皆さん、おはようございます。


朝食を食べ、二度寝となり、7時40分頃に


起きた11月27日です。明け方まで、降ってた


雨も止み、窓越しに太陽の陽ざしも入って


います。


では、11月26日の方向をします。





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昨日朝は7時半頃に起きたので


そのあとアメブロ編集をしたので、


出かけたのが遅くなりました。


国道沿いを歩き、まぶしい太陽の陽ざし届き暖


かいが冷たい風も吹き抜ける姶良市加治木町の


行き交う車の多い国道10号姶良橋に9時頃に着き


桜島と別府川の風景を見たあと




9時4分に、『桜島と錦江湾▪別府川の風景と


姶良鉄橋を走った下りの特急きりしま』を


見られました。












そのあと、国道沿いから旧道を通り

県立加治木特別支援学校前を通り




まぶしい太陽の陽ざし届き暖かいが

冷たい風も吹き抜ける別府川川沿いに出て

9時30分に、『桜島と錦江湾▪別府川の風景』

を見渡しました。














そして、別府川沿いの狭い道を下流方向へ進み

太陽の陽ざし届き暖かいが 、少し強い冷たい

風吹き抜け肌寒い、野鳥の鳴き声聞こえる

別府川岸に降り、9時38分に

『桜島と別府川の風景』を眺めました。













さらに、下流方向に進み、まぶしい太陽の

陽ざし届き暑く感じるが、冷たい風吹き抜ける

肌寒い、加治木町のサラサラと言う波音

聞こえる須崎海岸堤防の上に着き

9時51分に、『桜島と錦江湾と須崎海岸▪

別府川河口の風景』を見渡しました。












そのあと錦江湾の海岸通りを進み

まぶしい太陽の陽ざし強く暑いぐらいの

たくさんの野鳥の鳴き声聞こえる須崎調整池

近く錦江湾岸の堤防で、10時17分までに

『桜島と錦江湾と須崎調整池の野鳥』を

ゆっくり眺めました。



















そして、近くにいた野鳥を、10時22分頃に

桜島と錦江湾と組み合わせ撮しました。










さらに、海岸通りを進み

まぶしい太陽の陽射し強く暑くなった

向江町新田近くの堤防の上で、10時22分までに

『向江町新田の風景と錦江湾から加治木港へ入

港する船』を眺めました。
















そして、そのあと35分間ほど歩き

帰宅しました。

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自宅を12時半頃に車を使い出かけ

まぶしい太陽の陽ざし強いが

少し冷たい風吹き抜け、半袖では肌寒い

霧島市福山町の福山港近くの駐車場に着き

13時4分頃に、『桜島と錦江湾の風景』を

眺めました。













そのあと、国道を渡り、狭い市道を通り

まぶしい太陽の陽ざし強いが、冷たい風吹き

抜ける中着き、旧田中家別邸を庭園を

ゆっくりと、13時18分まで見学しました。


『旧田中家別邸と庭園』




























有形文化財(建造物)
鹿児島県指定文化財(平成十八年四月二十一日)
旧田中別邸は、田中省三氏(一八五八~一九 二五)が、郷里の福山に建てた別荘でる。
別邸は、約百三〇坪(四三○㎡)あり、「座 敷と次の間」「洋間」「居住部分」「台所」「 蔵」の五つの部分から構成され、接客部分の座 敷と次の間は東南に面し、視界を遮る雨音の戸 袋を隅において、庭園・桜島を眺望できる空間 となっている。洋間の天井中央に設けたシャン デリア上の飾り、大理石使用のマントルピース (壁に作りつけた暖炉の上の飾り棚)、漆喰飾 り等の室内装飾は、県内ではあまり見られない 貴重な造りとなっている。
また、どの部屋に行くにも玄関の間から他の ところを通らずに行け、接客空間のみが独立し ている。これは、この別邸の特徴である。 屋根裏にある棟札には、上棟式の時期(大正 八年九月)と建築に携わった者の氏名が書かれ 大変貴重である。
別邸の完成は、大正十一年といわれ、念入りな工事がなされたことがうかがえる。
【霧島市教育委員会 平成十八年十二月】

◇◆◇◆◇

そのあと、和室の一室であった上映会に

参加をしました。

『封印した青春』二月田(駅)と指宿(駅)の間に

原作者が昭和47年に九州一周の旅をした時に

当時の西鹿児島駅から指宿駅まで、

列車のボックス席で一緒になった女子短大生と

の出会いをして、いろんな話をした

思い出を元に書かれ、映画化されて

再び、あの短大生と出会いたいと今でも

思われているそうです。



当方は当時、高校三年生で、初恋▪失恋

学生運動の挫折など、でも、仲間や友人とは

日本の国の在り方などは議論は続けて

約半世紀前なんです。

◇◆◇◆

そのあと、曇りで暖かい中、

旧田中別邸から国道220号沿いを歩き宮浦宮に

を訪れ、15時35分までに

『宮浦宮と福山のイチョウ』を眺めました。




















そのあと、近くの小高い場所を目指して歩き

薄曇りで少し蒸し暑く感じる中、1779年に

創研された竈門神社を、15時58分頃に

訪れました。


霧島市福山町竈門神社













竈門神社について
令和2年(2020年) 日本のテレビアニメ・鬼滅の刃 (きめ つのやいば)は世界的に大ヒットしました。主人公の「竈門 炭次郎・かまどたんじろう」は竈門神社に縁ある名前として 日本の各県に創建されている竈門神社に明るい話題を提供し てくれました。この機に霧島市福山町福山1586番に鎮座 する竈門神社の歴史を約240年前の創建に至るまで遡って 見ます。この時代の日本各地は藩政時代であり、福山の地は 都城・島津藩の統治下にありました。藩政時代の1777年 (安永3年)6月22日、福山地域の南園周辺は大火災に見 舞われました。地域住民達は生きる為の食や住に困窮し、現 在では考えられない程、人生の生きる厳しさの苦労を経験し ました。この大火災の悪夢から脱出したい地域の人々の絆が 2年後の1779年(安永5年)鎮座地として現在の地、霧島 市福山町福山 1586番地に地域を守る神として竈門神社を創 建することになりました。現在は地域の方々や、各地から訪 れる方々に親しまれております。

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そのあと、国道220号沿い宮浦宮バス亭付近の

海岸に降りて、16時頃に

『桜島と錦江湾の風景』を眺めました。












そして、国道沿いを進み、曇りの夕方で、

少し冷たい風吹き抜け、半袖では肌寒い

福山港に着き、16時18分に

『桜島と錦江湾の夕焼け』を眺めました。











そのあと国道220号、10号、霧島市道を車を

走らせ、霧島市国分海浜公園の駐車場に着き

夕陽のまぶしい波静かな国分海浜公園の

国分キャンプ場海水浴場の砂浜で、

16時51分に、『桜島と錦江湾とまぶしい夕陽』

を眺めました。








そのあと、夕陽が沈む、涼しい波静かな

東側防波堤で、17時3分頃に

『桜島と錦江湾と夕焼け』を眺めました。











そして、薄暗くなった駐車場に戻り

霧島市道や国道沿い、姶良市道を走り

帰宅した11月26日でした。

では、終わります。皆さん、きょうも、

お元気にお過ごしください。