皆さん、おはようございます。

5時前に起きた2月4日です。

現在6時3分、室温13.6度、暖房器具を使って

なく厚着をしていますが、寒い朝では

ありません。

昨日は、鹿児島県姶良市や霧島市は、雨が降っ

たり止んだりの2月3日でした。朝、龍門滝温泉

へ行き、そのあと霧島市の隼人塚史跡へ行き、

そして、姶良市の島津義弘公を精矛神社へ行

き、綺麗な河津桜を眺め、そのあと山田の凱旋

門を眺め、そして、西郷隆盛腰掛け石を眺め

そのあと、山田地区を歩きました。

そんな日に撮した写真をご覧ください。


①精矛神社と河津桜②白梅③山田の凱旋門
④龍門滝温泉と網掛川

◇◆◇◆◇

自宅を8時過ぎに出かけ、自治会のお宅へ

回覧板を持って行き、その帰り、曇りで

少し冷たい風吹き抜け肌寒い中、国道10号

加治木バイパス沿いの空き地で、8時25分頃に

白梅を眺めましたが、たいぶ散っています。


白梅














帰宅して、車を使い、曇りで、少し冷たい風吹

き抜け肌寒い中、小鳥のさえずり聞こえる

姶良市加治木町の龍門滝温泉の第2駐車場に車を

止め龍泉橋を渡り、8時前に龍門滝温泉に入館し

て、温泉の湯船に浸かったり体は暖まり、

サウナやミストサウナに入り汗を流し、

充実した時間を、9時43分まで過ごしました。


竜門滝温泉と網掛川














そして、車を使い、姶良市道や県道、国道、

そして、霧島市道を走り、細かい雨降り

少し冷たい風吹き抜け肌寒い霧島市 隼人町

隼人塚史跡公園の駐車場に着き、公園を散策を

して、10時33分まで、見学をしました。

【隼人族を祀る隼人塚】は奈良時代に征服に

来た大和朝廷軍と約百年間戦い破れた隼人族を

祀るために平安時代後期に造らた














建碑の由来
今を去る昭和四年七月二十三日 歌人与謝野晶子は夫鉄幹と共に隼人塚を訪れ、この歌を詠みました。この歌は歌集「霧島の歌」に収められています。隼人町文化協会では、文化の香り高い心皇 かなまちづくりを進め るため、文化振興基金を「積み立て文学碑の建立 を計画しました。そこで、「歴史的意義の深いこの 地に、ゆかりつある。歌へ与謝野晶子の歌碑 を建立し、末永く後世に伝えることになりました。
・平成十二年十月ニアニョ 隼人町文化協会







そのあと、隼人塚史跡公園前の広い

市道沿いへ行き




曇りで、冷たい風吹き抜け肌寒い中、2月3日の

『#民主主義に投票する霧島市民の会』の

隼人塚史跡公園前での街頭活動を11時分から

12時まで仲間2人で行ない

①自民党の政治資金規制法違反問題の議員調査を、野党に求めらやっと始めたこと、
岸田首相は不正政治資金問題への対応の遅れ、おかしさを批判しました。

②能登半島地震の政府対策の遅さ、未だに
復興ではなく、被災地は復旧の途中、万博や馬毛島自衛隊基地建設予算を、被災地対策に組み換えるべきこと
③川内原発20年運転延長問題、

能登半島地震のような巨大地震が起きた時に、原発周辺(30キロ圏内)の市民は住宅倒壊、道路破損で避難出来ない。川内原発20年運転延長容認を、鹿児島県や薩摩川内市は考え直すぺきと

