皆さん、おはようございます。
朝食を食べ、二度寝となり、7時40分頃に
起きた11月27日です。明け方まで、降ってた
雨も止み、窓越しに太陽の陽ざしも入って
います。
では、11月26日の方向をします。
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昨日朝は7時半頃に起きたので
そのあとアメブロ編集をしたので、
出かけたのが遅くなりました。
国道沿いを歩き、まぶしい太陽の陽ざし届き暖
かいが冷たい風も吹き抜ける姶良市加治木町の
行き交う車の多い国道10号姶良橋に9時頃に着き
桜島と別府川の風景を見たあと
9時4分に、『桜島と錦江湾▪別府川の風景と
姶良鉄橋を走った下りの特急きりしま』を
見られました。
さらに、下流方向に進み、まぶしい太陽の
陽ざし届き暑く感じるが、冷たい風吹き抜ける
肌寒い、加治木町のサラサラと言う波音
聞こえる須崎海岸堤防の上に着き
9時51分に、『桜島と錦江湾と須崎海岸▪
別府川河口の風景』を見渡しました。
さらに、海岸通りを進み
まぶしい太陽の陽射し強く暑くなった
向江町新田近くの堤防の上で、10時22分までに
『向江町新田の風景と錦江湾から加治木港へ入
港する船』を眺めました。
そのあと、国道を渡り、狭い市道を通り
まぶしい太陽の陽ざし強いが、冷たい風吹き
抜ける中着き、旧田中家別邸を庭園を
ゆっくりと、13時18分まで見学しました。
『旧田中家別邸と庭園』
有形文化財(建造物)
鹿児島県指定文化財(平成十八年四月二十一日)
旧田中別邸は、田中省三氏(一八五八~一九 二五)が、郷里の福山に建てた別荘でる。
別邸は、約百三〇坪(四三○㎡)あり、「座 敷と次の間」「洋間」「居住部分」「台所」「 蔵」の五つの部分から構成され、接客部分の座 敷と次の間は東南に面し、視界を遮る雨音の戸 袋を隅において、庭園・桜島を眺望できる空間 となっている。洋間の天井中央に設けたシャン デリア上の飾り、大理石使用のマントルピース (壁に作りつけた暖炉の上の飾り棚)、漆喰飾 り等の室内装飾は、県内ではあまり見られない 貴重な造りとなっている。
また、どの部屋に行くにも玄関の間から他の ところを通らずに行け、接客空間のみが独立し ている。これは、この別邸の特徴である。 屋根裏にある棟札には、上棟式の時期(大正 八年九月)と建築に携わった者の氏名が書かれ 大変貴重である。
別邸の完成は、大正十一年といわれ、念入りな工事がなされたことがうかがえる。
【霧島市教育委員会 平成十八年十二月】
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そのあと、和室の一室であった上映会に
参加をしました。
『封印した青春』二月田(駅)と指宿(駅)の間に
原作者が昭和47年に九州一周の旅をした時に
当時の西鹿児島駅から指宿駅まで、
列車のボックス席で一緒になった女子短大生と
の出会いをして、いろんな話をした
思い出を元に書かれ、映画化されて
再び、あの短大生と出会いたいと今でも
思われているそうです。
当方は当時、高校三年生で、初恋▪失恋
学生運動の挫折など、でも、仲間や友人とは
日本の国の在り方などは議論は続けて
約半世紀前なんです。
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そのあと、曇りで暖かい中、
旧田中別邸から国道220号沿いを歩き宮浦宮に
を訪れ、15時35分までに
『宮浦宮と福山のイチョウ』を眺めました。
竈門神社について
令和2年(2020年) 日本のテレビアニメ・鬼滅の刃 (きめ つのやいば)は世界的に大ヒットしました。主人公の「竈門 炭次郎・かまどたんじろう」は竈門神社に縁ある名前として 日本の各県に創建されている竈門神社に明るい話題を提供し てくれました。この機に霧島市福山町福山1586番に鎮座 する竈門神社の歴史を約240年前の創建に至るまで遡って 見ます。この時代の日本各地は藩政時代であり、福山の地は 都城・島津藩の統治下にありました。藩政時代の1777年 (安永3年)6月22日、福山地域の南園周辺は大火災に見 舞われました。地域住民達は生きる為の食や住に困窮し、現 在では考えられない程、人生の生きる厳しさの苦労を経験し ました。この大火災の悪夢から脱出したい地域の人々の絆が 2年後の1779年(安永5年)鎮座地として現在の地、霧島 市福山町福山 1586番地に地域を守る神として竈門神社を創 建することになりました。現在は地域の方々や、各地から訪 れる方々に親しまれております。
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そのあと、国道220号沿い宮浦宮バス亭付近の
海岸に降りて、16時頃に
『桜島と錦江湾の風景』を眺めました。
そして、国道沿いを進み、曇りの夕方で、
少し冷たい風吹き抜け、半袖では肌寒い
福山港に着き、16時18分に
『桜島と錦江湾の夕焼け』を眺めました。
そして、薄暗くなった駐車場に戻り
霧島市道や国道沿い、姶良市道を走り
帰宅した11月26日でした。
では、終わります。皆さん、きょうも、
お元気にお過ごしください。