皆さん、おはようございます。

昨日の午後から降りだした雨降り続く

現在5時47分室温19.4度、湿度81%の涼しい朝と

なりました。

昨日、曇りで始まり、ウォーキング中に青空や

まぶしい太陽を見られた。しかし、15時以降、

雨の降るに日なりました。そんな日に撮した

写真を掲載したので、ご覧ください。

①②日木山菜の花ロードの河津桜③桜島
④早咲桜


◇◆◇◆◇

8時00分過ぎに、自宅を出かけ

薄曇りでさわやかな風吹き抜け涼しい

たくさんの野鳥鳴き声聞こえる

網掛川に架かる堰の轟音聞こえる田中橋を渡り

9時5分に『上流の網掛川』を眺めました。




そして、網掛川沿いの市道を下流方向き進み

薄曇りでさわやかな風吹き抜けるが

少し蒸し暑い、たくさんの野鳥の鳴き声

聞こえる加治木港に着き、釣りをする人たち

たくさんいたメインバース沿いを散策し

9時35分頃に『はっきり見えない桜島と錦江湾と

加治木港新バースに停泊する1隻の船』を

眺めました。











そのあと、漁協建物の前を通り

薄曇りでさわやかな風吹き抜け涼しい

加治木港漁船岸壁前で、9時45分頃

『桜島と錦江湾と加治木港に停泊する漁船』を

見渡しました。














そして、階段を登り、曇りで風吹かず少し

蒸し暑い中、加治木港上の堤防通りを進み

野鳥の鳴き声聞こえる桜島と錦江湾と黒川岬を

見渡せる黒川河口沿いの堤防の上で、9時58分に

『桜島と錦江湾と黒川岬と加治木港の風景』を

見渡しました。














そのあと、黒川岬展望公園に立ち寄り

いつも会う男性と初めて会った女性と

猫について話しをして、そのあと日木山川

(黒川)沿いを上流方向に進み、国道を渡り

薄曇りで空から熱伝わり蒸し暑い、

日木山菜の花ロードを訪れ、河津桜を

10時20分頃から30分頃まで

『日木山菜の花ロードに咲く河津桜』を

眺めました。




























そして、左に曲がり、住宅街の市道を進み

加治木駅前を通り抜け、日豊本線沿いの市道

を進み、まぶしい太陽の陽ざし強く蒸し暑い中

日豊本線▪加治木駅近くの日豊本線沿いで、

下りの列車の走るのを、10時46分に眺めました


加治木駅を発車した下り列車

さらに、日豊本線沿い市道を進み

姶良市役所加治木総合支所近くの日豊本線沿い

の小さな鉄橋下を通り抜け、田中集落の住宅街

の道を通り、まぶしい太陽の陽ざし強く蒸し暑

いが、さわやかな風吹き抜ける中

民間の庭に咲く早咲桜を、11時5分頃

見られました


民間の庭に咲く▪早咲き桜












そして、田中橋を渡り、日豊本線沿いの市道

国道沿いを進み、帰宅しました。


◇◆◇◆◇

そのあと自宅でゆっくりと過ごし

窓越しに、まぶしい太陽も見られていました。

しかし、ウォーキングに出かけた時は

雨となりました。

そんな中、雨降り、寒くはない加治木町の

加治木団地の中央通り近くの民間の庭に咲く花

『岩つつじ』を16時頃に見られました。










そのあと、小雨降りさわやかな風吹き抜け涼し

い田中大橋を渡り、16時10分頃に

『網掛川下流の風景』を眺めました。




そのあと、網掛川に架かる田中大橋より

上流の川沿いを少し上流方向に進み

16時16分頃に、『川沿い土手に咲く菜の花』を

ゆっくりと眺めました。













そして、曇り、風吹かず少し蒸し暑い中

千鳥橋で下流方向を眺め、16時30分頃

『網掛に川を泳ぐ鴨たち』をゆっくりと

眺めました。














そのあと、国道を渡り、住宅街の道を通り

曇りでさわやかな風吹き抜け涼しい

野鳥の鳴き声聞こえる上木田集落の田園地帯を

歩き、16時55分頃に『田んぼに咲くれんげ草』

を見渡しました。















そのあと再び住宅街の道を通り抜け

市道を渡り、加治木中央交番の道路向かいの

島津義弘公の死去に伴い殉死した武士の墓の

ある実窓寺蹟を、17時20分頃に訪ねました


1619年に造られた実窓寺磧












姶良市指定史跡▪実窓寺磧

島津義弘は元和五年(一六一九)七月二十一日、加治木屋形で八十五年の生涯を 終えました。この時、藩主家久は殉死を禁じましたが、義弘に深い恩義を感じてい た家臣十三名(左記)が密かに切腹の誓詞を交わし殉死しました。
折田和泉 入枝佐五右衛門尉 色紙仲兵衛尉 木脇刑部左衛門尉 新納式部少輔 池田六左衛門尉 藺牟田縫殿助 山路後藤兵衛尉
原蔵人 坂元番左衛門尉 椎原与右衛門尉
藤井久助 桐野治部左衛門尉
ここ実窓寺債は、義弘の遺骸が鹿児島福昌寺へ向けて加治木を出発する八月十六 日に、家臣七人(赤字)が切腹自刃した場所です。 当時、この事跡を記念する松が植えられましたが、長い年月の間に枯れたため、 加治木の諸士はこの旧跡がなくなることを憂えて、安永五年(一七七六)に石碑を建立しました。また、加治木島津家第六代久徴は天明五年(一七八五)に石燈籠を建て、毎夜明かりを灯しました。明治四十四年(一九一一)には、この石碑・石燈寺が荒廃していたため、稲恒重節らが中心となり修築のための寄付金が集められ、 敷地の拡張と整理が行われました。昭和五十四年(一九七九)に木田本通線が開通し、現状に至っています。なお殉死者のうち、加治木在住の折田和泉と木脇刑部左衛門尉は椿窓寺墓地、 入枝佐五右衛門尉は吉祥寺墓地に葬られています。折田和泉の墓木脇刑部左衛門の入枝佐五右衛門
平成二十六年一月 姶良市教育委員会


◇◆◇◆◇


そのあと、国道沿いに出て、10分間ほど歩き

帰宅しました。

雨降り2月21日も、皆さん、お元気に

お過ごしください。