④消費税問題、福祉予算に使うが、現実は多く

の割合を法人税減税や富裕層所得税減税に使わ

れた問題などを霧島市民へ訴えました。




仲間が霧島市民へ熱く語ってた時に

隼人塚史跡公園沿い用水路付近で、

11時40分頃に、ゆっくりしていた二羽【鴨】

を眺めました。













そのあと、駐車場に戻り、霧島市道や国道

そして、姶良市道を車を走らせ、精矛神社の

駐車場に着き、少し肌寒い、小鳥のさえずり

聞こえるNHKの大河ドラマ『西郷どん』のロケ

地として使われ島津義弘公を祀る精矛神社を

訪ねて、河津桜の咲く風景を眺めて射たら

雨が降りだす前に写真を撮りました。

そして、13時25分頃に精矛神社を離れました。

島津義弘公を祀る精矛神社























市道や国道を車を走らせ、金山橋近くの

駐車場へ、しかし、雨が強く車を降りれず

車を走らせ、細かい雨降り、冷たい風吹き抜け

肌寒い小鳥のさえずり聞こえる姶良市加治木町

のさえずりの森▪高倉展望台近くの駐車場に

着き、車を降り、展望台へ行きましたが、

14時40分頃は桜島は霞みかかり見えないです。


霞む錦江湾と姶良市加治木町市街地











しばらく、車に乗り駐車場で休憩をして

山沿いの道を車を走らせ、高岡公園の駐車場に

行きました。車を降り、展望台へ登りましたが

桜島は霞む、見えなかったので、駐車場に戻り

車を山沿いの道を走らせ、県道沿いも走らせ

曇りで冷たい風吹き抜け肌寒い中、

姶良市山田地区の日露戦争に由来するの凱旋門

近くの駐車場に車を止め、16時頃に見学

しました

姶良市山田地区▪山田の凱旋門













有形文化財山田の凱旋門
この凱旋門は明治三十七・八年の日露戦争に、 当時の山田村から従軍した人たちの無事の帰還を 記念して、明治三十九年(一九〇六)三月に山田 ● 村兵事会が建設したものです。『山田村郷土誌』によれば、山田村からの従軍者は、陸軍八八名・ 「 海軍二五名、計一一三名であったとされています。 石造りの凱旋門は、鹿児島が誇るアーチ式の石橋技術を応用して造られ、全国的にも大変珍し いものです。石材は溶結凝灰岩で、上名の池平 から切り出したと言い伝えられています。昔は各 地で石垣に使われていました。石工は細山田ケ サグマという人だったそうです。
大きさは、高さ四・七一片、幅四・八八とで、門柱の間はアーチ型に組まれ、中央に縦六〇、横一二一の石がはめ込まれており、次の文字が刻まれています。




そのあと、曇りで、少し冷たい風吹き抜け肌寒

中、姶良市の山田の凱旋門から県道を渡り、

市道を少し歩き民家の庭にある『せごどんの

腰掛け石』を16時10分頃に見学しました


西郷隆盛の腰掛け石








『可愛岳(宮崎県)を越えて官軍の大包囲網を突破し、九州山地明治十年(一八七七)の西南戦争では、西郷一行は八月十八日を一路郷里の鹿児島を目指して南下しました。
鹿児島県下はすでに官軍の支配下にありました。西郷一行は、 八月三十日加治木の辺川で官軍から銃撃を受けたため、迂回して 嶽から上名目木金へまわり、山田郷の麓である下名集落に立ち寄 り、新馬場の瀬戸山家において休息を取りました。この時、西郷が腰掛けたという庭石が今も残っています。西郷は郷土色豊かな います。 帖佐人形を庭先に並べて観賞したといわれています。
八月三十一日、西郷一行は、寺師住吉を経て蒲生の町へ向いま した。』





皆さん、こんにちは
曇りで肌寒い、カラスの鳴き声聞こえる中
鹿児島県姶良市山田地区の下名集落を流れる別府川支流▪山田川とその堰を川岸に降りて眺めました。
16時27分
【山田川と堰】













そして、広い市道沿い進み

夕暮れの少し冷たい風吹き抜け肌寒い

姶良市山田麓地区の野鳥の鳴き声聞こえる中

山田小学校前を、16時35分~40分頃に

通り抜けました。

姶良市立山田小学校






















そして、横断歩道を渡り、市道沿いのかかしを

眺めました。






そのあと、市道沿い、県道沿いを進み

山田地区公民館の駐車場に着き

車を20分間走らせ、自宅の駐車場に着き

帰宅しました。

昨日は、天気悪かった影響で、ウォーキング

不足の日となりました。(反省)

では、皆さん、きょうも

お元気お過ごしください。