公民館の庭へ

行き、9時8分に『田の神様(たのかんさあ)』を

眺めました。









そして、国道や加治木団地の市道を通り

小雨降り涼しい網掛川にかかる田中大橋近くの

川沿いの市道で、9時33分頃に、

『花壇に咲くアマリリス』を見られました。









そのあと田中大橋を9時38分に通りました。

網掛川下流の風景


市道仮屋通りを進み、途中で右に曲がり

細かい雨降り涼しい、野鳥の鳴き声

聞こえる姶良市役所加治木総合支所近くの

児童文学者の椋鳩十文学記念館庭園に、

9時50分頃に、立ち寄りました。

椋鳩十文学記念館








日豊本線の小さな高架橋下を通り、加治木

総合支所近く、山形屋ストア、かもだ通り

加治木港入り口通りを進み、一時的に

曇りで、さわやかな風吹き抜け涼しい

鹿児島県姶良市加治木町加治木港の

メインバース沿いへ行き、10時40分頃に

『桜島と錦江湾と加治木港(新バースとメインバ

ースに)停泊する船』を見られました。












そして、漁協建物の前や中央防波堤近くを通り

曇りで、黒川河口に近い防波堤で、10時55分に

『桜島と錦江湾と青鷺と加治木港風景』を

眺めました。
















そして、曇りで、弱い風吹き抜け涼しい

加治木港の堤防の上からも、11時5分に

『桜島と錦江湾と加治木港の風景』を

見渡しました。









そして、帰路、小雨が降ったり止んだりする中

50分間ほど歩き、帰宅しました。

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曇りの夕方で、少し強い風吹き抜け涼しい

国道10号加治木バイパス沿いの姶良市消防本部

の前で消防車などを、17時前に

眺めました。


姶良市消防本部








別府川沿いのドラッグストアで買い物をして

そのあと、細かい雨降り、少し強い風吹き抜け

涼しい行き交う車の多い国道10号姶良橋で

17時25分に、『桜島と錦江湾▪別府川と

日豊本線▪姶良鉄橋を走った列車』を

見られました。









帰路、15分ほど歩き帰宅しました。

そのあと、車を使い、龍門滝温泉近くの駐車場

に行き、網掛川沿いを上流方向に進み

階段を登り、夕方の小雨降り、弱い風吹き抜け

涼しい龍門滝の滝見台に来たら迫力ある滝を

18時10分頃に、見られました


日本の滝百選▪龍門滝








そして、山沿いの遊歩道を進み、市道を渡り

小雨降り、弱い風吹き抜け涼しい、野鳥の鳴き

声聞こえる、西郷隆盛率いる薩軍が西南戦争で

熊本へ行く途中に使った龍門司坂の入口付近に

18時30分頃に、立ち寄りました。


国指定史跡▪龍門司坂








【龍門司坂】
江戸時代の主要街道(薩摩では「街道』 を「筋」と呼びます)のうち、鹿児島城を 起点として北上し、風を越えて白坂を 下り、加治木で日向(宮崎県)方面に向か う「日向(脚)」とがして、太(伊 佐市)を経由して水俣(熊本県)へ続く街道 を「大口筋」といいます。
龍門司坂は杉木立と木もれ日、そして蓄 むした石壁の風情が美しい坂道で、石畳敷 きの平均幅は約四、最大幅は七ぶです。もともと、全長は約一五〇〇があったと考 えられていますが、現在は山間部の四八六・八が当時の状態で見られ、その他の部分 は舗装道路の下に埋もれています。 石畳はあまり段差をつけない石敷きが特徴で、斜面に敷かれた石畳がずれないよう、
地形に沿って、『定間除で絶に行列を深く埋める工法がとられています。また、様斜
の強い場所などには側溝を設けるだけではなく、雨水が一箇所に集中しないようにする 工夫が随所にみられ、薩摩藩の街道の中でも大規模に整備された坂道といえます。 江戸時代の中頃に書かれた『加治木古老物語』によると、龍門司坂は寛永十二年(一 六三五)に造られました。寛永八年(一六三一)に加治木島津家を興した島津忠朗が、 加治木郡と濡辺郷を結ぶ交通制を整備する目的で、最初に手がけた大工事だったと考 えられます。
龍門司坂は地元では古くから「太名坂」や「だしもん坂」と呼ばれていましたが、古 文書には、「龍門司街道」、「だつもじ坂」、「龍門寺之坂」、「たつもんし坂」などの名 称で登場します。『加治木古今雑撰』には、「此坂之上西二往古龍門寺ト云寺有り、 於テ云ト」とあり、坂の名前が近くに存在した「龍門寺」という寺の名前に因むとさ れ ています。
龍門司坂の東側の山には、石畳に使われた溶結凝灰岩(通称・鍾進石)の石切場が ありました。そこには加治木島津家四代心門直率といわれる「山率」の蔵が、作業の安全を願って建てられています。この前には「元文六年(一七四一)」の年号が刻まれて いますので、おそらくこの頃、薩摩藩が大規模な街道整備を実施したのでしょう。
明治十年(一八七七)二月、两献 戦争では大勢の加治木の人々に見送 ・られて、総数六千名ともいわれる 軍兵しがこの坂道を登って熊本方面 を目指しました。別府幣介に率いら れた六家隊(加治木隊)・七番大 隊は大口筋を通って佐敷(熊本県 北町)へ、西郷率いる本営は加 欠越えで人吉に向かっています。

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龍門司坂入り口を離れ、遊歩道と階段と

網掛川沿いを通り、駐車場に戻り、温泉セット

を持ち、まだ少し明るい19時に竜門滝温泉の

建物の中に入り20時頃まで、温泉やミストサウ

ナやサウナに入り、体も髪の毛も洗い

さっぱりして、20時15分頃に駐車場に戻り

ました。

夜の竜門滝温泉と網掛川






そして、車を走らせ、国道沿いのスーパーで

買い物をして、再び車を走らせ、21時前に

帰宅しました。

昨日は、不安定な天気出下が、自己満足も

出来たウォーキングデーになりました。